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何気にいろいろと

この春の取材ラッシュのピークは過ぎたが、かといって暇になったかといえば、まったくそうではない。時間的に切迫したきつい作業はとりあえず片付いたけど、細々とした、でもそう悠長に構えてもいられないミッションが、何気にいろいろと待ち構えている。

今日は一日家にいたのだが、昼からずっと、あちらこちらに電話をかけたりメールを送ったり、返事が来たらその返事を書いてるうちに別のメールが来たりして、結局夜になるまで、取材原稿にまったく着手できなかった。これからしばらくはこの調子で、無数の細かいミッションに追われながら、その合間を縫って原稿を書いたり、ゲラをチェックしたりということになるのだろう。

とにもかくにも、せわしない。いつになったら、解脱できるのだろう‥‥。眠い。

中間地点

11時間か12時間、ひたすら眠り続けた。昼過ぎにようやく寝床から起き上がると、身体の後ろ半分が、バッキバキに凝っていて痛い。シャワーで身体を温め、コーヒーをすすると、少しずつ人心地がついてくる。

昨日の取材を終えて、この春でフィジカル的に一番きつい時期はどうにか乗り越えた。もちろん、取材をしたら書かなければならないわけだが、〆切を先に延ばしてもらうようにあらかじめ交渉しておいたので、そこまでスケジュールが切迫しているわけでもない。もちろん、ゴールデンウイークも普通に家で仕事をするという前提での話だが(苦笑)。

今作っている新しい本の作業も、全体のスケジュールで言えば中間地点というところ。掲載する素材がほぼ出揃い、これから編集作業が本格化する。当面の目標は、6月20日に予定している印刷所へのデータ入稿までに、すべてのページの制作を間に合わせること。

気が抜けない日々が続くが、ここからが編集者の仕事だ。

おいしいもの

今日は朝から晩まで、ずっと取材。朝イチで渋谷、そこから向ケ丘遊園に移動し、夜は神保町。取材件数が多い上に、移動も伴う。おまけに、春なのを忘れたような冷たい雨と風。今月に入って一番きつい一日だった。

それでもどうにか乗り切れたのは、一本目の取材の後、移動前に公園通りのマメヒコで、おひるを食べることができたからだと思う。ポット入りのコーヒーと、BLTサンドイッチ。店内はほぼ貸切状態で、窓辺から道行く人々を眺めながら、コーヒーをすすって、しばし気持を落ち着かせることができた。もし、メンドクサがってコンビニかハンバーガーですませてたとしたら、後でもっと消耗していただろう。

おいしいものって、人を支えてくれるものなのだな。しみじみうまかった。

澱が溜まる

朝からあたふたと連絡業務に追われ、昼からは、鷹の台近辺での取材。どうにか今日もやりおおせて、駅に向かって歩いていると、急に身体がだるくなり、頭がずきずきしてきた。

額を触ってみても、熱はなく、むしろ冷たいくらい。これはもう、単なる疲労だな‥‥。先月以来の取材と執筆のくりかえしで、疲れが澱のように溜まってきていたのだろう。睡眠も栄養も気を配ってはいたが、すり減る神経はなかなかリカバーできなかったようだ。

とりあえず今日は、さっさと寝る。明日は6時起きで、朝から夜まで移動しながらの取材。何とか生き延びよう。

論理と熱意

午後、八王子で取材。三鷹から電車に乗ってすぐ、取材の開始時間が一時間ずれるという連絡が届く。間が悪いったらありゃしないが、仕方ない。八王子の駅前でしばらく時間をつぶす。

取材自体は、今日はまずまずうまくいったと思う。相手はものづくりについて教える立場の方々だったのだが、何かを作ること、それを教えることへの熱意と信念のようなものが、言葉の端々からびしびしと伝わってきた。そういう言葉は生きているし、力がある。ライターとしては書きがいのある取材になった。

以前、法律を教える立場の人が、法律を勉強すれば、プロの法律家にならなくても、社会のさまざまな場面で論理的で説得力のある言葉を操れるテクニックを身につけられる、という意味のことを言っていた。それも一理あるのかもしれないが、僕にはそれがあまり響かなかった。論理があれば、人は説得できるのかもしれない。でも、論理だけでは、本当の意味で人の心までは動かせない。心を動かすのは、熱意とか、信念とか、そういう形のない、でも誰の中にもあるはずのものではないだろうか。

結局、僕らはみんな、人間なのだから。