違いを生むもの

同じ銘柄のビールを置いているのに、「あれうまそうだなあ、おいしいなあ」と感じる飲み屋もあれば、「別に飲みたいとも思わないなあ、飲んでみたけど、こんなもんか」と感じてしまう飲み屋もある。同じ本を置いているのに、「これよさそうだなあ、買おうかな」と感じる本屋もあれば、「何かピンとこないなあ、買わなくてもいいか」と感じてしまう本屋もある。

同じ場所で同じ風景や人を撮っているのに、「いい写真だなあ、ぐっとくるなあ」と感じる写真もあれば、「こう撮りゃいいんだろと狙ってる感あるなあ」と感じてしまう写真もある。同じ相手に取材して同じテーマの話を書いているのに、「面白い話だなあ、読み返したいな」と感じる文章もあれば、「書いてる人、自分に酔ってるだけなんじゃないかな」と感じてしまう文章もある。

お店にしろ、写真とか文章とか、ほかのさまざまなことにしろ、素材にあたる部分が同じでも、届け手によって明らかな違いが生じることは、よくある。その違いは、それぞれの届け手の技量の差によるものだけではない気がする。丁寧さとか、根気強さとか、まっすぐな気持とか……そういうまごころのようなものも、確かに作用している、と僕は思う。

丁寧で一生懸命でも、実力が伴っていなければクオリティに問題が出るし、テクニックや経験は十分にあっても、誠実さが伴っていなければ信頼関係は生まれない。技量とまごころは表裏一体で、それぞれを磨き上げ続けてこそ、誰かに喜んでもらえるものを届けられるようになるのかもしれない。

ふと思ったことを、つらつらと書き連ねてみた。

ゴールポストが後ずさり

先週あたりから、新しい本の原稿の執筆を再開。日々黙々と書き続けている。

去年の晩秋から書きはじめたこの本の原稿、途中タイ取材とかで中断期間はあったのだが、これまでにどのくらい書いてきたのか計算してみると、80ページだった。予定している総ページ数の、だいたい三分の一くらい。たぶん。おそらく。

言葉尻があやふやなのは、最終的に全体で何ページくらいの本になるか、まだはっきりしていないからだ。少しずつ書き進めて様子を見ながら、台割もその都度調整しているので、一つの章だけでもページ数がにゅるっと増えてしまったりしている。もちろん予算の都合もあるので、野放図にページを増やしまくるわけにもいかないのだが、内容的に妥協はできないし。嗚呼。

総ページ数という名のゴールポストが、今日もじわじわと後ずさりしていく。

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赤染晶子『じゃむパンの日』読了。42歳の若さで逝去された芥川賞受賞作家の方が遺したエッセイ集。短いセンテンスでぽんぽんと切れ味よく綴られた文体と、ささやかなものごとに対する視点の意外さがくせになる面白さ。でも、ふと気づくと、どことなく哀しい気配もうっすら漂っていて。多くの人に読み継がれてほしいな、と思った。

三年ぶりのライブ

昨日の夕方は、三鷹のデイリーズで開催された、アン・サリーさんのライブを聴きに行った。2020年1月に同じ会場で開催されたアン・サリーさんのライブに参加して以来、三年ぶり。会場はぴっちり満員で、百人以上は入っていたと思う。

ギターの羊毛さん、トランペットの飯田玄彦さん、そしてアンさんの三人による二時間ほどの演奏は、本当に素晴らしくて、時に我を忘れるほど引き込まれた。ゆらめくように繊細なリズムとメロディと、アンさんがあと三人くらいいるのではと錯覚しそうほど多彩なハーモニーを感じさせるボーカル。アンさんのオリジナル楽曲はもちろん、ジョニ・ミッチェルの「Both Sides, Now」やキャロル・キングの「So Fa Away」を羊毛とおはなバージョンのアレンジで聴けたのもよかったし、個人的に好きな「僕らが旅に出る理由」や「銀河鉄道999」を聴けたのも嬉しかった。あと、MCが自由すぎて、めっちゃ笑わせてもらった(笑)。

あらためて思ったのは、月並みな感想だけれど、生演奏のライブはやっぱり違うなあ、ということ。同じ空間を共有して、音とともに空気の震えや熱気を肌で感じて……。動画配信では伝わらない決定的なもの、ライブだからこその愉しみと喜びがあるのだなあと、思い出させてもらった気がする。

これからはまた、もっと気兼ねなく、あちこちのライブに顔を出せるようになるといいな。

本屋が消えていく

昼、渋谷の映画美学校試写室へ。紹介記事を書く予定の映画の試写を見る。

終わった後、本屋に寄りたくなったのだが、ジュンク堂書店渋谷店は東急百貨店の建て直しの影響で、1月末に閉業してしまっていたことを思い出す。渋谷に来た時にはほぼ当たり前のように立ち寄っていた本屋だったので、何とも言えない喪失感。渋谷ではブックファーストも撤退してしまったし、東京駅前では八重洲ブックセンター本店ももうすぐ閉業だし。東京のあちこちから、本屋が次々と消えていく。

近頃は個人経営の独立系書店が増えたという話も聞くけれど、どこも経営は全然楽ではないそうで、苦労話もあちこちで耳にする。個人的には、最近のエネルギー高騰や物価高からして、あと何年かしたら、アマゾンなどのネット書店で紙の本を買う時の送料も有料化されると予測している。そうなった時、僕たちはどこで本を買えばいいのだろう。今でさえ、すぐ近所に本屋がある街は、日本でも実はそんなに多くはないのに。

結局、僕は渋谷から歩いて代官山に行き、代官山蔦屋書店でほしかった二冊の本のうちの一冊を見つけて買った。もう一冊は、帰りに新宿で途中下車して、紀伊国屋書店新宿本店で手に入れた。仕事用のショルダーバッグは、家から持ってきていた本と合わせて三冊の本で、ぱんぱんになった。

旅行作家と旅写真家について、その後

二年くらい前に、「旅行作家と旅写真家は滅亡するか」というエントリーを書いた。あれから少し時が流れ、コロナ禍は「やや」沈静化し、国と国との間の行き来もかなり復旧してきた。実際、僕自身も、昨年夏にインド、今年の初めにタイに取材をしに行ってきた。

ひさしぶりに海外取材の仕事をしてみて、あらためて思うのは、あのエントリーで書いた予想は的中しつつある、ということ。旅行作家や旅写真家というジャンルの職業の衰退は、想定以上に加速しているかもしれない。

一つには、国際情勢や経済の状況が大きく影響している。ウクライナでの戦争に伴う物流の混乱や、エネルギーや食料の高騰、慢性的な円安傾向などで、海外取材に必要なコストは猛烈に跳ね上がっている。それだけのコストを払って海外取材を敢行し、本なりガイドブックなり雑誌なりを刊行しても、費やしたコストを回収するのはかなり難しい。そもそも、スマートフォンのアプリなどの利便性に押されて、旅関係の雑誌やガイドブックの売上はどんどん落ちていっている。

取材にかかるコストを削減するには、現地在住の協力者に情報提供を依頼したり、ライターやカメラマンへの報酬を減らしたりするしかなくなる。いくら海外での取材が好きでも、生活するのに必要な金額が稼げないなら、職業としては成り立たない。だからやっぱり、旅行作家や旅写真家が活動できる場は、これからどんどん減っていく。

僕自身、これから先、どうしようかなあと思案している。依頼される形でのガイドブックの取材の仕事などは、もう主軸としてはアテにできない(実際、出版社もつぶれたりしたし)。個人的に書きたいと思っているテーマ、作りたいと思っている本の企画は、ライフワークとして追求していきたいが、日々の生活のためのライスワークの選択と配分も、再検討してアップデートしていかなければならない。でないと、早晩、立ち往生してしまうことになる。

厄介な時代になったものだが、過去の遺物となって風化してしまわないように、サバイブできそうな道を模索していこうと思う。

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佐々木美佳『うたいおどる言葉、黄金のベンガルで』読了。「うたいおどる」という形容にふさわしい、伸びやかな筆致で綴られた、ベンガルの大地と人々、言葉、そしてタゴールへの愛着。この本の元となった連載の執筆を続ける間に、コルカタの映画学校への留学を決めてしまうという思い切りのよさには、びっくりした。これからもその軽やかさで、ベンガルにまつわる映画や本の制作に取り組まれていくのだと思う。