「チェイス!」

dhoom3

日活と東宝東和がタッグを組んで、アジア各国の映画を日本で提供するレーベルとして立ち上げられた、GOLDEN ASIA。それにラインナップされた最初の3作品の中でももっとも注目されていたのが、インド映画歴代興収ナンバーワンの座に君臨する「Dhoom 3」(邦題「チェイス!」)だった。

傍目で見ていても、「チェイス!」に対する配給元の力の入れようは明らかだった。東京国際映画祭での特別招待作品としての上映に合わせて、実質的な主演のアーミル・カーンの初来日を実現させ、テレビや新聞、雑誌などへのメディア露出も積極的。上映館数も全国各地のTOHOシネマズをはじめ、これまで日本で公開されたインド映画とは桁違いの規模での展開だった。

しかし、実際に公開されてみると、客の入りはどうやらあまり芳しくなかったようだ。上映規模は早々に縮小され、上映回数も1日1、2回に減らされた例が目立った。年末のこの時期は強力なライバル作品がひしめいていることもあるだろうが、それを差し引いても、配給元の目論見は外れてしまったと見るのが妥当だろう。

ではなぜ、「チェイス!」は日本で思うような結果を残せなかったのだろう? 面白くなかったから? それは違うだろう。作品の質のせいにして片付けるには、インドだけでなく、アメリカや他の国々での結果があまりにもよすぎる。僕自身、この作品はエンターテイメント作品として間違いなく一級品だと思っている。

個人的には、配給元の2社がインド映画にまださほど興味のない層の人々まで取り込もうとしすぎたのが、裏目に出てしまったという気がしてならない。「3時間もある長い映画は大多数の日本人には受け入れられない」「歌と踊りが頻繁に入る映画は大多数の日本人には好まれない」そういう配給元の推測に基づく判断が、ミュージカルシーンを中心に約20分もカットした短縮版の選択に繋がり、期待に胸を膨らませていたインド映画ファンに冷水を浴びせた。「チェイス!」という邦題をつけたのは、バイクチェイスが見どころのアクション映画だというわかりやすいアピールをしたいという意図だったと思うが、宣伝の際にそれを前面に押し出しすぎたことで、アーミルの演技に象徴される人間ドラマや豪華絢爛なミュージカルシーンのよさが伝わりにくくなってしまった。多数のメディア露出の中には、掘り下げの浅いステレオタイプな印象のものや、インド映画ファンの神経を逆撫でする粗悪なものも少なからずあった(公式SNSのアカウントがメディア露出情報をただ機械的にシェアするだけだったのも物足りなかった)。

そんなこんなで、大幅に膨らんだ公開規模に合わせて、必要以上に日本人に受け入れてもらおうとしすぎてしまったことで、逆に「チェイス!」本来の個性やよさをしっかりと出せなくなり、埋没してしまったのではないだろうか。

今、日本でインド映画を好んで観に行くようになっている人たちは、ありのままのスタイルのインド映画が好きなのだ。映画にとって、一番幸せな受け入れられ方は何だろう? ただひたすら、より多くの人に観てもらうことだけが幸せな結果なのだろうか? そうではない。たとえ数がある程度限られることになったとしても、その作品を愛してくれるであろう人たちに、一番いい形で、確実に届けることが、何より大切なのではないだろうか。

配給元の2社には、今回の結果を作品や観客のせいにするのではなく、今回のやり方の何が間違っていたのか、客観的に分析して、(もしまだやるのであれば)次からのインド映画の配給の際の糧にしてほしい。観る人の心を動かすことが、映画の力であり、役割でもあるのだということを思い出して。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *