ボランティアについて思うこと

僕が初めてボランティアらしい体験をしたのは、今から十年ほど前、コルカタにあるマザーハウスでのことだった。

旅の途中で知り合った人に誘われて、僕は、カーリー寺院の近くにある「死を待つ人々の家」で、末期の患者さんたちに食事を配ったり、シーツや衣服を洗って干す手伝いをした。そこには同じように手伝いをしに集まった、大勢の日本人の若者たちがいた。会社を辞めて作家になろうと考えている人、二週間の休暇を全部注ぎ込んでマザーハウスに来ている人、夏休みで旅行している大学生‥‥。洗濯物がはためく屋上で、彼らとおひるを食べながらお互いの話をした時のことは、今もよく憶えている。

日本では、以前からダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサポートをしている。ダライ・ラマ法王(僕たちは猊下とお呼びしている)が来日されて講演や法話を行われる時に、会場の入場整理やマスコミ対応、場内警備などのお手伝いをしたり。以前、護国寺でチベットフェスが開催された時は、ほぼ毎日会場に通って、設営や入場受付の手伝いをしたりもした。当時の法王事務所のボランティア仲間たちとは、そんなこんなですっかり仲良しになった。

マザーハウスや法王事務所のボランティアをしていた人たちに共通して感じたのは‥‥みんな本当に「気持のいい」人たちだなあ、ということ。彼らには、自分がボランティアという行為をしていることをひけらかす意識は微塵もない。そこに困っている人がいるから、そこに人手が足りないから、自分が手伝う。ただそれだけ。見返りとか、周囲の評価とか、そんなものはまったくどうでもいい。僕が彼らに人間的な魅力を感じるのは、そういう清々しさなのだろうなと思う。実際、僕自身も彼らから学んだことはたくさんあった。

世間には、自身のボランティア活動をまるで職業か何かのように謳う人もいるけれど、ボランティアは、そんな風にひけらかすものではないような気がする。やりたい人が、やれる範囲で、スーッと当たり前にやればいいこと。そういう世の中になれば、もっといいのになと思う。

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