あの日から

昨日は、モンベル渋谷店での「撮り・旅!」トークイベント第2弾。会場はぎっしり満席で、毎度のことながら、自分が何をしゃべったのかろくに覚えてないほどあっぷあっぷの状態だったが、出演者のお三方にも助けられ、どうにか無事に終えることができた。終わった後、近くの居酒屋でやった打ち上げが本当に楽しくて(同業者同士だとやっぱり俄然盛り上がる)、終電間際まで、かれこれ6時間くらい飲み続けた。

去年の代官山でのトークイベントの時など、「撮り・旅!」関係で何か節目になるような出来事があるたびに、2012年の夏のあの日を思い出す。

その年の春に「ラダック ザンスカール トラベルガイド」を上梓した後、僕は次の具体的な目標を見つけられずに宙ぶらりんな気持のまま、スピティの山の中をしばらく歩いて旅してから、乗合ジープでマナリに来ていた。それまでずっと埃まみれの日々だったから、ヴァシシトでは僕にしては割といいホテルに泊まり、きれいなシーツのベッドでごろごろしながら映りの悪いテレビを眺めるだけで、他に何をするでもない、だらけた時間を過ごしていた。

そんな時だ。ふっと、旅と写真の本を作ろうかな、という考えが舞い降りてきたのは。それはもう本当に単純な思いつきで、そういう本があったら自分が読みたいな、というだけのものだった。でも、その思いつきが、帰国してしばらくしてから次第に形を成していき、出版社との一年に及ぶ交渉の後、本当にたくさんの方々から力をお借りできたことで、「撮り・旅!」という一冊の本になった。

ヴァシシトでごろごろしてたあの日のどうということのない思いつきが、これほど大きな流れになるとは、正直、予想もしていなかった。世の中、何が起こるかわからない。でも、この本を自分の力だけで作り上げたとはまったく思っていない。ただただ、周囲の人々に助けられ、背中を押してもらえたことで、どうにかここまで来られたのだと思う。

さて、次はどうするかな。実はもう、たくらみはあるのだけれど。

下りない肩の荷

午前中から都心に出る。昨年秋のタイ取材で作ったページの、最後の色校チェック。今回は特に問題なかったので、あとは編集者さんにおまかせ。これでようやく肩の荷が一つ下りた。ふう。

午後の早い時間に自宅に戻ってみると、まるでそれを待ち受けてたかのように、電話やメールが矢継ぎ早に殺到。いろんな案件についてのやりとりが同時進行で繰り広げられて、気がつけば外はもう真っ暗。なんてこった。肩の荷が一つ下りたと思ってたら、まだまだたくさん載っかってた(汗)。

明日は午後から渋谷でトークイベントなのに、こんな地に足が付いてないばたばたの状態で大丈夫なのかな‥‥。まあ、ここまで来たらもう、なるようにしかならないんだろうけど。

踏み外しまくる人生

今までの自分の人生をふりかえって、日本の社会の価値観みたいなものに照らし合わせてみると、何というか、とにかく踏み外しまくってきた人生なんじゃないかなと思う。

大学では自主留年して、卒業するまで六年もかかっている。その後も、正社員として企業に就職することは一度もなく、バイト(肉体労働もやった)や契約社員の仕事を転々としては、ふらっと旅に出ていた。やがて、成り行きでフリーランスというわけのわからない立場になり、それでもそれなりに安定してきたと思ったら、全部放り出してインドの山奥に一年半も行ってしまった。今、受験勉強や就職活動にいそしんでる若い人たちから見れば、たぶん絶対に真似したくない、ちゃらんぽらんな人生だろう。

僕自身、その時その時は何の余裕もなくていっぱいいっぱいだったけれど、今思うと、そうして踏み外しまくってきたからこそ出会えた、かけがえのない体験もたくさんあった。そうした体験の一つひとつが、今の自分を形作ってくれたと感じている。安定しているように見えた道を踏み外してから初めて、本当の意味で自分自身の人生が始まったとさえ思っている。実際、結構いろいろ面白かったし(笑)。

受験に失敗したり、就職活動に行き詰ったり、その後の人生でつまずいたりしても、きっと大丈夫。踏み外した先には、必ず別の道が続いている。他人に迷惑をかけないことを心がけながら歩いていけば、そのうち何とかなると思う。たぶんね。

最大の懸案

午後、田町へ。いよいよ今週末に迫った「撮り・旅!」トークイベント第2弾について、運営スタッフの方々と事前の細かい打ち合わせ。まあ、あの会場でイベントをやるのは二度目だし、たぶん何とかなるだろう‥‥たぶん。

それよりも、ここにきて最大の懸案となっているのは、打ち上げの会場の確保(苦笑)。今回は何だかんだで十数名の飲み会になりそうなのだが、僕はそんな大人数で飲んだ経験が久しくないし、渋谷界隈でそういう飲み会ができそうなお店の心当たりもまったくない。渋谷のあたりは僕にとって、とにかくアウェーなのだ‥‥。

イベントの直前にして、本当は嫌いなぐるなびや食べログを読み漁っている、情けない状態である(苦笑)。

選べたかもしれないもの

昨日は夕方から、阿佐ヶ谷にある小さなライブハウスへ。リトスタのokayanとミヤザキ店長、そして常連の方々のバンド「ナカマチテラス」の演奏を堪能させてもらった。ほとんどのお客さんはリトスタつながりで、とても和やかで、心の温まる時間だったように思う。

人間は、生まれた直後には、とてもたくさんの道の中から人生を選ぶことのできる可能性を与えられている。でも、時が過ぎ、年齢を重ねるにつれ、周囲の環境とか、人との関係とか、自分自身の意志とか、いろんな理由によって、そうした選択肢はだんだん少なくなっていく。

たとえば僕は、もうサッカー選手やボクサーには絶対になれない。絵描きにも、医者にも、それどころかたぶん普通の会社員ですら無理だ(苦笑)。昨日の夜の彼らのように、人前で歌を歌いながら演奏したりすることも、僕にはまったくできないし、それはずっと変わらないだろう。かつては選べたかもしれないけれど、今はもう選べないというものは、誰にとっても、きっとたくさんあるはずだ。

だから、今も選ぼうと思えば選べるものがある人には、それを大切にしてほしいと思う。歌を歌ったり、絵を描いたり、どんなことでも。やろうと思えばできることも、やらなければ、できないのと同じ。自分自身、あらためてそう思った。