昼少し前、食材の買い出しに行くため、マンションから外に出て、傘をさして歩き出す。雨とも霧ともつかない、細かな水滴が宙を舞っている。近所の家の生垣で、しっとりと潤った緑の葉。紫陽花も、淡い色の花弁を生き生きと広げている。
ああ、梅雨に入ったんだなあ、と思った。
実際、関東地方は、今日から梅雨入りしたそうだ。ニュースなどで知らされる梅雨入りと、季節の境目として体感した梅雨入りが一致したのは、いつ以来だろうか。毎年のように、やたら暑かったり寒かったり、大雨だったり小雨だったりで、異常気象という言葉を聞かされ続けていたから、ごく普通の形で季節が移ろっていくと、かえって少し戸惑ってしまう。
いずれにせよ、これからしばらくは、洗濯物を干すタイミングに悩まされそうだ。
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F・スコット・フィッツジェラルド『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』読了。若くして作家として華々しくデビューし、『グレート・ギャツビー』という不朽の名作を残したフィッツジェラルドは、1930年代に入ると、妻の病や世界恐慌、自身のアルコール中毒などで、不遇の時代を過ごすようになる。すべてを賭けた渾身の力作『夜はやさし』も、発表当初はほぼ見向きもされなかった。この短編集では、その頃の彼の心情を、いくばくか読み取ることができる。短編も秀逸だが、後半に収録された「私の失われた都市」や「壊れる」三部作などのエッセイが、寂しくも美しい。
「そして魂の漆黒の暗闇にあっては、来る日も来る日も時刻は常に午前三時なのだ。」
自身の絶望を、こんな言葉で綴ることができる人を、僕はほかに知らない。