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ほっと一息

去年の11月から書き続けていた、新しい本の原稿。昨日の夕方、予定していた最後のあとがきまで到達して、草稿がとりあえず完成した。

ほっとしたなあ、というのが正直なところ。前作よりやや少ないとはいえ、全部合わせて9万字にもなる原稿だったので、最後までぶれずにちゃんと書き上げられるのか、それなりに不安もプレッシャーもあった。自信は、今もあまりない、というか、ますますなくなっている。人に読まれるのが正直怖い(苦笑)。

でもまあ、本職である以上、そんな泣き言も言ってられないので、これからは粛々と、推敲とリライト、そして編集作業に取り組んでいこうと思う。良い本にせねば。

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谷崎潤一郎『文章読本』、三島由紀夫『文章読本』、ともに読了。最近は、文章や写真の基本的な技術について、自分の状態をしっかり見直していこうと思っている。そういう目的で読むには、この二冊はとても良かった。どちらの本も、日本語で書く文章の特性をきめ細かく分析した上で、より良い文章を書くための心得を丁寧に説明してくれている。自分がこれまで感覚的に身につけていたことを論理的に裏付けしてもらえたり、あやふやになりがちな部分を整理してもらえたりといった収穫があった。変に今風の文章術の本を読むより、この二冊の方が、よほどためになると思う。

ゴールは何処に

年が明けてから、かなり根を詰めて、本の原稿を書き続けてきた。そのせいで、一昨日あたりは疲労困憊MAXな状態だったが、作業自体はかなり先が見えてきた。草稿が完成するのは、たぶん二月上旬頃になるだろう。

ただ、今回の本の場合、草稿が完成した後の作業をどう進めるかで、少し悩んでいる。今回は、あるテーマに沿ったエピソードを集めた短編集のような趣向の本なのだが、一冊の本として全体をどうまとめあげるか、大きな構成の検討から細かな表現の調整まで、詰めていく余地がかなりあると感じている。こだわればこだわるほど、完成度は上げられると思うのだが、どこまでやればいいのか、ゴールを何処に設定すればいいのか、自分の中でも確信が持てないでいる。

なんだかんだで、草稿を書き上げた後も、あーだこーだと悩み苦しみ続ける日々が続くのだろうな……。毎度のことではあるが。

今までも、これからも

昨日の夜は、『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』が受賞作に選ばれた、第6回「斎藤茂太賞」の授賞式だった。受賞が決まったのが7月上旬で、それからかなり間が空いてしまったが、今年の夏の日本の惨憺たる状況を思い返すと、授賞式が中止にならなかっただけでも幸運だったのかもしれない。

授賞式の壇上で僕が話したスピーチの全文はDays in Ladakhの方に載せてあるが、ああいう場を経験して、あらためて、自分が本を作る目的について、色々考えさせられた。

今までも、これからも、僕自身が、何かの賞や栄誉を得ることを目的として自分の本を作ることは、金輪際、ないと思う。ただ、今回の『冬の旅』のように、何かの成り行きで他の人が書いた本と同じ俎上に上げられて比較されるようなことは、これからも起こり得るかもしれない。

仮にそういう状況になった時、自分の本がどのような評価を受けるにせよ、他の人の本と並べて評価されても恥ずかしくないような本を作っておかなければ、と思う。そしてそれは、やっぱり今までと同じかそれ以上に、一文字一文字に真心を込めて本を作り上げていくことでしか達成できない。

何かの評価を受けるということは、その後のハードルが、一段高くなるということだ。周囲にとっても、自分自身にとっても。

日々是原稿

二週間半ほど前から、新しい本の原稿の執筆に、本格的に突入した。

自宅では相方がリモートワークをしなければならないので、僕は隣駅の吉祥寺にあるコワーキングスペースのブース席で、十時半から五時頃まで、原稿を書いたり、推敲をしたり、といった作業をしている。自宅ではない場所での執筆にも、だいぶ慣れてきて、割とちゃんと集中できるようになった。マスクをしなければならないのが、だいぶ鬱陶しいけれど。

とはいえ、まだ二万字くらいしか書けてないので、この先の苦難を想像すると、ちょっと茫然としてしまう。自分の書く原稿が、本当にこれで大丈夫なのか、ベストの形なのか、最終的に判断できるのは自分しかいない。絶対に手は抜きたくないのだが、逆に、どのレベルに到達すれば自分で自分にOKが出せるのか、自信も確信も正直言って全然ない。どうすればいいのかなあ……毎度のことではあるのだが。

とはいえ、逃げることもできないし、やれるだけ、やるしかないか。よし、やろう。

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川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』読了。白鳥建二さんという全盲の美術鑑賞者の方と全国各地の美術館を巡るという本なのだが、読み始めからは想像できないくらい、僕たちが常識と思い込んでいるところとは違う領域に踏み込んでいく。僕たちはこの世界のありようも、互いのことも、本当には何一つわかっていないのだけれど、そのわからなさを抱えたまま、互いが互いを少しずつ思いながら、同じ列車で何処かに向かっているのかもしれない。読み終えた後に、そんなぬくもりがふわっと残った。

通勤生活

今週から、ある種の通勤生活を始めることになった。前に一度、お試しで利用した吉祥寺のコワーキングスペースを、しばらくの間、平日の日中限定のプランで月極契約して使っていくことにしたのだ。新しい本を少なくとも一冊、来年出すことが決まって、そろそろ本格的にその執筆に取り掛からなければならないので。

西荻窪から吉祥寺までは、天気がよければ歩いていく。バッグには、ノートPCとその日必要な紙の資料(昔のノートなど)。行きしなにコンビニでサンドイッチや無糖カフェオレとかを適当に買い、コワーキングスペースのブース席に籠って、ひたすらカタカタ、PCのキーボードを叩く。夕方頃まで作業して、また歩いて西荻窪まで戻り、家で晩飯の支度をする……といった具合。

実際にやってみると、いろいろ新鮮。取材以外のデスクワークで別の作業場に通うというのがまず自分的にはとても珍しいし、コワーキングスペースのブース席は必要十分なぼっち感があって(あと、場所代を払ってることもあって)作業に集中できる。これから数カ月間は、こんな感じで執筆を進めていこうと思っている。

執筆が佳境にさしかかったら、また旅館カンヅメ合宿もやろうかな。このめんどくさいご時世、自分なりに無理のない範囲で、楽しみながら働きたい。