Category: Essay

編集者よ、メールには返事を書こう

この文章は、世の中で少なからず該当する出版社勤務の編集者の方々に読んでほしいと思っているのだけれど。

僕はフリーランスの立場で本を作ったり、雑誌に記事を寄稿したりしている。新しい企画を立てた時、その内容によっては、それまで一緒に仕事をしたことのない出版社に、企画の持ち込みができるかどうかを問い合わせることもある。

企画の持ち込み方としては、まずその出版社のWebサイトを確認。外部からのそういう持ち込みを受け付けていない出版社は、Webサイトにその旨を明記していることもあるからだ。そうした記載がなければ、サイトに載っている電話番号に電話をかけ、身元を明かして簡単な説明をした上で、その出版社のどの担当者の方に企画書を送付すれば受け取ってもらえるかを聞く。それまでの過程で断られる場合ももちろんあるのだが、担当者の方のメールアドレスまで教えてもらえたら、企画書など必要な資料を整えてメールに添付して送り、興味を持っていただけるようなら直接訪問して説明する旨を伝える。

で、ここからが問題。これだけきっちりとした手順を踏んで先方の窓口を確認し、きちんと礼節を守る形で問い合わせをしても、まったく返事をよこさずにシカトを決め込む編集者が、世の中にはびっくりするほど多いのだ。一般社会の常識からすると、本当に信じられないような対応だと思うのだが。僕自身、今まで何度そうした失礼な対応に遭遇してきたかしれない。

送られてきた資料の受領の確認、あるいは断りの連絡、いずれも数行のメールを書いて送るだけですむ話。ほんの数分もあればできる作業だ。「出版社の編集者の仕事は忙しいから」なんてのは言い訳にすらならない。要するに、単に相手を見下していて、面倒くさいから放置しているだけなのだ。他に何かもっともな理由があるだろうか?

メールではないけれど、こんな話を聞いたことがある。大手出版社から季刊で刊行されている割と有名な旅行雑誌が、チベットの特集を組むことになった。それを前号の予告で知ったあるフォトグラファーの方が、自分が撮った写真に興味を持ってもらえるのではと編集部に問い合わせの電話を入れたのだが、応対に出た編集部の人間は「はぁ? あんた誰?」とけんもほろろなひどい対応。ところがどっこい、実はそのフォトグラファーの方は、日本でも一、二を争うチベットの撮影のスペシャリストだったのだ。後でそれを知ったその雑誌の編集者は、平身低頭平謝りで、写真を使わせてほしいと頼みに行ったとか。手のひら返しもいいところである。

世の編集者の方々には、しかるべき手順と礼儀を守って送られてきた問い合わせのメールには、どんなに簡潔でもいいから返事を書くようにしてもらいたい。面倒くさいからとシカトすることは、それだけ相手を見下しているということでもある。そしてその相手は、そうしてシカトされて見下されたことを、いつまでも覚えているものなのだ。出版社にとって、そんなことで潜在的な敵意を増やすのはマイナスでしかないと思う。

まとめると、真っ当な手順と内容のメールにはすぐに返事を書く、という社会人として当たり前のことくらい、きちんとやってよね、という話。フリーランスをナメんなよ。

友達の数

この記事を読んでみて、友達の数ということについて、つらつらと。

僕は基本的に、他の人とのコミュニケーションがそんなに苦手な人間ではないと思う。でなければ、初対面の人へのインタビュー取材の仕事なんてできるわけがない(笑)。ただ、人付き合い、友達付き合いがいいかと言われると、正直そんなに活発な人間ではないだろう。たとえば、飲み会など何かの場に誘われたら普通に顔を出すが、自ら何か発案して周囲に声をかけるなんてことはめったにない、とか。友達と呼ばせてもらえるような人は少しはいると思うけど、その人たちとも、そんなにしょっちゅう顔を合わせてるわけではないし。結論としては、友達は少なく、友達付き合いもあまりよくない人間、ということになるのかな。

件の記事によると、世間では最近、友達の数や交友関係の広さがその人の価値を決めると思われるような風潮があるそうだ。でも、気が進まなければ無理して誰かとつるむ必要はないと思うし、そんなことで人の価値が決まるとも思えない。本当の友達というのは、たとえば普段そんなに顔を合わせてなかったとしても、何かあった時にすっと手を差し伸べてくれる人のことだと思う。

誰かとつるんでないと不安でしょうがないという人は、しばらくどこかの国へ一人旅でもしてきたらいいじゃないかと思う。現地からのLINEやTwitterは禁止ということにして。そうすれば、一人で過ごす時間にも価値があることがわかるんじゃないだろうか。

旅と目的と余裕

旅には、人それぞれ、いろんな動機や目的がある。列車やバスを乗り継いでアジア横断や南米一周を目指す人。何冊かの本を携えて、静かな海辺でゆっくりしたいという人。服や雑貨、コスメの買い物に明け暮れたいという人。旅に出ずにはいられない切羽詰まった衝動を胸に抱えてる人もいるだろうし、とにかくパーッと能天気に遊んで、日頃のストレスを発散したいという人もいるだろう。どれも正解。法律を犯さないかぎり、どんな楽しみ方だってありうる。

その一方で、仕事が目的という旅もある。世界各地を忙しく飛び回るビジネスマンや、商品の買い付けや視察のために各地を巡るショップ経営者など。かくいう自分も、先日のタイ取材は、完全に仕事として依頼され、みっちり隙間なくスケジューリングされた上での旅だった。

そういう仕事目的の旅では旅を楽しめない、だから旅は仕事にできない、と考える人も多いと思う。確かに、旅の時間を100パーセント好きに使える個人的な旅に比べると、仕事目的の旅の自由度は少ないし、窮屈でせわしない思いもする。でも、その合間にほんのわずかでも余裕を持てる時間が得られるのなら、旅を楽しめる余地はあると僕は思う。

タイ取材で、朝から夕方まで取材に忙殺されていた日も、夜、晩飯に頼んだパッタイと魚のすり身揚げが出てくるの待つ間、テーブルに頬づえをついて外の通りをぼんやり眺めていたひととき、僕はささやかながらもタイという国を楽しめていたように思う。異国に一人で身を置き、その空気や色、ざわめき、匂い‥‥いろんな感触に身を委ねつつ、思いや記憶を巡らせる。旅を楽しめるかどうかというのは、目的云々ではなく、そうしたちょっとした余裕を持てるかどうかなのではないだろうか。

時間を100パーセント自由に使える旅でも、自分が楽しむことにがっつきすぎたり、ネガティブな原因で精神的にへこみすぎたりして、何の余裕も持てないまま旅を終えてしまっている人は結構いると思う。そういう人は、ちょっとした余裕というものをもう一度見直してみるといいんじゃないだろうか。僕も、もし今度またタイに行くことになったら、この間より、もうちょっと余裕を持てるようになりたいと思う(笑)。

「絶景」に思う

しばらく前から、「絶景」や「秘境」といったキーワードを謳い文句にした書籍やテレビ番組が人気を集めている。書籍の場合、その一冊のためだけにカメラマンを世界中に派遣したりすることは予算的にまず無理だから、ストックフォトエージェンシーに借りた写真で作っている本がほとんどだ。中には、Flickrなどから写真を持ってきてる、使用許諾の面などでかなり強引でアヤシイ作り方をしてる本もあるようだが。

旅の目的は人それぞれだし、ある「絶景」を見たいがために旅に出ても、それはまったく構わないと思う。ただ、自分の場合はどうかというと、「絶景」として見せられたイメージが旅に出る動機に繋がったことは、実は一度もない。最近人気のラダックのパンゴン・ツォでさえ、僕は最初に現地に行くまで、カラー写真すら見たことがなかった。旅の魅力は風景だけでなく、そこで生きる人々とその暮らしぶりなど、いろんな物事との出会いをまるっと含めた体験の中にあると思うし。

最近は、「絶景」と呼ばれる場所の地名をグーグルで画像検索すれば、そこの写真がわんさか出てくるから、便利な反面、ちょっと興を削がれる面もある。もちろん、自分自身の目で見届けるのが一番いい体験になるのは当然だけど、できれば事前にあまり予習しすぎないようにして(笑)、その「絶景」だけでなく、そこまでの道程で出会った人たちとのやりとりまで含めて、ゆったりと旅を楽しむのがいいんじゃないかなと思う。超効率的な弾丸ツアーで「絶景」だけがつがつ見に行っても、何だか味気ない旅になってしまうだろうから。

‥‥とまあ、自分で旅行記やらガイドブックやらを散々出しといて、何を言ってるんだという気もするけど(苦笑)。

つながりっぱなしの旅

学生時代に生まれて初めて海外で一人旅をした頃、旅先で出会った人たちと交換するのは、住所と電話番号だった。旅の続きで訪れた街で買った絵ハガキを互いに送り合ったりして、帰国後、郵便受けにそんなハガキが届いていると、何だかすごく嬉しかったのを憶えている。

それから十年もしないうちに、世界中の観光地にはインターネットが使えるパソコンを置くサイバーカフェが林立するようになり、旅人たちが交換するのは、Hotmailのメールアドレスに変わった。それはやがてGmailになり、それからTwitterやFacebookやLINEのアカウントになった。

そして最近、観光地ではサイバーカフェがどんどん減り、代わりにWi-Fiフリーのホテルやレストラン、カフェが急増している。旅人たちはみなスマートフォンやタブレットを持ち歩き、ホテルや交通機関の予約、地図や現地情報の確認など、旅に必要なことの大半をそれらでまかなう。旅先で撮った写真はリアルタイムでブログやTwitterやFacebookにアップされ、日本にいる友達はそれにすぐ反応してコメントを返す。いつのまにか旅は、ずっと誰かとつながりっぱなしなのが、当たり前になった。

つながりっぱなしの旅。それはそれで、楽しい面もたくさんあると思う。でも、住所と電話番号を交換するようなオールド・スタイルの旅をしていた身としては、そんなに四六時中つながりっぱなしだと、ちょっとつまらなくない?とも感じる。知らない国の知らない街で、右も左もわからず途方に暮れて、その日の寝床と食事にありつくためにうろうろする。あの孤独と不安に苛まれるような感覚があるからこそ、一人旅は俄然面白くなるのではないだろうか。

旅先でスマホやタブレットを活用するのは、大いに結構。でも、せっかく旅に出るのなら、周囲と何のつながりのない世界に一人身を置くことの愉しみも、味わってみてほしいなと思う。