日常を撮り続けた人

一昨日の月曜は、昼過ぎから渋谷で打ち合わせが入ったので、午前中のうちに家を出て、同じ渋谷で開催中の「永遠のソール・ライター」展を見に行った。平日の午前中なら空いてるだろうと予想していたのだが、思いの外、人が多い。みんな、じっくりと展示に見入っていた。

ソール・ライターのことを知ったのは、2015年の暮れに彼についてのドキュメンタリー映画を見てからだ。2017年には最初の回顧展が行われて好評を博し、今回の写真展はその第二弾になる。一時間半ほどかけて、ゆっくり展示を見させてもらって感じたのは、「同じだなあ」ということ。もちろん、展示作品はほとんど入れ替わっているのだが、一つひとつの作品の根底にある本質は、まったく変わらず、ぶれていない。

彼は、彼を取り巻く日常を、ただただ愛していたのだと思う。商業写真家からの引退後、彼が54年間撮り続けた、ニューヨークのイースト・ヴィレッジでの日常を。妹のデボラや、生涯のパートナーとなったソームズなど、近しい人々と過ごす時間を。日常へのゆるぎない肯定が、彼の写真の本質なのだと思う。

自分も、もっと頑張ってみようと思う。撮ることも、書くことも。目の前の日常にも、遠い空の下の日常にも、見つめるべきことは、まだまだ、たくさんあるはずだ。

MからLへ

近頃、服のサイズが、だんだん大きくなりつつある。

たとえば、ジーンズ。二十歳前後の頃のウエスト28インチとかは、もちろんとうの昔に無理なのだが、それでも十年くらい前までは余裕を持って穿けていた30インチのジーンズが、今ではぴったりというか、あまり余裕のないサイズ感になってしまった。最近は32インチくらいのを選んでいる。

下半身よりもやばいのが上半身で、昔は普通に着られていたシャツも、胸まわりが微妙にきつい。TシャツはMサイズだとピチピチになってしまうので、最近はLサイズを買うようになった。冠婚葬祭用に買って、しばらく着ていなかったワイシャツに至っては、ボタンを閉じてからフンッと胸を張ると、ボタンが全部ちぎれ飛びそうなくらいの小ささになってしまっていた。ひさしぶりに着てみた時、何の冗談かと思った。やれやれ。

日頃の自体重エクササイズのおかげか、腹回りがだぶついたりしてるわけではないのだが、それでも、歳を取るにつれて身体がおっさん的にサイズアップしていくのは、避けようがないのかもしれない。少なくとも、ぴったりサイズを着こなす若さと勇気は、もうとっくにない(笑)。

重箱の隅をつつく

毎日、ひたすら、本の原稿の推敲作業に、没頭している。

内容的な面での見直しは一応終わっていて、今週からは、より細かい部分に焦点を合わせた見直しに取り組んでいる。具体的には、草稿のテキストファイルを画面左に置き、中央に新しいファイルのウインドウを開いて、最初から一文字ずつ、草稿を見ながら打ち直している。表記がばらつきがちな単語は、画面右に置いたもう一つのファイルのウインドウに表記をメモしていく。11万字をゼロから打ち直すので、手間は恐ろしくかかるのだが、自分的には、一番いいやり方だと思っている。

ゼロからテキストを打ち直していると、草稿を目で読み返していただけでは気付かなかった、細かい修正点に行き当たる。たとえば、空港で飛行機から滑走路に下りる場面で、草稿では「タラップを降りて、機外に出る」と書いていたのだが、よく考えると、タラップを降りる前に、すでにドアから機外には出ているわけだ。「機外に出て、タラップを降りる」とした方が、より矛盾のない描写になる。こういう、文字通り重箱の隅をつつくような細かい修正点を洗い出して、納得がいくまで直していく。それが、僕の推敲のやり方だ。

ひたすら重箱の隅をつつきまくって、原稿の精度を上げていく。本を一冊書くのも、なかなか、しんどい。

「Simmba」

台湾からの帰りの飛行機の機内で、インド映画「Simmba」を観た。「ガリーボーイ」の公開で日本でもよく知られるようになったランヴィール・シンが主演。監督は「チェンナイ・エクスプレス」のローヒト・シェッティー。

身寄りのない孤児として育ったシンバは、幼い頃からの「警官になって権力を握る」という夢を実現し、警部としてやりたい放題の放埒な日々を送っていた。赴任先のミラマーでも、地元の黒幕ドゥルバーの悪行を黙認どころか加担までする始末。しかし、妹のように目をかけていた医学生アクリティの身に起こった事件を機に、シンバの生き様も大きく変わることになる……。

今回のランヴィールは、珍妙な髭をたくわえ、軽妙な台詞をマシンガンのようにまくしたてる、コミカルな役。「ガリーボーイ」のムラドとも、「パドマーワト」のアラーウッディーンとも全然違う役で、ある意味、CMの「チンさん」に一番近い(ローヒト・シェッティーも以前このCMの監督を担当しているし)。この「Simmba」でも、軽薄ながらもキメる時はキメてくれて、観終わった後にすっきりさせてくれるような役回りなのかな、と思っていたのだが、さにあらず。

インドではしばらく前から、フェイク・エンカウンター(偽装遭遇戦)という事象が社会問題になっている。警察や軍が、犯人が刃向かったとでっち上げて、自分たちで超法規的に粛清してしまうというものだ。理由は、凶悪犯罪だが裁判による立証が難しいとか、警察や軍にとって都合の悪い犯人の口封じとか、いろいろあるようだが、いずれにしても、まっとうな方法ではない。去年の暮れにも、ハイデラバードで起きた集団レイプ殺人事件の犯人4人が、現場検証に連れ出された際に「警官から銃を奪って発砲したため」その場で射殺される、という事件が実際に起こったばかりだ。

ネタバレになるので詳細は書かないが、「Simmba」では終盤、フェイク・エンカウンターによる粛清を礼賛していると受け取られかねない展開があって、観終えた後の後味は、正直言ってすこぶる苦い。娯楽映画なのだから、もっとまっとうに、知恵と勇気と人情で逆境を跳ね返す展開にできなかったものか……。そのあたり、かなり残念だった。

馴染み深い国

1月5日から11日まで、台湾を旅してきた。

旅の目的は、南部にある霧台郷という場所の取材。外部から依頼された取材ではなかったので割と気楽ではあったものの、台北、高雄、霧台、高雄、台北と各一泊ずつの駆け足の旅だったので、小さな霧台はともかく、台北や高雄のような大きな街を見て回るには時間がなさすぎた。

それでも、台湾という国はとても魅力的だった。海を隔てているのに、まるで日本と地続きの場所のように気安く行ける国。初めて来たのに、昔からとてもよく知ってるような馴染み深さのある国。現地で使われている繁体字は、日本人が見れば何となく意味がわかる。駅でも店でも宿でも、流暢な日本語を話せる人はとても多い。そういうコミュニケーションの敷居の低さも、日本人にとっては近しい国に感じられる理由だろう。あと、台湾には日本の文化が好きな人が多いそうで、街の中には日本の商品や広告、漫画やゲームのビジュアルがあふれていた。

個人的には、今の日本よりも台湾の方が、よほど健やかでまともな社会を育んでいるように感じた。今の日本に蔓延している、先の見えない閉塞感、当然の正義が通じない不条理、どうせ何も変えられないという諦めといった雰囲気は、台湾にはない。昨日投開票された台湾総統選の投票率と結果が、それを証明している。

仕事でも、仕事でなくても、また行ってみたいなあ、と思える国を、一つ知ることができた。