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さすがインディア

昨日と今日は、国分台の方で取材。三鷹から片道丸1時間。何だかんだでやっぱり疲れる。

家に戻ってきて、Macを開くと、ぽん、とメールが届いた。インドからだ。今年の夏、6月の終わりから取材でインドに行くので、旅の序盤、シムラーという街で泊まる宿をBooking.comでこの間予約したのだが、そのホテルからのメール。明日までにデポジットで1泊分の全料金をこの口座に入金しろ、でなければキャンセル扱いにする、と、パンジャブ銀行の口座情報が送られてきたのだ。

まったくもって、そんなの知らんがな、だし、予約保証にVISAカードの情報もBooking.com経由で入力してるのに、なんでわざわざ日本からインドの口座に送金させようとするのか。普通の旅行者にはまず無理だし、送料を考えたらまったく割にも合わないし。突拍子なさすぎて、かえって笑えてきた。

とりあえず、「いや、こっちは日本だし、送金するのは無理ですよ。でも、シムラーまでの鉄道は予約済みなんで、安心してください。宿に着いたら直接払います。もしそっちの都合でキャンセルするなら、また連絡してね」とだけ、メールを返しておいた。さて、どうなることやら。

さすが、インディア。出発前から、すでに戦いは始まっている。

アレッポの石鹸

日曜日、代々木公園で開催されていた、アースデイ東京に行ってきた。売店でサーモン&チップスを買い、クラフトビールを飲み、ぶらぶらと会場内を歩いた。

原宿側の会場入口の近くで、シリアのアレッポ石鹸が売られていた。長引く内戦の影響で、アレッポもひどい状況になっているそうだが、アレッポ石鹸自体は工場を別の場所に移して、どうにか生産を継続できているらしい。

ほとんど反射的に列に並び、がっしりした塊の石鹸を一つ、買った。まだ使ったことのない石鹸に対する興味も、もちろんあった。でも、それ以上に、買わずにはいられない、何かいたたまれないような気持があった。

アレッポ石鹸を一つ買ったところで、かの地で苦しむ人々にとっては、何の助けにもならないのかもしれない。でも、忘れないでいること、見て見ぬふりをしないことが、まずは大切なのかもしれない、とも思う。

ふんわりした善意

個人的に、ふんわりした善意は、どうも苦手だ。

何かの目的のために、ボランティアを募集したり、寄付を募ったり、最近ではクラウドファンディングという方法も使われているけれど、呼びかける側が「私たちは、善いことをしているので、応援してください」というふんわりした善意というか、ざっくりとした思い込みだけで動いていても、同意や共感はなかなか得られないだろう。

応援しようかどうかと考えている側が知りたいのは、目的を達成するために何が必要で、どんな課題があって、それに対してどういう取り組みをしようとしているのか、といった、具体的なビジョンだと思う。少なくとも、僕はそうだ。みんなで手と手を取り合ってお花畑を駆けていくような夢想は、別に望んでいない。

ふんわりした善意だけでは、何も変えられない、と思う。

ランダム表示

このサイトのヘッダに表示される写真を、アクセスのたびにランダムに表示が切り替わる形に変更してみた。特に深い理由はなく、単なる気まぐれで。

写真は今のところ、合計で6枚。いずれもアラスカで撮影した写真。気が向けば、また何の前触れもなく、しれっと追加するかもしれない。それもまた、気まぐれで。

アラスカの写真と、そして文章。いつか、納得のできる形で、まとめられるといいなと思っている。それがいつになるのか、今はまだ皆目見当もつかないけれど。

Overwhelming

昨日は、六本木の国立新美術館で開催中のミュシャ展へ。彼の晩年の連作「スラヴ叙事詩」20点を観る。もう本当に、ぐうの音も出ないほど圧倒的で、素晴らしいとしか言いようがない。一人の画家の、才能と情熱と理想と執念と狂気が、のたうつように大画面から溢れ出ている。頭が軽く痺れてくるほど集中して見続けた後、ブリュードッグのバーでIPAビールを飲みつつ、余韻に浸る。

ああいう圧倒的、Overwhelmingな作品には、確かに人の心をぐわんと揺さぶる力がある。僕が生業にしている文章や写真の世界でも、そういう圧倒的な作品を生み出すことを目指す人たちは大勢いる。自分はどうなんだろう? 圧倒的なものを生み出せるなら、それに越したことはないのかもしれない。でも、自分が伝えようとしていることは、もしかすると……Overwhelmingではない方がうまく伝えられるのかもしれない、とも思う。良い意味での「軽み」のような。何気ないけれど、ふっと心に触れるような。

咲き誇る満開の桜ではなく、この胴吹き桜のように。