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鉛筆をナイフで削る

僕の仕事机の上のペン立て(古い陶製のシェービング・カップに文具を詰め込んでいる)には、鉛筆が一本、刺さっている。いつ、どこで手に入れたのか忘れてしまったが、アンケートか何かを記入する時に手渡されて、「差し上げますよ」と言われて、そのまま持ち帰った鉛筆だと思う。

普段、仕事で使う筆記具はシャープペンかボールペンなのだが、ブロックメモにささっとメモを書く時(買い物リストや、家から取材先までの乗り継ぎ時刻など)には、その鉛筆をよく使っている。いつのまにか、少しずつ愛着も湧いてきている。

鉛筆なので、使っていると当然、芯がちびて丸くなってくる。鉛筆削り器は今うちにはないので、芯がちびてきたら、カッターナイフで削る。小学生の頃、鉛筆をナイフでうまく削れるようになりたくて、一時期ちょっとハマっていたことを思い出す。ひさしぶりでも指先は意外と覚えているのか、今でも意外ときれいに削れる。芯がぽきっと欠けないように、最後にちょっと用心深く仕上げたりして。

最近の小学生は、ナイフで鉛筆を削ったりしているのかな。してないのかな。楽しいよ、やってみると。自分で削った鉛筆を使うと、ほんのちょっと、勉強するのが楽しくなると思う。

「作品」とは呼べなくて

僕の仕事は、文章を書いたり、写真を撮ったり、それらを編集したりして、本や記事を作ることなのだが、そうして書いたり撮ったりして作り上げたものを、自分で「作品」とは呼んでいない。それぞれ「文章」「写真」「本」「記事」と呼んでいる。

「作品」という言葉には、「自分自身の内から湧き出てくる何かから作り上げたもの」というイメージが、少なくとも僕の中にはある。そのイメージと照らし合わせて考えてみると、僕の文章や写真は、僕自身の内にあったものだけから作り出してはいない。いろんな場所に行って、見て聞いて感じたものを、「書かせてもらっている」「撮らせてもらっている」「それで本や記事を作らせてもらっている」という感覚に近い。そうやって作らせてもらったものを自分で「作品」と呼ぶのは、とてもおこがましい気がしてしまうのだ。この先、死ぬまでに一冊くらい小説を書いたりすることもあるかもしれないが、僕の場合、それすらも「作品」と呼ぶには気恥ずかしくなってしまうと思う。

たぶん僕は、「作り手」ではなく、根っからの「伝え手」気質なのだと思う。

アトレやディラよりも優先すべきこと

午後、八王子で大学案件の取材。駅からさらにバスで移動した場所だったので、何気に遠かった。帰りに煮干しラーメンを食べ、中央線で帰路につく。

武蔵小金井駅だったか、発車しかけた電車が急停止した。人身事故だろうか、と不穏な想像が頭をよぎったが、反対側の空のプラットフォームから誰かが線路に転落した、とのアナウンス。何が原因だったのかはわからないし、怪我されていたかもしれないが、とりあえず、ほっと安堵する。

ここ何年かの間に、中央線の各駅は、一つの設計図をコピー&ペーストしたかのように、どこもかしこも同じような佇まいになり、アトレやディラという名前の同じような商業施設がくっつく形になってきている。それはそれで別に悪くはない(かといって別に良くもない)が、そういう駅や商業施設の改装よりも先に、各駅のプラットフォームにホームドアを設置するのを優先すべきではないだろうか。中央線は昔から、人身事故や飛び込み自殺の多い路線だ。ホームドアがあるだけで、どれだけの命が失われるのを食い止められることか。

最近では、列車の1両あたりのドアの数が異なっても対応できるような新しいタイプのホームドアも登場しつつある。商業施設よりも何よりも、まずは人命を守ってほしい。

その一言のために

昨日今日と、終日、部屋で仕事。一昨日の取材の原稿を書く。

僕は、たぶんライターとしては、原稿を書くスピードはかなり速い方だと思う。雑誌の編集部で契約社員として働いていた時期に、ニュース欄やメールマガジンの記事を猛烈なスピードで書かされていたので、良くも悪くもそういう癖がついてしまったのかもしれない。

ただ、本当に自分自身にとって深い部分で、大切な物事に向き合わなければならない時などには、ふっつりと書けなくなってしまうこともある。伝えたいことは何なのか、わかっていたはずなのに、それを言い表す言葉が出てこなくなる。そういう時は、本当に苦しい。もがいて、苦しんで、頭をかきむしって、必死になって、対岸を目指す。

写真家がたった一枚の写真で人の心を揺さぶるように、物書きはほんの数行、時にはたった数文字の言葉で、渾身のメッセージを届ける。それ以外のすべての積み重ねは、その一言のためにある。いつかまた、そんな文章を書きたい、と思う。

日焼けの理由

今日は少しひさしぶりに大学案件の取材。場所は宇都宮。電車と新幹線とバスを乗り継いで、2時間半ほどの道程。取材は昼食休憩を除いてほとんど間を空けず、立て続けに4件。さすがにくたびれた。

取材場所のキャンパスの近くには、田んぼが一面に広がっていた。草刈機の音と、草いきれ。このあたりは寒暖の差が結構激しくて、ゲリラ豪雨も頻繁に降るそうだ。

取材の手配でお世話になった大学側の担当者の方が、この季節にしてはちょっと早すぎるほどこんがりと日焼けしていたので、依頼元の営業さんが「結構焼けてらっしゃいますね」と言うと、「そうなんですよ。3日ほど休みを取って、土日をくっつけて……」「ご旅行ですか?」「田植えですよ。自分のところの。ずっと田植機を動かしてたんです。田植えの時は、日差しのほかに、水面からの照り返しもすごいんですよ」

なんだか、かっこいいなあ、と思った。