文章や写真、あるいは映画や絵画、音楽など、いろんな表現活動において、100人中100人に支持される作品は、たぶん存在しない。もし、そんな作品があると言われたら、僕はかなり用心してかかると思う。
だからといって、「100人中100人に支持されるものはないから、わかる人にだけわかるものを作ればいい」と単純に開き直るのも、ちょっと違うのではと思う。最初から「わかる人にだけわかるもの」を目指してしまうと、作品の可能性を自ら狭める結果になりかねない。
出版や写真の業界で、「……それは単なる内輪ウケでしかないのでは?」と感じる事例に接することが、最近よくある。もっともらしいお題目を唱えて自分たちの評価を高めようとしても、内輪でしか通用しない閉じた価値観に囚われていたら、内輪ウケの域を脱することはできない。内輪同士で心地よいぬるま湯に浸っていては、伝えられるはずのものも伝えられない。
100人中100人に支持される作品はないと自覚しつつも、あらゆる人に対して開かれた価値観を作品に込めることを忘れてはいけない、と僕は思う。