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Into the Wilderness

明日から約1週間、再びアラスカに行く。

明日の夕方発の飛行機に乗り、シアトル経由でアンカレジへ。翌朝、鉄道に乗ってタルキートナという小さな町まで行き、そこからセスナに短時間乗せてもらって、原野のど真ん中にある湖に着氷(湖面は凍結しているから)。湖のほとりにあるロッジに数日間滞在し、スノーシューを借りて周辺を歩き回り、写真を撮る。

楽しみではあるのだけれど、同じかそれ以上に、怖い、という気持がある。半年前、南東アラスカのクルーゾフ島で味わった、あのぞわぞわするような感覚が、また甦ってくる。答えの見えない真っ暗な淵に佇み、飛び込むかどうか、逡巡するような……。いや、自分でもわかっている。飛び込むしかないのだ。たとえ結果がどうなろうとも。

帰国は14日(火)夜の予定。では。

まずは編アシより始めよ

僕が初めて出版業界の仕事を経験したのは、大学時代。自主留年して海外を数カ月ほど旅しようと考えていた時、旅費を稼ぐため、学生寮の近くにあった出版社で編集アシスタントのバイトを始めたのがきっかけだった。

最近、フリーライター的な仕事に就くことを志望する人は、Web媒体が募集するライティングの案件に応募するパターンが多いと聞く。確かにそれでも文章を書く仕事の経験を積めなくはないが、そもそものスタート地点から自分一人でこの仕事を覚えるのは、効率が悪いし、たぶんいろいろ抜けてしまう要素も出てくる。Web媒体でまずまず書けていても、紙媒体のメソッドにはうまく対応できなかったという話もよく聞く。原稿をチェックする編集側の質やスキルも、Web媒体は概して甘めなところが多い。

個人的には、ライターの道を志すのであれば、まずは出版社や編集プロダクションで、編集アシスタントのバイトやインターンの経験を積むことを強くおすすめする。編集の仕事に接すると、本や雑誌がどんな風に作られるのか、そこにはどんな意図や工夫が込められているのかを知ることができる。そういう編集者としての感覚は、ライターとしてやっていく上で、ものすごく役に立つ。いろんな場面で機転や応用の効く感覚なのだ。

なので、まずは編アシより始めてみてはどうだろう。もちろん、やるならちゃんとした媒体で働く方が絶対プラスになるのだが、意外とあちこちで募集してるんじゃないかと思う。

それなりにそれっぽくまとめる能力

ライターの仕事にもいろいろあるけれど、クライアントから依頼されて、どこかで誰かに取材して、それを基に原稿を書く場合。

取材がいい感じに盛り上がって、話の内容も面白ければ、たいていのプロのライターなら面白い原稿が書ける。でも、何かの原因で取材がうまくいかなかったり、話が予期していたよりも薄い内容だったりすると、さてどうしよう、ということになる。事前の準備不足でそうなったなら同情の余地なしだが、ちゃんと準備していたのにあれやこれやで困ったことになるというケースは、ライターをしていると、実は結構よくある。

で、どうするか。この場合、ルポルタージュではなくクライアントワークなので、イマイチなことをイマイチと書くわけにはいかない。かといって、そこまで面白くもないものをすごく面白いと書いたり、話を盛り上げるために実情とは異なることを書いたりするわけにもいかない。微妙なところをほんのりオブラートにくるみつつ、嘘や誇大表現にならない範囲で文章の流れを整える。薄い内容の話を、それなりにそれっぽくまとめる能力。これ、ライターが身につけておくべき能力としては、かなり高度な部類に属するんじゃないかと、僕は勝手に思っている。

それなりにそれっぽくまとめる能力。確かに高度なスキルではある。でも、これを発動させても、当たり前だけどそれなりの原稿にしかならないので、誰も気付いてくれないし、誰もほめてくれない。書いてる本人も、モチベーションは上がらないし、満足感も得られない。残るのは、どうにか窮地を切り抜けたという安堵だけ。

ライター稼業なんて、まあ、そんなもんだ。

高崎取材

5時過ぎに起床。中央線で東京駅に向かい、上越新幹線に乗り継ぐ。今日は群馬県の高崎にある大学で取材。1日で4人にインタビューするという結構過酷なノルマ。

キャンパス内は時期的に学生さんがほとんどおらず、学食もやってないようだった。1人目の取材が終わった後、おひるを食べられそうな場所を探す。周りには……本当に何もない。静かで、がらーんとしていて。一軒のそば屋を見つけて、天ぷらもりそばを注文。そばの味があんまりしなかった。残念。

午後は立て続けに3人を取材し、どうにかこうにか無事に完遂。新幹線で東京駅まで戻り、八重洲地下のエリックサウスで鰆と菜の花のケララ風カレーとビール。ふう、生き返った。さて帰るか。と思ったら、中央線が止まっている。山手線で秋葉原に移動し、総武線各駅停車で三鷹へ。運よくすぽっと座れたからよかったものの、でなければ超激混みの車内で消耗し尽くしていたところだった。

よれよれしながら家に帰り着くと、今週金曜日に取材が追加されていた。嗚呼。

本の企画、持ち込む側と受け取る側

一昨日の「旅の本づくり」をテーマにしたトークイベントの時、自分の作りたい本の企画書をわざわざ用意して、僕に相談しに来た人が何組もいた。実際、すでにいくつかの出版社に持ち込んだ人たちもいたのだが、「あなたの代わりに、かわいいタレントの女の子にレポートさせたら?」とか、「100万円持ってきたら、自費出版扱いで作ってあげますよ」とか、いろんなことを言われているという。

僕自身、自分の本の企画を出版社に持ち込んだ回数はかなりの数になるが、ひどい対応をされて嫌な思いをした割合の方が、圧倒的に多い。出版社の知名度や規模に関係なく、編集者にもいろんな人がいる。はっきり言うと、人格的にも能力的にも、ピンからキリまでいる。写真がメインの企画なのに、最初から最後まで一人で適当にしゃべり続けて、一枚も写真を見ようとしなかった人。アポイントを仮病でドタキャンしてリスケもしなかった人。電話とメールで丁寧に打診したのに受領確認の返信すら寄こさない人などは、星の数ほどいる。

本を出したいと考える人の中にも、名前を売りたいとか、ハクをつけたいとか、商売に利用したいとか、そういう邪な動機の人もいるとは思う。企画自体が致命的な弱点を抱えている場合もあるだろう。ただ、自分の本を作りたいと出版社に企画を持ち込む人の多くが、どれだけの熱意と思い入れを持って、勇気を振り絞って門を叩いているか。僕にはその気持ちが、痛すぎるほどよくわかるのだ。

だから、出版社側の編集者は、熱意と思い入れと勇気を持って門を叩いてきた人に対して、きちんと誠意を持って対応すべきだと思う。もちろん、企画に弱点があれば、ばしばし指摘してしまっていい。本にするのが難しければ、正直にそう伝えるべきだ。でも、本の企画を持ち込んだ人の熱意や思い入れを上から目線で嘲笑ったり、無責任な言動で傷つけたり踏みにじったり、あるいは企画の打診そのものを無視したりするようなことは、絶対にしてはならない。それは編集者云々以前に、社会人として、人として、当たり前のことだ。