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朦朧としつつ

今朝は6時起き。9時から武蔵境で取材2件。終わった後に新宿に移動し、午後の取材の前にひさしぶりに麺通団でかまたまうどん。隣の席には、きゃぴきゃぴした女子高生のグループ。隔世の感……。

午後の取材が予想よりスムーズに終わったので、2時間半程度だったけど、写真展会場のリトスタに在廊。すると、去年のラダックツアーの参加者の方が一人でふらっといらっしゃってくれた。ひさびさにいろいろお話もできたし、がんばって在廊しててよかった。

家に帰ると、朦朧としながらも短い原稿をどうにか一本書き上げ、連絡業務をあれこれと片付ける。もう限界だ……しかし明日も朝から取材。毎年のことながら、今の時期はきつい。今年は他にもいろいろあるから、なおさら。

バスで取材へ

午後、調布で取材があったので、三鷹駅南口からバスに乗って向かうことにした。

この季節、郊外にある大学での取材に最寄駅からスクールバスなどで向かうことは時々あるが、自分の家からダイレクトにバスで、というのはかなり珍しい。暑く感じるほどの眩しい光が差し込む窓際の席で、タイヤとエンジンの振動を背もたれに感じながら、片道30分ほどの旅。

取材はつつがなく終わり、調布駅の近くで煮干しラーメンを食べ、帰りも再びバスに。たまにはこんな取材もいいもんだ、と思ったけど、夕方だったからか、帰りのバスは予定よりかなり遅れて三鷹駅に着いた。時間厳守の取材の時には、ちょっと気をつけなきゃだな。まあ、これから先、いつこんな取材が入るかわからないけど。

振り回される側

今日も昼は暖かくて、強くてぬるい風が吹いていた。今は風は止んだようだが、ぴしゃぴしゃと雨の音がする。

ここしばらく、本当にありえないくらい忙しい日々が続いていたのだが、ようやくここ2、3日、ほんの少し落ち着いてきたような気がする。まあ、多い時で7、8種類くらいの仕事という名の心配事を抱えていたのが、4種類くらいにまで減ったというだけのことだが。とりあえず、ほっとしてはいる。

編集者として仕切る側の方が、ライターやカメラマンとして仕切られるより大変だと思われがちだが、僕としては自分でいろんなことを把握して調整できる方が振り回されなくて済むのでありがたいと思っている。まあ、編集者の立場だったとしても、依頼元に振り回されまくって疲れ果てるというケースもあったけど(苦笑)。

好きなように旅をして、撮って、書いて、本を作る。もしそれだけで生きていけるなら、他に何もいらないとさえ思う。

「ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]」

ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]
文・写真:山本高樹
価格:本体1800円+税
発行:雷鳥社
A5変形判288ページ(カラー120ページ)
ISBN 978-4844136958

2009年3月に上梓した僕の最初の単著「ラダックの風息 空の果てで暮らした日々」が、カラー写真のページを倍増させ、書き下ろしのエピローグを加えた「新装版」として発売されます。ラダックについて書かれた本として、ラダックの写真集として、僕が当初から思い描いていた理想的な形に最も近い一冊になったと自負しています。

この本は、全国各地の書店やネット書店のほかに、3月末から5月末まで東京・三鷹で開催予定の写真展や、4月と5月に都内で開催する予定のトークイベント会場でも販売されます。写真展とトークイベント会場で購入してくださった方には、本には未収録のエピソードの小冊子と新旧表紙写真のポストカード2種を進呈します。そうした会場に足を運べない方には、ジュレーラダックの通信販売でこれらの特典を同梱した「ラダックの風息[新装版]限定特典セット」を提供しています。

僕にとって一番大切な、かけがえのない一冊になりました。よろしくお願いします。

五年、そして今思うこと

午前中、市ヶ谷で取材。終わった後、午後は荻窪の雷鳥社へ。新刊「ラダックの風息[新装版]」の見本誌をチェックして、自分用に数冊受け取る。ようやくこの瞬間が来た。本を作る時、この瞬間は毎回感無量だけど、この本は、準備段階から費やした時間も労力も、注ぎ込んだ思いも桁違いだから、その分、喜びもひとしおだ。いい本に仕上がったと思う。

五年前の3月11日、あの震災が起こって、あまりにも非現実的で理不尽にも思える惨事が報じられ続けた日々。お金を寄付してみたりもしたけれど、本当の意味で何をすべきなのかと考えた僕は、「自分が世の中に対してできることを精一杯やる」という選択に行き着いた。僕の場合、それは本を作ることだった。その年の夏、僕は取材費用を自腹で立て替えてラダックに飛び、「ラダック ザンスカール トラベルガイド」を作るための取材に取り組んだ。

それから五年の間に、僕は「撮り・旅!」を含めて、自分の企画の本を3冊作ったことになる。編集者としては多いとは言えない。まして、その3冊が世の中で何かの役に立つともあまり思えない。存在しなければしないで、誰も何も気にしない程度の本でしかないのかもしれない。

でも、今の世の中で、みんながそれぞれの場所で自分にできることに精一杯取り組めば、たとえ一つひとつはささやかなものでしかなくても、何かが少しずつ良い方向に向くのでは、とも思うのだ。そうして精一杯生きることが、五年前に理不尽な形で立ち去っていかざるを得なかった人々に対しての敬意のようなものなのかもしれない、と僕は思う。

忘れないこと。ささやかでも、精一杯生きること。これからも続けていければと思う。