昨日の午後、新宿で「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。史上最高のロック・バンドの一つであるクイーンと、そのリード・ヴォーカル、フレディ・マーキュリーの生涯について描かれた映画。最初から最後まで、文字通り、シビれるような展開だった。彼らがどんなバンドで、どんな軌跡を辿ってきたのか、ある程度知っていたつもりだったけど、そのクリエイティビティと情熱、そしてフレディの孤独の闇の深さに、あらためていろいろ考えさせられた。
物語の終盤、ある決意を固めたフレディが、バンドのメンバーたちに向かって、こう言い放つ場面がある。
「I decide who I am.(自分が何者なのかは、自分で決める)」
ああ、そうだよな、と思う。
世の中の人々の多くは、自分がまだ何者でもないことに思い悩む時期がある、と思う。僕自身、二十代の頃はそうだった。物書きになりたくても認めてもらえず、編集者になりたくても望む仕事をもらえず……。でも、「自分はこの仕事をやるんだ」と腹をくくって、しがみつき、もがきながら、少しずつ、少しずつ、積み重ねていって……ふと顔を上げて、ふりかえると、僕は、うっすらと、おぼろげながらも、何者かになっていた。物書きとしても、編集者としても、写真家としても、まだまだはしくれ程度の存在でしかないけれど。
自分が何者であるのかは、他人に決めてもらうことではない。かといって、自分で名札を書いて胸に貼り付ければ、なりたい自分になれるわけでもない。世間的な肩書きや社会的地位には、本当の意味での価値は何もない。自分自身で選んだ目標に、挑み続け、やり遂げることでしか、何者かになれる道はない。
生き方を、自分で選び取る。自分が何者なのかは、自分で決めるのだ。