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ライターと筆記具

この間、ある人に、「ヤマモトさん、取材の時、鉛筆でノートを取ってるんですね」と言われた。

僕の使っているのは鉛筆ではなくシャープペンシル(プラチナ万年筆の「プレスマン」)なのだが、その人の言葉に、僕はある種の嘲りのような響きを感じた。「それがどうかしましたか?」と聞くと、「新聞記者やジャーナリストはペンを使いますし、欧米ではみんなペンしか使いませんよ」と言う。シャープペンシルでノートを取っている僕は、その人たちと比べて稚拙だとでも言わんばかりに。

理系の研究所などでは実験ノートは記録保全のために必ずペン書きだろうし、新聞記者の方々にも似たような理由でそういう流儀の人もいるのだろう。しかし、僕は個人事業主のフリーライターである。僕の書いた取材ノートを読み返すのは、僕しかいない。ペンで書かれてようと、鉛筆だろうと、あぶり出しだろうと、僕にさえ読めれば、筆記具は何でもいい。ライターの力量を証明するのは、筆記具ではなく、書き上げた文章がすべてだ。

とりあえずそのわかったふうな人には、「ペンでノートを取ればもっといい原稿が書けるというなら、すぐにでもそうしますよ」とだけ返しておいた。

もしも明日人生が終わるとしたら

飲み会の席で、こんなことを訊かれた。

「もしも明日人生が終わるとしたら、最後の日、何をしたいですか?」

さて、何をしよう‥‥と考えてみると、意外なほどすんなりと、自分の場合はこれだな、という答えが出た。

その時点で手元にある、未発表の写真や文章。それを残された24時間(せめてそのくらいの時間はもらいたい)を使って、できるだけ選んで整理して、何らかの形で発表できるようにまとめる。最低限の準備しかできないだろうけど、まあそれは仕方ない。まとめた素材は、信頼できる人に「すみませんが、これをお願いします」と託す。

その後、もし時間が少し残っていたら、ビールを飲みながら何かおいしいものが食べたい。営業時間内だったら、リトスタがいいな。家から近いし。飲み食いし終えたら、家に帰って、まあこんなものかな、と思いながら、その時を待つ。

「そうして発表されたものが読者にどんな風に受け取られるか、知ることができなくてもいいんですか?」と訊かれた。反応を知る時間がないのは確かに残念だけど、褒めてもらうのが目的ではないから。伝えられれば、それでいい。

実際に、そんな風に終えられたら、いいかもな、と思う。

二日連続日帰りで群馬

取材のため、昼から外出。昨日に引き続き、今日も群馬へ。昨日は板倉で、今日は前橋。そういえば、先月は高崎にも行ってたっけ。なんでこんな急に群馬ばっかり行く羽目になっちゃったんだろう。

今日は東京駅から高崎まで新幹線を使えたのだが、それでも家を出てから取材先まで、片道2時間半くらいかかる。群馬自体がどうこうではなく、とりあえず、家から遠いのがつらい。何やってるんだろ俺、と、車窓を流れていく景色を眺めながら、ちょっとたそがれた気分になる。

来週の金曜も、また高崎で取材がある。やれやれである。

嘘は書かない

取材やインタビューを基に文章を書くことを生業にするライターにとって、何よりも守らなければならないのは、「嘘を書かない」ことだ。賞賛するにせよ、批評するにせよ、取材では誠意を持って話を聞き、きちんとそれに基づいた文章を書かなければならない。事実と異なる話を書いたり、書き手の欲する結論に無理やり歪曲したりするのは、ライターの仕事としては、論外だ。

そんなの当たり前じゃないか、という人は多いとは思うが、実際にライターとして働いていると、嘘を書くことを要求してくる依頼元は、結構あるのだ。依頼元にとって都合のいい結論にしろとか、取材では出ていないけどこういう内容も入れろとか。その場合、ライターはどうすべきか。

僕の考えは、一択だ。絶対に、嘘は書かない。どうしても書けと言われたら、その仕事からは降りる。

そんなことしていたら取引先をなくしてしまう、と心配する人もいるかもしれないが、嘘を書くことを強いてくるような依頼元との取引は、どのみち長続きしない。それよりも、嘘の混じった仕事をなし崩し的に続けてしまうと、どこかで思いもよらない形で、そのライター自身に対する悪評が広まる危険性がある。「あのライターは、取材で話してもいない作り話を勝手に書いた。信用できない」というような。いったん失ってしまった信頼を取り戻すのは、本当に難しい。目先の仕事の本数なんぞよりも、失うものが多すぎる。

「ヤマモトさんは、こっちが話したことをそのまま書いてくれますね。言ってもいないことを書いたりはしない」と、以前取材した人に言われたことがある。逆に言えば、今の世の中には、自分たちの欲しい結論ありきで、取材対象者が言ってもいないことを書いたりするライターが少なからずいるということだ。確かに、ライター稼業は、地べたを這いずるようなきつい仕事だ。きれいごとだけではやっていけないという人もいるかもしれない。それでも僕は、嘘は絶対に書かない。嘘を書かないことで、つながっていく信頼と仕事は、確かにあると思う。

道しるべ

昨日はモンベル御徒町店で、写真家の関健作さんとのトークイベント。昼に会場入りして、椅子やプロジェクターの設営と、書籍販売の準備。会場はほぼ満席。いざ本番……となると、毎度のことながら緊張して、何をしゃべったかあまり覚えてない(苦笑)。関さんの軽妙なトークに助けてもらいながら、どうにかこうにか乗り切った。

終了後は希望者の型に本へのサインなどをさせていただいて、その後はあたふたと撤収作業をして、曙橋へ移動。チベットレストランタシデレでの懇親会。こちらも満席で、みなさん楽しそうに歓談されていて、良かった。しかしまあ、自分で企画しておいて何だが、イベントからサイン対応から懇親会まで、全部ひとつながりのイベントみたいなもので、気を抜く暇がまったくなかったから、さすがに、こてんぱんに疲れた。

お客さんにも、いろんな人がいる。気軽に足を運んでもらってワイワイ楽しんでもらうのも、もちろん嬉しい。自身も写真や文章に携わっていて、何かのヒントをつかみ取ろうとしている人も、もちろん歓迎。時には、何かで思い悩んでいて、心の深いところから取り出してきた質問を投げかけてくる人もいる。そういう質問には、こちらも真剣に応えなければいけない。

僕らが生きてきた中でたくわえてきたものが、誰かが生きていくための道しるべになるのかもしれないなら、喜んで差し出そうと思う。いつかまた、こういう機会があれば。