自分の仕事

行きたい場所へ行く。見たいものを見る。会いたい人に会う。撮りたいものを撮る。書きたいことを書く。そして、作りたい本を作る。

ここ十数年ほどの間、自分がしてきた仕事をふりかえると、ただただ、単純に、こういうことをくりかえしてきたのだな、と実感する。これだけ自分本位にやりたいことをやってきて、それで報酬をもらって生活できていたというのも、ある意味、恵まれていたというか、幸運だったのだと思う。

昨年来のコロナ禍で、もうしばらくは、手元にストックしている素材を仕事に変えたり、国外へ行かなくても実現できる仕事をつないだり、という時期が続くだろう。ただ、それも未来永劫に続くわけはないので、需要の揺り戻しは必ず来る。その時、自分に何ができるか。何をすべきか。きちんと考えて準備しておかなければ、と思う。

入念に策を練って、準備を整えて、その時が来たら、出すべき力を出して、成果を確実に掴み取る。幸運をアテにするのではなく、自分の力で。

書き手から編み手へ

今年の初夏に出す予定の新しい本。草稿を書き上げてから1カ月ほどかけて、推敲とリライトに取り組んできたものが、とりあえず完成。各種素材と一緒にまとめて、担当編集さんに送信。

去年の夏の終わりから、かれこれ半年ほど費やして書き続けてきた原稿が、ようやく手を離れたので、ものすごくほっとした。書き終えてしまった、という一抹の寂しさはあるけれど、読んでいただくに足る本を書かなければ、というプレッシャーもそれなりにあったので。

この後は、担当編集さんとデザイナーさん、校正者さんとともに、本格的な編集作業が始まる。僕自身も、書き手から編み手の一人に立場を切り替えて、本を仕上げていく工程に関わっていく。一行々々、一字々々に神経を使う工程になるけれど、本が形作られていくのを目の当たりにできる、楽しみな工程でもある。がんばろう。

……と、その前に、確定申告を済ませておかなければ……(汗)。

長粒米を炊く

自宅でルーを使わずにスパイス主体でカレーを作るようになって、一年半くらい経つ。だいたい週に一度、金曜日にはカレーを作るようにしていて、カレーも副菜も、それなりにレパートリーが増えて、味もだんだん安定してきた。最初は何が何やら全然わからずに使っていた各種スパイスの特徴も、少しずつわかるようになった。

で、最近はついに、自分でビリヤニを炊くようにまでなってしまった。

ビリヤニというのは、ざっくり言うと、長粒米のバスマティライスを、スパイスや肉や野菜のグレービーと一緒に炊き込んだ料理だ。インドでも、地域によっては短粒米を使うところもあるし、調理法もさまざまなのだが、ちょっと贅沢なごちそうとして作られることが多い料理なのは、だいたい同じ。つまり、作るのに結構手間がかかる。かいつまんで言うと、まずカレーを作る要領でグレービーを用意し、バスマティライスを半炊きし、グレービーとバスマティライスを重ね合わせて、炊いて蒸らす。うちの場合、肉をマリネしたりする下ごしらえを含めると、2時間半から3時間はかかる。なので、ビリヤニを作ると決めた日は、かなり気合が要る(笑)。

でも、いい感じで炊き上がったばかりのビリヤニを、さっくり混ぜて盛り付けて、はふっと頬張った時の香りとうまみには、たまらないものがある。ほんと、なんでこんなにうまいんだろう。日本にも炊き込みごはんの類はいろいろあるが、それとはまた全然違う種類のうまさだ。

違いを生み出している一番の要因は、やはり、米だと思う。バスマティライスやタイのジャスミンライスのような長粒米は、日本の米よりも粘りが少なく、炊いてもさらっとしている。それをグレービーと合わせて炊き込むと、うまみがほどよく沁み込んで、しかも(うまく炊けば)べしゃべしゃにならない。そして、長粒米自体の独特の香りとスパイスの香りが相乗効果を醸し出す、というわけだ。

タイなどでよく食べられているカオマンガイ(海南鶏飯)も、長粒米のジャスミンライスを鶏のスープで炊くからこそ、あの味が出せていると思う。実際、家で日本米とジャスミンライスでカオマンガイを作り比べると、作り方にもよるのだろうが、後者の方が断然うまい。

バスマティライスは現地でも高級品なので、取材でインドにいる時も、たまにしか口にする機会はないのだが、自分でビリヤニを炊くようになってみて、あらためてその価値を実感できたような気がしている。

この間、バスマティライスを補充しておいたので、そのうちまた炊いてみようと思う。ビリヤニを。気合を入れて(笑)。

あれから十年

昨日の夜は、割と大きな地震があった。震源地は福島県沖で、福島や宮城では震度6強を記録し、あちこちで被害が出たらしい。

東京も震度4くらいで、西荻に越してきて以来、一番大きな揺れを感じた地震だった。ものが落下するとかは特になかったけれど、揺れている時間がいつもより長いなあ、とは思った。まあ、三鷹に住んでいた十年余りはマンションの1階で、今の西荻の部屋は4階建ての3階だから、同じ震度でも揺れは大きめに感じていると思う。

三鷹に住んでいた、2011年3月11日。あの時、部屋で感じた揺れも、机の上のカップからコーヒーがこぼれるくらい大きかったし、何より揺れの続く時間がいつになく長かったことに、不安を感じた。昨日の地震で思い出したのは、あの十年前の地震の、揺れていた時間の長さだ。明らかに普通じゃないぞ、という感触があった。それからのてんやわんやの日々は、言うに及ばず。

あれから、もうすぐ十年。地球が、ほんのちょっとでも気まぐれを起こせば、いつでもまたああなりうるということを、すっかり思い出させられた気がする。

人間は、ほんの芥子粒のような存在でしかないのかもしれないけれど、油断せず、過信せず、できる範囲で、精一杯、生きていこう。

最初の読者

昨日は都心で打ち合わせ。出版社の編集者さんと、今年の夏に出す予定の本について。

本は、人によっていろいろな書き進め方があると思うが、僕の場合、書き上げた草稿に最初に目を通してもらうのは、担当の編集者さんになる。もちろん、草稿を読んでもらった後に修正が必要な部分をあれこれ相談して、推敲とリライトで文章を仕上げていくのだが、僕以外の人間で新しい本に目を通す最初の読者であることには変わりない。

だからいつも、草稿を書き上げた後の打ち合わせでは、どんな感想や意見を言われるのか、実はめちゃくちゃ緊張する。これまでそれなりの数の本を書いてきているのに、だ。自信がないというか、小心者というか、何というか……。自分なりの信念を込めて、全力を傾けて書いてきたからこそ、かえって怖くなるのかもしれない。

今回の本の草稿を読んだ担当編集さんの感想は……ここでは書くのを止めておこう。これから丁寧に、手を抜かずに編集して、きちんと本に仕上げてから、読者の方々一人ひとりに、委ねたいと思う。