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一カ月ほど、台湾へ

あさってから一カ月ほど、一人旅に出る。行き先は、台湾。首都の台北から、主に台鉄を使って移動し、街ごとに数泊ずつしながら、反時計回りに一周してこようと思っている。

今週に入ってからは、その旅の最終的な準備で、まあまあ右往左往していた。予約するのが難しい阿里山森林鉄路の切符を、一部の区間だけだがどうにかゲットし、それぞれの街で泊まれそうな安宿もおおよその目星をつけ、キャンセル無料のところにはWeb経由で予約を入れた。旅程は今日の時点でもまだ調整しているが、だいたい固まった。最後の三日間は、有休を取った相方と台北で合流して、二人で観光をする予定。

台湾のような国だと、今はWebで検索するだけで、ありとあらゆる情報が手に入る。Googleマップはもちろん、乗換案内のアプリやeSIMのアプリなど、便利なツールも揃っている。そうした情報やツールは、もちろんある程度は準備しているけれど、あまり当てにしすぎないようにしようとも思っている。その日その場所でしか感じ取れないこと、体験できないことを大事にしたい。

とりあえず、標高四千メートルの高地でユキヒョウを撮るよりはラクだと思うので(笑)、ゆるりと行ってきます。

拙著6作品の電子書籍化のお知らせ


これまで紙の書籍のみで販売されていた拙著の6作品が、いっせいに電子書籍化されました。AmazonのKindleのほか、主要な電子書籍プラットフォームで販売を開始しています。

『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』

『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』

『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』

『ラダック旅遊大全』

『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』

『旅は旨くて、時々苦い』

紙の書籍は置き場所がかさばるので……と、これまで二の足を踏まれていた方、もしいらっしゃいましたら、この機会にぜひ。

『流離人のノート』

『流離人のノート』
文・写真:山本高樹
価格:本体2200円+税
発行:金子書房
四六変形判 304ページ(カラー54ページ)
ISBN 978-4-7608-2700-8
配本:2025年10月16日

2023年夏から金子書房のnoteで2年弱ほど担当した連載エッセイが、書籍化されることになりました。連載分のほか、単発で執筆したエッセイと書き下ろしを加えています。収録している写真の約3分の1は、20年以上前にフィルムカメラで撮影したもので、カバーの写真もそのうちの1枚です。

これまでに書いてきた本の中でも、自分にとっての「旅」という行為に、もっとも真正面から向き合った一冊になっていると思います。ポルべニールブックストアでは、特典小冊子付きサイン本のオンライン予約を受付中です。よかったらぜひ。

右往左往する旅

インドから日本に戻ってきて、二週間ほどが過ぎた。

今回に限らないのだが、最近はラダックに少しの間行っていても、異国を旅してきたという感触が、正直あまり残らない。ラダック界隈は好きな土地だし、いられるものならいくらでも滞在していたいのだが、もう、あまりにもどこもかしこも知り尽くしてしまっているので、生半可な体験では、新鮮な風を自分の中に送り込むまでにはならないのかもしれない。チャダルを旅したり、雪豹を撮ったりするのに匹敵するような新たな経験を、あの土地でできるのであれば、話は別だけど。まだ残っているのかな、そういうテーマ……。

今はたぶん、自分がまだよく知らない土地を右往左往しながら旅してみて、新しい風を自分の中に取り入れてみる必要があるのかな、と思っている。そういう、右往左往する旅の仕方自体を、捉え直してみたい気もするし。

そういう旅の時間は、実は、そう遠くないうちにやってくる。そろそろ、少しずつでも、準備を始めねば。

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沢木耕太郎『天路の旅人』上下巻、読了。第二次世界大戦末期から戦後にかけて、内モンゴルからチベット、そしてインドまで、最初は密偵として、のちに流浪の旅人として、八年にもわたる旅を続けた西川一三の足跡を辿ったノンフィクション。西川さんには遠く及ばないけれど、僕も似たような土地でしんどい思いをした経験はそれなりにあるので(苦笑)、身につまされるなあと思いながらも、楽しく読んだ。

特に旅の終盤、あらゆるしがらみから自由になり、一人でインドを放浪する西川さんの姿は、本当に幸福そうで、正直、少し羨ましく思えた。

「その最も低いところに在る生活を受け入れることができれば、失うことを恐れたり、階段を踏み外したり、坂を転げ落ちたりするのを心配することもない。なんと恵まれているのだろう、と西川は思った。」

一つ、気になる点を挙げるとしたら、この本で多用されている「ラマ教」や「ラマ僧」といった表記だろうか。こうした呼称は、もともと西洋の研究者がつけたもので、チベット仏教に対する偏見を招くとして、現在では使用されなくなっている。これからも長きにわたって読み継がれていくであろうこの作品で、こうした論議を呼ぶ表記が使われているのは、残念だ。ほかにも、細かい部分で「ん?」と感じた点がいくつかあって、全体的に校閲の力不足という印象は拭えなかった。

「ライフ・イズ・ビューティフル」

Filmarksのリバイバル企画で、「ライフ・イズ・ビューティフル」が期間限定で上映されると知り、観に行くことにした。ずっと以前、レンタルで観たことはあったのだけれど、スクリーンで見届けておきたい、と思って。新ピカに足を運んでみたら、小さめのスクリーンとはいえ、場内ほぼ満席。しかも思いのほか、若い人が多い。何だか少し嬉しくなった。監督と主演は、ロベルト・ベニーニ。

物語の前半は、陽気なお調子者のユダヤ系イタリア人グイドと、裕福な家庭に生まれた小学校教師ドーラとのなれそめが描かれる。そこから何年かが過ぎた後半は、第二次世界大戦末期にグイドたちが巻き込まれた、過酷な運命が描かれていく。前半では、グイドのお調子者っぷりがとにかくすごくて、主人公がずっとこの調子でぶっ飛ばしてて大丈夫?と思うほどなのだが、物語が暗く凄惨な舞台に移る後半では、そうしたグイドの変わらぬお調子者っぷりこそが、息子のジョズエを励まし、救っていくことになる。最後の最後までお調子者を貫き通したグイドの姿は、以前観た時も、今回も、深く深く胸に残った。

同時に思う。当時のホロコーストであれだけ凄惨な目に遭わされたユダヤ系の人々の子孫の一部が、八十年の時を経て、ガザで何万人ものパレスチナ人を殺戮し続けているのは、なぜなのだろう。僕には、どうしても理解できない。人間の業とは、かくも深きものなのだろうか。