Tag: Writing

布団の中から

真冬の朝は、目が覚めても、温かい布団の中から出るのが億劫だ。出発前日の今、僕はちょうどそんな気分でいる。

西荻窪に引っ越してきて、半年。街ではまだまだ未開拓の店も多いけれど、だいぶ土地勘もつかめてきた。新しい部屋での暮らしにも、いつのまにか、すっかり慣れた。細かいところを少しずつ整理したり、収納の仕方を変えたりして、だいぶ住みやすくなってきたと思う。居心地のいい部屋。ラジオからの音楽。自分でいれるコーヒー。相方と食べる夕食。何もかもが申し分なく、何の不満もない。

明日からはたぶん1カ月以上、風呂はもちろんお湯シャワーもまともに浴びることはできないだろうし、電気が使えるのも1日数時間だろうし、ネットもろくにつながらないだろう。緑の野菜とも当分オサラバだ。なんでわざわざ、僕は自ら好き好んで、そんな苦労をしにいくのだろう。温かい布団から出るのが嫌なように、ほんとに億劫だ。

でも、行かなければ。想像しただけで両手のひらがチリチリとしびれてくるような冒険の日々が、僕を待っている。良い写真を撮りたい。良い文章を書きたい。ただただ、そのために。

明日からしばらく、ブログの更新をお休みします。帰国は3月11日頃の予定です。では。

そして仕事は終わらない

昨日は朝から、大学案件の取材で、埼玉方面へ。スクールバスへの乗り換えも含め、片道ほぼ2時間の道程。現場の周囲には何もないので、おひるは学食で食べ、取材の合間には缶コーヒーをすすりつつ、どうにか3件、滞りなく遂行。

再び2時間かけて家まで戻ってからは、留守中に届きまくっていたメールにかたっぱしから返信し、さらに関係者各位へのメールもしたためまくり、何だかんだで20本くらいメールを書いた。それから、まったく別の案件の校正作業を延々と。さすがに疲れて、布団に潜り込んでからは前後不覚に眠った。

今朝は相方と同じ時間に起きて、校正作業の続きに取り組んだのだけれど、次第に賽の河原に石を積んでるような不毛な雲行きになってきて、昨日の疲れも引きずっていたからか、なかなか調子が上がらない。夕方にはすっかり疲れ果てて、ソファで1時間くらい寝落ちしてしまった。

なんだかんだで、気がつけば年の瀬という感じである。そして仕事は終わらない。

マルチな黒子

昨日のエントリーで、ライターという職業にもいろんなタイプがあると書いた。自分自身のキャラクターを前面に出す人。自分の気配を消して黒子に徹する人。特定の分野のスペシャリスト。いろんなジャンルをこなせるマルチな人。

僕自身のキャリアをふりかえってみると、まず、雑誌の編集部に在籍していた頃に編集者に必要なスキルのイロハを学んだ。フリーランスになってからは、IT系、広告・デザイン系などの雑誌で主にインタビュー記事を担当。2007年にラダックで長期取材をして最初の単著「ラダックの風息」を出した頃から、周囲から依頼される仕事がしぜんと旅行関係にシフト。ただ、今でも旅モノだけで生計を立てているわけではなく、国内では教育関係のインタビューの仕事などもたくさんやらせてもらっている。

今になってあらためて思うのは、フリーランスになる前の編集者時代に基本的なスキルを習得できていたのがよかったし、典型的な黒子の仕事である編集業務の面白さを体感できていたこともプラスに働いた。加えて、フリーランスになってからジャンルに囚われることなくいろんな種類のインタビューを経験したことで、「マルチな黒子」とでも呼ぶべきスタンスで動けるライターになれたのも大きかったと思う。

今でこそ、ラダック関連の本などからの印象で、旅行関係に特化した作家的なタイプのライターというイメージを持たれている面があることは否定できない。ただ、逆に言えばそれも「マルチな黒子」のライターとしての仕事を通じて積み上げてきた、ものすごくベーシックなスキルがある程度あったからこそ、ある種の余裕を持って出せた結果だと思う。それに、依然として「マルチな黒子」としての仕事も少なくない割合で続けているわけだし。

最近、Webメディアなどでキャリアをスタートさせているライターの方々の中には、最初から自分の個性やキャラクターを強烈に前面に押し出したり、あるジャンルやスタイルに極端に特化したりした形で文章を書いている人も少なくない。そうした個々の仕事自体は別に問題ないが、編集者としての土台のスキルがない人や、「マルチな黒子」として立ち回れる器用さのない人だと、キャリアを重ねるにつれて、だんだん苦しくなっていくだろう。

ライターとしてのキャリアのスタートは、まずは編集の仕事のイロハを覚えてから、「マルチな黒子」として動ける経験を積み、状況に応じて得意分野のスペシャリストを目指すのが、結果的には一番良い結果につながると、僕は思う。

ライターが用意すべきもの、すべきでないもの

ライターという職業は、人によって仕事の流儀がさまざまだ。自身のキャラクターを売りにする人、黒子に徹するのを好む人。ある分野に特化している人、どんなジャンルでもマルチにこなせる人。

ただ、どんなスタイルのライターであれ、取材やインタビューの前には、取材するテーマや内容、人に関して、ある程度きちんと予習して、できるだけ多くの質問項目を用意しておくべきだとは思う。これは、取材そのものを質問項目に沿ってガッチガチに進めていくための準備ではない。むしろその逆で、取材相手の話が思わぬ方向に転んだりした時にも柔軟に対応できるようにしておくための準備だ。もちろん、しっかり予習をしておくことで、限られた時間内でより深掘りした取材をすることも可能になるだろう。

逆に、ライターがあらかじめ用意しておくべきでないものは、「結論」だ。このインタビューはこういう風に話を進めていって、こういう感じのコメントを引き出し、この「結論」に落とし込みたい、という思惑がライターの態度に透けて見えると、取材を受ける側は強烈な違和感を感じる場合がある。ライターはけっして、あらかじめ用意した「結論」に相手を誘導しようとしてはならないと思う。

こういう「結論」ありきの取材は、大手の新聞や雑誌の記者でさえ、往々にしてやらかしていると聞く。取材にはできるだけ謙虚に、ありのままの話を聞く姿勢で臨みたい。

「なろう系」のテンプレに思う

少し前に、「なろう系」という言葉を初めて知った。なんじゃらほい、と思って調べたら、「小説家になろう」という小説投稿サイトに投稿されがちな系統の小説を指す言葉なのだとか。たぶん、この言葉が使われる時には、その作品を揶揄するような意味合いが込められることが多いのだろう。

Web上で見つけた情報によると、「なろう系」と呼ばれる作品の多くは、こんな感じのテンプレに沿って書かれているのだという(以下一部引用)。

・主人公が何らかの理由で異世界へ転生・転移する。
・序盤で主人公がチートと呼ばれるほどの力を得る。努力を必要としないことが多い。
・ありふれた知識・能力でも異世界では英雄に等しい活躍ができる。
・行く先々でヒロインを助けてモテてハーレム作り。
・とにかく作品名が長く、作品名だけで内容がわかってしまうことが多い。

僕自身は、こうしたテンプレに沿って書かれた「なろう系」作品を読んだ経験がないので、それが面白いかそうでないかを言える立場にはないし、言うつもりもない。ただ、このテンプレを見てふと思ったのは、これは全部、書き手とそれを支持する読者の、露骨な願望の表れなのだろうなあ、ということ。自分が今生きている嫌な現実から逃れたい。他人を圧倒できる能力を手っ取り早く身に付けたい。それで周りの人たちから賞賛され、モテたい。

もし仮に、自分がそういう人生を実際に生きることができると言われたら……逆に退屈だろうなあ。人生は、ずっこけまくりの挫折しまくりで、どんなにカッコ悪くても、なりふり構わず這い上がって掴み取る方が、ずっと面白いと思う。