違う選択肢

昨日の深夜、ふと、そういえば、と思い当たったことなのだけれど。

6年前に他界した僕の父は、高校で国語の教師をしていた。現国、古文、漢文。でも、僕が子供の頃に父から与えられていたのは、海外文学を翻訳した本ばかりだった。岩波書店から刊行されていた本が多かったと思うが、それはもう、本当に徹底していて。日本の作家の本を与えられた記憶は、まったくと言っていいほどない。その影響が刷り込まれているからなのか、僕は今も本屋をぶらついていると、しぜんと海外文学の棚に足が向いてしまう。

父自身が海外文学を好んで読んでいたかというと、そうでもなく、書斎の本棚に収まっていたのは日本の作家の本や実用書ばかりだった。彼はなぜ、子供の頃の僕に海外文学の本ばかり与えたのだろう。当時の父の意図は、今はもう知るすべもない。ただ、もしかしたら彼は、自分自身とは違う選択肢を僕が選ぶこともできるように、可能性の幅を持たせてくれたのかもしれない、とは思う。

結果的に僕は、父とはまったく違う道を選び、イバラだらけの道に突っ込んでしまった。でも、違う選択肢を選べる幅を持たせてくれた彼には、感謝している。

次の旅へ

去年の10月末にタイでの取材を終えて戻ってきてから、かれこれ2カ月半、日本にいる計算になる。散髪に行っても、コーヒー豆を買いに行っても、行く先々で「あれ、まだ日本にいるんですね」「次はいつ、どこにですか?」と聞かれる(苦笑)。

次の旅は、実はもう決まっている。必要な手配もほぼ済ませた。3月上旬に一週間。目的地は、アラスカ。原野の真っ只中にあるウィルダネスロッジに、数日間、滞在させてもらう。今回はキャンプではないので、幕営の装備や食糧を持っていかなくていいから、かなり楽だ。これまでに比べると、ちょっと甘ちゃんの計画(笑)。

とはいえ、まだ雪がたっぷり積もっているはずの極寒の原野。油断してると、間違いなく痛い目に遭うだろう。ぬかりなく準備して、気を引き締めて、あらゆるものを見て撮って感じて書いて、楽しんでこようと思う。

プロとアマチュア

撮り・旅!」という本を作ったのがきっかけになったと思うのだが、旅の写真を撮っている写真家の知り合いが増えた。プロとしてそれを仕事にしている人だけでなく、アマチュアの人も含めて。

ある人は、そんじょそこらの自称プロカメラマンよりずっとセンスの良い写真を撮っているのだが、「今の仕事が好きだから」と、プロになろうとはせず、フォトコンテストに応募したりもせず、ただ旅をして写真を撮るのを楽しんでいる。別の人は、フォトコンテストハンターと呼べるほどいろんな賞をもらっていて、一時は著名な写真家への弟子入りも検討したものの、悩んだ末、今の仕事を続けていくことを選んだという。

プロとして好きなことを仕事にして、それで生活していくことだけが正しい選択肢だとは、少なくとも僕は思わない。そもそも、「好きなことを仕事にして生活しているかどうか」は、その人の生み出すものの価値を判断する要素には含まれない。ただ、プロとして退路を断って覚悟を決めることが良い結果を出す原動力になる人もいるだろうし、「自分はプロじゃないから」という言い訳が詰めの甘さにつながっているアマチュアの人もいるだろう。

プロとアマチュアの違いは、仕事として引き受けてその報酬にお金をもらうのと引き換えに、自分の生み出したものに対して責任を負う、という点なのだと思う。僕自身、文章、写真、編集と、結果的に三足もの草鞋を履いてしまっているわけだが、どの分野でも絶対に言い訳はせず、プロとして責任を持っていきたいと思っている。自分自身に、甘えないように。

測定の愉楽

先日アマゾンで買った体重計が、思いのほか、楽しい。

朝起きたばかりの時のいわゆる乾燥重量は今日はこのくらいか、とか、朝ごはんを食べたらこのくらい、晩ごはんを自炊したらこのくらい増えるのか、とか。さっき食べたばかりの時はこのくらいだったのに、数時間後にはここまで減るのか、排泄した分以外の重量はどこで燃焼したのか、とか。

一応、標準的な体重まで減らすことを目的に使い始めたのだが、それよりも日々の生命維持活動に伴って体重がどう変化するのかをトレースする方が楽しくなってきたという……。我ながら、バカだなあ、と思いつつ。

ちなみに、年末年始からここまで、マイナス1.5キロ。目標までは、あと同じくらい。まあ、引き続き、ぼちぼちと。

「この世界の片隅に」

昨年暮れからずっと観に行きたいと思っていた映画「この世界の片隅に」を、ようやく観ることができた。公開されてからずいぶん日が経ったのに、映画館はぎっしり満席。聞くと、年明けから、各地で上映館が大幅に増えたそうだ。興収は10億円を突破し、「キネマ旬報ベスト・テン」では日本映画の第1位に選出。日本の社会にまだ、こうした作品が受け入れられてきちんと評価される土壌が残っていたことに、正直、ちょっとほっとしている。

舞台は昭和初期の広島。18歳の少女すずは、縁談が決まって、軍港の街、呉に嫁いでくる。ずっと穏やかに続いていくはずだった、当たり前の日常。しかし世界は少しずつ、ひたひたと、恐怖と狂気に浸されていく。やがてその狂気は、すずにとって大切な人やものを、喰いちぎるように奪い去ってしまう。そしてあの夏が来て……それでも、人生は続いていく。

観終わった後、子供の頃に父から聞かされた、終戦の頃の話を思い出した。岡山で大空襲があった後に降った雨。シベリアで抑留されるうちに身体を壊してしまった祖父。祖父が留守の間、一人で畑を耕しながら父を育てた祖母。故郷に戻ってきた祖父が父への土産に持ってきたキャラメルが、本当に甘くておいしかったということ。最近では、そんな話をしてくれる大人も、すっかり少なくなってしまった。

今の日本は、うすら寒い狂気と恐怖に、再びひたひたと浸されはじめているように僕は感じる。ふと気付いた時には、いろんなことが手遅れになってしまっているかもしれない。だから、この作品は、一人でも多くの人に、特に10代、20代の若い人たちに、観てもらいたい。ありふれた日々のかけがえのなさと、それを守るためには何が必要なのか、「普通」であり続けるために僕たち一人ひとりがどう生きるべきなのかを、考えてもらえたら、と思う。