父が他界して、今日でちょうど、十年になる。
上の文章は、当時、父の葬儀を終えた後、インドにとんぼ返りしてザンスカールで取材をしていた時、日記としてノートに書き留めていた文章をもとにしたものだ。それから歳月が過ぎて、新しい本に当時のザンスカールでの話を書くと決めた時、当時のノートをほぼそのまま引き写す形でこの文章を収録するのは、僕にとってはごく自然な成り行きだった。僕にとってのラダックという土地とそこで暮らす人々の位置付けについて考える時、この話は、あった方がいいと思ったのだ。
岡山の実家で暮らす母は、十年後の今も息災だ。彼らの孫はあれから一人増えた。僕自身は、まあ、どうにかこうにか、かろうじて、同じ業界で生き残っている。父が期待していた(かもしれない)レベルの人間になれたとは、あまり思えないが。
普段の生活の時間の中で、父のことを思い出す回数はそれほど多くないけれど、夢の中には、今でも時折、父が出てくる。寒い日の朝、車のエンジンを暖機運転させながら、車庫の前で古ぼけたバットを素振りしている姿とか。夢の中でも、あいかわらず飄々としていて、つかみどころのない人に思える。
地球は二十四時間で一回転し、一年で太陽の周りを一周する。時は刻々と過ぎていく。その中で僕たちは、一日、一日を、できる範囲で精一杯、生きていく。