ココナッツを削り、すりつぶしてチャトニにする。鉄板で生地を丸く伸ばして、ドーサを焼く。かまどで薪を焚いて、米を炊く。オクラを刻む。インゲンを刻む。トマトを刻む。タマネギを刻む。バナナを揚げる。魚を揚げる。食卓の上の食べかすを拭い取る。皿を洗う。コップを洗う。鍋を洗う。
ジョー・ベービ監督のマラヤーラム語映画「グレート・インディアン・キッチン」では、冒頭から、家の台所での何気ないカットが、ひたひたと積み重ねられていく。ナレーションもBGMも何もないが、刻々と鬱積していくその短いカットの連鎖からは、監督のある強い意図を感じ取ることができる。
インド人社会の頑迷な家父長制と、理不尽なまでの男尊女卑。現代では時代錯誤にも思えるこうした慣習は、宗教との関係もあってか、いまだに根深く残り続けている。男性だけでなく、女性たち自身の中にも、こういった慣習に囚われてしまっている人は少なくないという。しかし、それは、人としてどうなのか。我々は、目を覚ますべきなのではないか。人が人として、当たり前に生活しながら、互いをいたわりあって生きていけるように。
インドだけではない。世界の他の国々にも、日本にも、こうした男尊女卑の慣習は、さまざまに形を変えて、根深く存在する。あまりにも根深すぎて、誰もが当たり前と受け止め、あきらめてしまっているような慣習が。でも、あきらめてはいけないのだと、この映画を観て、あらためて思った。