Tag: Writing

本を読むこと

本を作ることを仕事にしているというのに、本を読むのが好きと言えるほど本を読めているかというと、正直、全然、読めていない。まったくもって、冷や汗が出るほど。

原因(というか言い訳)はあるにはあって、書き仕事がつっかえてくると、書くのに使う言葉が脳内のバッファを占拠してしまって、本を読んで言葉を脳にインプットする余白がなくなってしまうのだ(それだけバッファがちっちゃいということなのだが……)。読む時はどっぷり耽読したいたちなので、それなりに余裕がないと、なかなか読み進められない。で、そんな余裕のある時期というのは、あまり多くはない(多かったらそれはそれで困る、働かないと)。読むなら旅先とかで、かな……そんなにたくさん持ち歩けないけど。

だから、自分は本を読むのが好きだ、と言い切れるほどの自信はない。僕なんかより、もっと読書好きな人は、世の中にたくさんいる。ただ、これまでの自分の人生をふりかえってみると、何かのターニング・ポイントにつながるきっかけや思いつき、目指すべき目標が生まれた時、そこにはいつも、本があったように思う。あの時、あの本に出会ったから、人生が少し変わった。僕はいろんな本に少しずつ後押しされながら、今の場所に辿り着いたのだと思う。

よし。連休中は、読みかけのこの本と、本棚にある、あれとあれとあれとあれを……で、できるだけ(汗)がんばって読もう。

ライターと筆記具

この間、ある人に、「ヤマモトさん、取材の時、鉛筆でノートを取ってるんですね」と言われた。

僕の使っているのは鉛筆ではなくシャープペンシル(プラチナ万年筆の「プレスマン」)なのだが、その人の言葉に、僕はある種の嘲りのような響きを感じた。「それがどうかしましたか?」と聞くと、「新聞記者やジャーナリストはペンを使いますし、欧米ではみんなペンしか使いませんよ」と言う。シャープペンシルでノートを取っている僕は、その人たちと比べて稚拙だとでも言わんばかりに。

理系の研究所などでは実験ノートは記録保全のために必ずペン書きだろうし、新聞記者の方々にも似たような理由でそういう流儀の人もいるのだろう。しかし、僕は個人事業主のフリーライターである。僕の書いた取材ノートを読み返すのは、僕しかいない。ペンで書かれてようと、鉛筆だろうと、あぶり出しだろうと、僕にさえ読めれば、筆記具は何でもいい。ライターの力量を証明するのは、筆記具ではなく、書き上げた文章がすべてだ。

とりあえずそのわかったふうな人には、「ペンでノートを取ればもっといい原稿が書けるというなら、すぐにでもそうしますよ」とだけ返しておいた。

もしも明日人生が終わるとしたら

飲み会の席で、こんなことを訊かれた。

「もしも明日人生が終わるとしたら、最後の日、何をしたいですか?」

さて、何をしよう‥‥と考えてみると、意外なほどすんなりと、自分の場合はこれだな、という答えが出た。

その時点で手元にある、未発表の写真や文章。それを残された24時間(せめてそのくらいの時間はもらいたい)を使って、できるだけ選んで整理して、何らかの形で発表できるようにまとめる。最低限の準備しかできないだろうけど、まあそれは仕方ない。まとめた素材は、信頼できる人に「すみませんが、これをお願いします」と託す。

その後、もし時間が少し残っていたら、ビールを飲みながら何かおいしいものが食べたい。営業時間内だったら、リトスタがいいな。家から近いし。飲み食いし終えたら、家に帰って、まあこんなものかな、と思いながら、その時を待つ。

「そうして発表されたものが読者にどんな風に受け取られるか、知ることができなくてもいいんですか?」と訊かれた。反応を知る時間がないのは確かに残念だけど、褒めてもらうのが目的ではないから。伝えられれば、それでいい。

実際に、そんな風に終えられたら、いいかもな、と思う。

二日連続日帰りで群馬

取材のため、昼から外出。昨日に引き続き、今日も群馬へ。昨日は板倉で、今日は前橋。そういえば、先月は高崎にも行ってたっけ。なんでこんな急に群馬ばっかり行く羽目になっちゃったんだろう。

今日は東京駅から高崎まで新幹線を使えたのだが、それでも家を出てから取材先まで、片道2時間半くらいかかる。群馬自体がどうこうではなく、とりあえず、家から遠いのがつらい。何やってるんだろ俺、と、車窓を流れていく景色を眺めながら、ちょっとたそがれた気分になる。

来週の金曜も、また高崎で取材がある。やれやれである。

嘘は書かない

取材やインタビューを基に文章を書くことを生業にするライターにとって、何よりも守らなければならないのは、「嘘を書かない」ことだ。賞賛するにせよ、批評するにせよ、取材では誠意を持って話を聞き、きちんとそれに基づいた文章を書かなければならない。事実と異なる話を書いたり、書き手の欲する結論に無理やり歪曲したりするのは、ライターの仕事としては、論外だ。

そんなの当たり前じゃないか、という人は多いとは思うが、実際にライターとして働いていると、嘘を書くことを要求してくる依頼元は、結構あるのだ。依頼元にとって都合のいい結論にしろとか、取材では出ていないけどこういう内容も入れろとか。その場合、ライターはどうすべきか。

僕の考えは、一択だ。絶対に、嘘は書かない。どうしても書けと言われたら、その仕事からは降りる。

そんなことしていたら取引先をなくしてしまう、と心配する人もいるかもしれないが、嘘を書くことを強いてくるような依頼元との取引は、どのみち長続きしない。それよりも、嘘の混じった仕事をなし崩し的に続けてしまうと、どこかで思いもよらない形で、そのライター自身に対する悪評が広まる危険性がある。「あのライターは、取材で話してもいない作り話を勝手に書いた。信用できない」というような。いったん失ってしまった信頼を取り戻すのは、本当に難しい。目先の仕事の本数なんぞよりも、失うものが多すぎる。

「ヤマモトさんは、こっちが話したことをそのまま書いてくれますね。言ってもいないことを書いたりはしない」と、以前取材した人に言われたことがある。逆に言えば、今の世の中には、自分たちの欲しい結論ありきで、取材対象者が言ってもいないことを書いたりするライターが少なからずいるということだ。確かに、ライター稼業は、地べたを這いずるようなきつい仕事だ。きれいごとだけではやっていけないという人もいるかもしれない。それでも僕は、嘘は絶対に書かない。嘘を書かないことで、つながっていく信頼と仕事は、確かにあると思う。