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レイアウトラフ

終日、部屋で仕事。今作っているラダックの本の、本編のレイアウトラフを描いていく。

レイアウトラフは、完全にそのまま誌面に反映されるわけではなく、デザイナーさんの裁量にお任せする部分も多々あるわけだが、それでも、映画で言えば絵コンテに相当する大事な部分。頭の中で実際に本をめくっている様をイメージしながら、慎重に検討して描いていく。最近はIllustratorなどを使ってデジタルでラフを描く人もいるが、僕は手描きの方が性に合う。リテイクも多いし(笑)。今回の本の場合、ある程度レイアウトラフを形にしておいてから、それに合う文字数で原稿を書いていくという手順になる。

夕方に郵便局にメール便を出しに出かけ、ついでにココイチでカツカレーを食べて帰り、再びラフ描きに没頭。気がつけば、日付が変わっていた‥‥。一人の戦い、まだまだ続く。

苦を楽しむ

午後から氷雨が降り出して、寒い一日だった。

終日、部屋に籠って、ラダックの本の作業に取り組む。制作の手順の関係で、まずは本に収録する地図に必要な素材やデータの準備から。地図の作成自体は本職の方にやっていただくので、作成したい範囲を指定する画像や、その中に含まれる地名などのテキストを揃えていく。

ちまちまと細かい、果てしもなく地味な作業。他の人なら、退屈でメンドクサくてやってられない作業だろう。同じ場所なのに、地図によって地名が全然違うとかざらだし(苦笑)。でも、僕にとっては、こんな地味な作業でさえ、楽しくて仕方がない。自分自身がありったけの思いを込めて育ててきた企画に、やっと本腰を入れて取り組めるのだ。楽しくないわけがない。

苦を苦とも思わずに楽しめる。そこが、自分自身で立てた企画に取り組める時の醍醐味かもしれない。

桜の花が咲く頃に

午後、赤坂で打ち合わせ。これから作る新しいラダックの本について、担当編集者さんから現在の状況を聞き、細かいポイントをすり合わせていく。

基本的な条件面は申し分ないし、本づくりの方針についても、編集者さんと共犯関係が築けたので、いい方向に向かっていけそうな手応え。問題があるとすれば、スケジュールか‥‥。プロモーションの関係で、来年の初夏までに店頭に並べたいという要請。なら、もっと早く企画を承認してくれればよかったのに(苦笑)。まあ、やるしかないか。

打ち合わせが終わった後、赤坂から四ッ谷駅まで歩く。西の空が、燃えるような真紅に染まっている。土手の上の桜並木は、今はすっかり冬枯れだけど、桜の花が咲く頃には、新しい本のカタチができているといいな。がんばらねば。

オリヴィエ・フェルミ「凍れる河」

ラダックやザンスカールをテーマに撮影に取り組んでいるフォトグラファーは大勢いるが、オリヴィエ・フェルミはその中でも間違いなく第一人者だと思う。レーの書店の一番目立つ場所には彼の写真集が平積みにされているし、毎年夏になると大勢のフランス人がザンスカールを訪れるのは、ひとえに彼の写真の影響によるものだ。

この「凍れる河」は、1990年にワールド・プレス・フォト賞を受賞した写真集の邦訳。ずっと前から絶版になっていたのだが、状態のいい古本をようやく手に入れることができた。

ザンスカールのタハンという村で生まれ育った幼い兄妹、モトゥプとディスキット。フェルミたちの援助で、二人はレーにある寄宿学校に行くことになった。兄妹は父親のロブザンとともに、氷の河チャダルを辿る旅に出る——。

A5サイズの上製、150ページ足らずの小さな写真集。だが、この「凍れる河」の中には、ザンスカールの自然と人々に対するフェルミの想いが、あふれんばかりに詰まっている。ダイナミックな構図で切り取られた、鮮烈なコントラストの写真の数々。短くシンプルだが、寄り添うような情感を感じる文章。途方もなく寒いはずのチャダルの写真ばかりなのに、ページをめくるたび、心がふわっと暖かくなるのは何故だろう。

フェルミは若い頃、登山家を目指していたそうだが、山の頂に登るより、谷間に暮らす人々の穏やかな微笑みに惹かれるようになったのだという。自分が惚れ込んだ場所を、とことん時間をかけて取材し、その地に生きる人々との心の絆を深めていく。だからこそ、フェルミはこういう写真と文章をものにできたのだと思う。僕自身、取材に対する彼の真摯な姿勢には、学ぶべきところが多いと感じている。

余談だが、この本の主人公の一人、モトゥプは僕の大切な友人でもある。レーの街のフォート・ロード沿い、チョップスティックスというレストランの隣にある、オリヴィエ・フェルミ・フォトギャラリーに行けば、大人になった彼が笑顔で出迎えてくれるはずだ。

やってみたいインタビュー

先週取材した分の原稿を編集者さんに送り、チェックに合わせて修正して、無事に納品。取材から執筆まで、かなりきわどいスケジュールだったが、どうにか責任は果たせた。

インタビューを基に原稿を書くという仕事は、かれこれ十数年やってきている。使っている録音機材も、今でこそICレコーダーだが、昔は古式ゆかしいテープレコーダーだった(笑)。とはいえ、やっている作業自体はそれほど変わらない。相手について下調べをし、原稿の仕上がりをイメージしながら質問項目を考え、相手のテンションを窺いながら、話を妨げないように、でも脱線しすぎないようにインタビューをコントロールする。取材が終わったら、ノートと録音データを突き合わせて話を整理し、文章の「流れ」を組み立て、コツコツと書き進め、推敲を繰り返して仕上げる。ライターという肩書のイメージより、はるかに地味で単調な仕事だ(苦笑)。

それなりに場数を踏んできたこともあって、インタビュー記事を書くという仕事には、ある程度習熟できたかなと思っている。ただそれは、完全に自分の存在を消した「黒子」の立場からのインタビューに限定されているとも思う。たとえば、「リトルスターレストランのつくりかた。」は、僕にとっては黒子に徹したインタビューの集大成みたいなものだった。

でも最近は、そうでないインタビューをやってみたいという気がむくむくと湧いてきている。黒子ではなく、僕という人間の存在や意志を明らかに感じさせる形で、相手に対峙するインタビュー。もちろん、それは相手をかなり選ぶことになるだろうが、だからこそ引き出せる言葉もあると思うのだ。そういう挑戦をする機会を作り出す努力はしていかなければと感じている。

というわけで、「インタビューしてよ!」という奇特な方、お待ちしています(笑)。