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昔の写真

昨日の夜、1枚の写真が、メールで送られてきた。

送り主は、昔のバイト仲間。二十代後半の頃、神楽坂に今もある出版社でバイトをしていた時期があるのだが、その時の知り合いが、僕の『冬の旅』を読んでくれて、感想と一緒に当時の写真を送ってくれたのだった。

バイト仲間と一緒に写っている僕は、27歳くらいだろうか。今よりさらに数キロ痩せていて、世間知らずでクソ生意気そうな顔をしている(苦笑)。実際この頃は、いろいろ鬱屈してて、性格もねじくれていた。今の自分の仕事につながるような技術も経験もアイデアも何もなくて、「自分は必ず何か成し遂げられるはずだ」という自信と、実はその自信には何の根拠もないとうっすら気付いている不安しかない頃だった。

あれから20年以上の歳月が過ぎ去って、今の僕は……どうなんだろう。これからの僕は……どうなるんだろう。

嘘は身を滅ぼす

嘘は、つくのも、つかれるのも、嫌いだ。嘘をつくことで物事がうまく運ぶなんてことは、まずない。せいぜいその場しのぎにしかならなくて、後になって嘘がばれたら、倍返しで酷いことになる。

去年、仕事で信頼していた人たちに、嘘をつかれた。彼らは僕の知らないところで、僕が何年も前からこつこつ積み重ねてきた仕事に直接ぶつかるようなことを仕組んでいた。第三者からその話を聞いて抗議すると、「その話は白紙に戻す」「人間関係を壊してまですることではない」とその人たちは言った。しかし、彼らはそれを白紙に戻したりせず、裏でこっそり準備を続けていた。僕を利用するだけ利用して、僕が彼らとの仕事を中止するなどして抗議することができないタイミングになって、すべてをひっくり返した。

思い返しても、つくづく、酷い話だ。

僕は彼らとの関係を断ち、別の会社とその仕事を継続することにした。それまでの仕事を通じて出会った大勢の顧客の方々とのつながりは、今も健在だ。同業者の友人たちとの関係も良好だと思う。

一方、僕に嘘をついていた人たちは、経費を差し引くとおそらくごく僅かであろう利益と引き換えに、僕の存在を介してつながっていた顧客の方々や、同じく僕を介してつながっていた関係者からの信頼を、ごっそり失った。どうして彼らは、あんなやり方をしたんだろう、と思う。その場しのぎの嘘をつき続け、ナアナアのなしくずしで乗り切ることなんて、できるわけがないのに。

だから僕は、嘘を、つくのも、つかれるのも、嫌いなのだ。

切れる縁、切れない縁

子供の頃は、友達と何かでもめてケンカしたりしても、割とすんなり仲直りできていたように思う。

ケンカした後もこじれたままになるようになったのは、高校生くらいからだろうか。それなりに頭がよくなって、自分の行動に理屈をつけられるようになったからか。相性のよくない人とはある程度距離を置く、という小賢しい方法も使うようになった。

大人になってから知り合った人とも、何かのきっかけで、うまくいかなくなることが時々ある。ふりかえってみると、僕の場合はほとんど、仕事で繋がりのあった人とのトラブルだった。

自分が大切にしている仕事に関して、不義理なこと、筋の通らないことをされたなら、たとえ相手が企業だろうが何だろうが、黙って受け入れるわけにはいかない。相手が自身に非があると認めないのであれば、それまでと同じように仕事のやりとりを続けていくことはできない。謝ろうとしない相手を許すことなど、できるわけがない。

子供の頃のように、感情的な好き嫌いとか、お互いのどこが悪かったとか、単純にわかりあえるなら、謝ることも、許すことも、簡単なのだろうなと思う。とかく大人は、自分で理屈をつけて言い訳してしまうから、めんどくさい。そういう人を相手に、個人事業主としてまっとうに筋を通して生きていこうとするだけでも、むつかしい。

その一方で、これはもう切れてしまうかなと思っていた縁が、切れずに繋がり続けたという経験も、少ないながらある。それはたぶん、お互いがお互いにとって大切な存在だったから、それぞれが少しずつ歩み寄って、繫ぎ止めることができたのだろうと思う。逆に言えば、何かがあっても歩み寄ろうと思えない間柄は、遅かれ早かれ、離れていくということなのだろう。

切れる縁は切れるし、切れない縁は切れない。そういうものなのかなと思う。

留守番二日目

東京の自宅での留守番、二日目。

昨日の夜は、ジントニックを3、4杯すすりながらネットを見てるうちに、結構夜更かししてしまった。それでも朝の10時には蒸し暑くて目が覚めてしまったけれど。今日も朝昼兼用にそうめんを作って食べ、アイスコーヒーで脳をしゃっきりさせてから、原稿に取り組む。長さ的には短いが、重要な序章。じりじり、じりじり、少しずつ、言葉の形を削り出していく。

夕方までにきりのいいところまで進めることができた。身支度をして、電車に乗って銀座へ。今は米国で暮らしている友人一家が、ヴィザの再取得のため一時帰国していて、彼らを囲んでの宴に呼んでいただいたのだ。ひさしぶりに会った彼らは、いい意味でまったく変わっていなくて、過ぎ去ったはずの時間さえまるで嘘だったかのように感じた。二人のお子さんもすくすく育っているようで、本当によかった。

そろそろ台風の影響が出始めるのかな。明日も原稿、がんばらねば。

山あり谷ありの中で

どうも、2019年という年は僕にとって、異様に浮き沈みの激しい、山あり谷ありな年になってしまっている。

年の初めに割と(かなり?)厳しめの取材をして、どうにか無事切り抜けたと思ったら印パ武力衝突でその後の取材を邪魔されて。去年から準備していた企画を春先から着々と発表していって、ここからアゲアゲだと思ってたら、そこから二度三度とひっくり返され、最終的に全部徒労に終わって。何か致命的なミスをやらかしただろうか、と自分で自分を省みてみたが、どう考えても何から何まで外的要因に振り回されての結果のようなので(苦笑)、自分ではお手上げというか、やれやれとため息をつくしかない。

それでも、以前相方に言われた「見てる人は、ちゃんと見てる。わかる人には、必ずわかる」という言葉がまったくもってその通りだったことは、身をもってしみじみ実感している。どうにもならない理由でしんどい思いをしていた時、僕なんぞに、どれだけたくさんの方々が優しい言葉をかけてくれたことか。本当に心の底から、ありがたいなあと思う。

そうした方々の思いにほんの少しでも報いるためにも、僕はこれから己の全力を賭して、新しい本に取り組む。必ず良い本にしてみせる。それが僕の役割だ、と思う。