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インタビューに事前準備は必要か?

最近、自分のクライアントの担当者や同業者の知人から似たようなことを聞いたので、それについてつらつらと。

僕のようなライターが、仕事で誰かにインタビューをしてそれを文章にする時、取材前にはあらかじめ、相手についてある程度下調べをしたり、質問項目のリストを用意したりする。ところが最近は、そういう事前の下調べをあえてせず、アドリブの質問でインタビューをするライターの方も結構いるのだという。

個人的には、「事前準備もせずにインタビューするなんてありえない!」と頭ごなしに否定しようとは思わない。予定調和を排除してアドリブによるライブ感を重視したいインタビューなら、事前準備をしない方がいい場合もあるかもしれない。そのライターの方に卓越した実力(インタビュー術、文章力、その他もろもろ)があるなら、下調べなしのアドリブスタイルのインタビューをしてほしいという依頼も来るのかもしれない。ただ、僕自身のライターとしての今までの経験から言えるのは、世の中にあるインタビュー案件のうち、そういう類の仕事はほんのわずかだ。下調べをしていなければ相手はすぐ気付くし、気分を害する人も少なくない。ほとんどの場合、手抜きとしてしか受け取られないんじゃないかと思う。

じゃあ、とことん徹底的に前もって準備をして、インタビュー本番は計画通りに質問を重ねていけばいいのかというと、それもちょっと違う。あらかじめ決めた質問をするだけなら、誰にだって、機械にだってできる。大切なのは、自分は(あるいは依頼元は)なぜその人に会いたいのか、自分はその人に何を聞きたいのか、その2点をきちんと考えて、はっきりさせておくこと。それさえぶれなければ、予備知識や質問項目はいったんポケットに入れておいても構わない。インタビューでは相手の表情や言葉に全力で集中しながら、時には臨機応変に質問を変えたり、話の流れを微妙に調整したりして、自分が会いに来た理由を相手に伝え、自分が聞きたいことの核心を相手から引き出し、あわよくばプラスアルファの何かをつかみとることを目指す。それが良いインタビューの条件だと思う。

ちなみに、まだ駆け出しのライターの方は、事前準備はしすぎるくらいしておいた方がいい。その誠実さはきっと相手にも伝わるはずだし、たとえ途中でちょっとバタバタしたとしても、どこかで心の通じ合うやりとりはできるんじゃないかと思う。そういう経験を少しずつ重ねていけば、アドリブの質問なんて、そのうち意識しなくても自然にできるようになるはずだ。ぶっちゃけ、アドリブ自体は別にたいした技術でもないと思う。

あとは、ひたすら丁寧に原稿を書く。がんばりましょう、お互いに。

春はゆるゆる

今日はほんとによく晴れて、暖かな一日だった。昼から青葉台の方に取材に出かけたのだが、歩いてるとあちこちで桜がふわっと花開いているのが見えた。一気にほぼ満開まで進んだようだ。

駅からバスに乗り換えて移動している間も、通りがかった公園では大勢の人が芝生に座って弁当を食べたり寝転んだりしてるのが見えるし、窓から差し込む陽射しにあたってると身体がぽかぽかして、もう、ゆるゆる(苦笑)。緊迫感も何もない状態になってしまって、我ながら大丈夫かと思ったけど、取材はどうにかしゃきっとやり終えた。

帰りの電車の中では、春めいた服装の若い女の子たちが、椅子にもたれ、ぽかんと口を開けたまま寝入っていた。

カラータイマー

かれこれ四年目になるが、今年も大学案件の繁忙期に突入。先週は4件、今週は5件、来週も5件。たぶんその先も、GWまでは同じかそれ以上の頻度で入りそう。毎年のことながら、なかなかしんどい。

取材したらしたで、原稿を書かねばならない。今日のように一日家にいられる時は、なるべく書き進めておきたいところなのだが、何しろ僕はぽんこつなので(苦笑)、ちゃんと集中して原稿を書いていられる稼働時間がかなり短い。だいたい2、3時間でカラータイマーが点滅しはじめて、いったん休止してから再開してみても、まあ、そう長くはもたない。

外での取材の合間にノマド環境でとか、隙間の時間を使って器用に原稿を書けるタイプではないので、今の時期は執筆時間を確保するのが本当に悩ましい。とはいえ、どうしようもなく疲れて眠たい状態では、書いてもろくな出来にならないわけで。締め切りとのぎりぎりの攻防が、しばらく続くことになりそうだ。

とりあえず、明日も朝から取材なので、今夜はさっさと寝る(笑)。

カメライターについての考察

最近、といってもここ一、二年くらいなのだが、初対面の人から仕事について聞かれて、「基本的には編集者兼ライターで、必要に応じて写真も撮ってます」と答えると、「ああ、カメライターなんですね」と言い放たれることが時々ある。

「カメライター」という言葉自体、微妙な造語だなと思うのだが、その使われ方も結構ネガティブというか、「写真と文章を両方できると売り込んで、安く仕事を取ってきてる、どっちつかずの連中」みたいなニュアンスの蔑称として使われている場合が多いように思う。特に同じ業界の人たちから。

僕自身に関して言えば、写真が仕事の範疇に入ってきたのは本当にたまたまだった。最初のガチな仕事が自分の初の単著に使う写真の撮影で、それも他に誰にも頼めなかったから(ラダックに一年半も住んでくれる人なんていない、笑)というだけのこと。その一回こっきりで終わらずに撮影や写真の貸し出しの依頼が続くようになるとは、想像もしていなかった。

文章についても、写真についても、自分の能力はどちらもまだまだだということははっきり自覚しているけれど、文章だけ、あるいは写真だけでも、仕事として依頼されれば、お金を受け取るのに恥ずかしくない結果を残す自信は、それなりにある。なければプロとは名乗らない。あと、少なくとも「写真と文章の合わせ技にできますから人件費をコストダウンできますよ」といったこすっからい売り込みは、僕は一度もしたことがない。もらえるなら倍もらうか、撮影は信頼できるカメラマンさんに依頼する。

実力のあるフォトグラファーの方々は、自分自身で語るに足る言葉を持っている。実力のあるライターさんたちは、何が大切かを見抜く目を持っているから、ペンをカメラに持ち替えてもそれを捉えられる。個人的には、「カメライター」という言葉自体、そのうちそういうポジションの人が当たり前になりすぎて使われなくなると思っているし、「カメライター」をよろず屋とみなしていた人も消えていくだろうと思っている。

要は、世間からどんな呼ばれ方をされようが、結果を出せばいいだけのことだ。