嘘は、つくのも、つかれるのも、嫌いだ。嘘をつくことで物事がうまく運ぶなんてことは、まずない。せいぜいその場しのぎにしかならなくて、後になって嘘がばれたら、倍返しで酷いことになる。
去年、仕事で信頼していた人たちに、嘘をつかれた。彼らは僕の知らないところで、僕が何年も前からこつこつ積み重ねてきた仕事に直接ぶつかるようなことを仕組んでいた。第三者からその話を聞いて抗議すると、「その話は白紙に戻す」「人間関係を壊してまですることではない」とその人たちは言った。しかし、彼らはそれを白紙に戻したりせず、裏でこっそり準備を続けていた。僕を利用するだけ利用して、僕が彼らとの仕事を中止するなどして抗議することができないタイミングになって、すべてをひっくり返した。
思い返しても、つくづく、酷い話だ。
僕は彼らとの関係を断ち、別の会社とその仕事を継続することにした。それまでの仕事を通じて出会った大勢の顧客の方々とのつながりは、今も健在だ。同業者の友人たちとの関係も良好だと思う。
一方、僕に嘘をついていた人たちは、経費を差し引くとおそらくごく僅かであろう利益と引き換えに、僕の存在を介してつながっていた顧客の方々や、同じく僕を介してつながっていた関係者からの信頼を、ごっそり失った。どうして彼らは、あんなやり方をしたんだろう、と思う。その場しのぎの嘘をつき続け、ナアナアのなしくずしで乗り切ることなんて、できるわけがないのに。
だから僕は、嘘を、つくのも、つかれるのも、嫌いなのだ。