Tag: Writing

エンドルフィン

終日、部屋に籠って原稿を書く。昨日作ったプロットを基に、バランスを調整しながら書き進めていく。

今取り組んでいるのがラダックについての文章だからなのかもしれないが、しばらくキーボードを叩いているうちに、周囲の物音がまったく耳に入らなくなってきた。自分の中から、どんどん、いくらでも言葉が出てくる。このまま何時間でもぶっ通しで書き続けられそうな気分になってきた。

長距離を走っているランナーの脳内では、エンドルフィンという脳内麻薬が分泌されるので、走れば走るほど気分が高揚してくるのだという。いわゆるランナーズ・ハイというやつだが、それと同じようにキーボードを叩けば叩くほど、僕の脳内でもラダック風味のエンドルフィンが分泌されていたのかもしれない。

‥‥でも、夕方になると、ガクンとペースが落ちた。単純に、お腹が空いたから(笑)。腹が減っては、戦ができぬ。

ラダックを書く

午後、中野にある風の旅行社へ。同社が発行している情報誌「風通信」の次号に、ラダックについての文章と写真を寄稿することになったため、その打ち合わせ。あと、水面下で進めている他の企画についても話し合う。

普段、ラダックの文章を書く仕事にはなかなか出会えないので、こういう時はやっぱり、モチベーションが上がる。文章のテーマも写真のセレクトも、ほぼ僕の好きにしていいということだったので、なおさらだ。さて、何について書こう‥‥と、思いは頭の中をぐるぐる回り、今抱えている他の仕事をうっかり忘れそうになる(笑)。

僕にとって、ラダックを書くということは、自分自身の中にある思いを書くことでもあるのだな、と思う。なぜだかわからないが、他のどんなテーマの文章よりも、ラダックの文章を書く時が一番素直に自分自身の言葉が出てくる。たぶん、もう骨の髄までラダック色に染まっているのだろう(笑)。

風通信」の次号は四月初旬に刊行される予定とのこと。興味のある方は同社にお問い合わせを。

上阪徹「書いて生きていく プロ文章論」

このブログでも何度か書いたが、僕は最近、ある地方自治体から依頼された、文章術の講師のような仕事を担当している。その地方自治体のプログラムに参加している一般の方々が地元のNPOや市民団体を取材して書いたレポートを添削し、どこをどう直せばよりよい文章になるか、ミーティングの場で相談に乗るというものだ。

文章の書き方なんて、誰かに教わったこともなければ、教えたこともない。依頼を引き受けた時は、正直どうしたものやらと途方に暮れていたのだが、ミーティングで自分なりの取材の仕方、文章の書き方について話をすると、参加者の方々は「へぇ〜」「ほぉ〜」といった感じで、かなり興味を示してくれた。自分では日頃からごく当たり前にやっていることなのだが、ライターがどんな風に仕事をしているのかということは、世間ではあまり知られていないようだ。

そんな経験もあって、これを機に自分自身の仕事を振り返ってみようと思って手にしたのが、この「書いて生きていく プロ文章論」という本だった。

この本は「文章論」と銘打たれてはいるが、著者の上阪徹さんが冒頭で言及しているように、文章の「技術論」ではなく、「文章を書く上での心得」について書かれている。上阪さんは、経営や金融、ベンチャーなどの分野で活躍されている辣腕のライターで、知名度や実績では僕は足元にも及ばないが(笑)、ほぼ同年代で、同じようにインタビューの仕事を中心に手がけてきたこともあって、共感できる「心得」もずいぶん多かった。読者をしっかりとイメージすること、何を伝えたいのかを突き詰めていくこと、文章術と同じかそれ以上にインタビュー術が重要だということ‥‥。僕にとっては、新たな「発見」というより、自分の仕事の仕方を「再確認」させてもらった一冊。自分に足りない部分があるとすれば、それはこうした「心得」の一つひとつを、ちゃんと徹底しきれていない時があることだろう。同業者の方々も、読み進めていくうちに「うっ!」と思わされるくだりが少なからずあるのではないだろうか。

この本のあとがきで上阪さんは「考えてみれば、本書は〝自分の考え〟を〝自分の言葉〟で構成した初めての本です。もしかすると、初めての本当の自分の本、といえるのかもしれません」と書いている。すでにベストセラーを含めて何十冊もの本を出している方だけど、そんな風に「初めての本当の自分の本」と思える一冊を書けたというのは、喜びもひとしおだったのではないかと思う。自分が心の底から大切にしていることを伝えるために、ありったけの思いをこめて、文章を書く。それはこの仕事で一番、愉しくて、難しくて、やりがいのあることだから。

慢心への戒め

最近は、取材原稿を書くのと並行して、先日ある地方自治体から依頼された、一般の方々が書いたレポート記事の添削の作業もしている。

提出された記事のクオリティは‥‥まあ、一般の方が書いたものだから、厳密にチェックしはじめると直すべきところはたくさんある。でも、いくつか目を通していくと、文章の上手下手に関係なく、「これはいいレポートだな」と思えるものと、そこまで印象に残らないものとがあることに気づいた。

読み手の心に残る文章は、月並みな言い方だけど、きちんと気持を込めて書かれている文章なのだな、とあらためて思う。文章を書き慣れている上手な人は、そんなに気持を入れなくても、それなりのクオリティの文章が書けてしまう。でも、そうして書かれた文章は、底が浅い。読み手の心には残らず、すぐに忘れ去られてしまう。

毎日ブログを書いているとか、雑誌に記事を書いているとか、そうした蓄積があることに慢心していると、いい文章は書けなくなると思う。文章とは、書くことが目的ではなく、読み手の心に伝えることが目的だから。

人に教える

昼、リトスタでランチミーティング。以前ちらっと書いた、講師のような仕事の件で、先方の担当者さんが遠路はるばる訪ねてきてくれたのだ。からりと揚がった海老フライをいただきつつ、話を伺う。

仕事の内容をざっくり説明すると、ある地方自治体が設けているプログラムに参加している一般の方々が書いたレポート記事を添削し、どこをどうすればよりよい文章になるか、ミーティングの場で教えるというもの。うーん、僕に務まるのかな‥‥? 今の自分の書き方は、場数を踏む中で感覚的に覚えてきたことで、誰かから教わったことはほとんどないし‥‥。

僕の両親はどちらも高校の教師で、妹も高校教師になり、高校教師の旦那さんと結婚した。親戚たちの職業も高校教師ばかりで、要するに、教師一族のようなものだ。だから僕は(天の邪鬼だからというのもあるが)教師という職業に対してアレルギーのようなものを感じていて、大学でも頑として教職課程を取らなかった。そんな僕が、めぐりめぐって人に文章の書き方を教えるというのだから、不思議なものだ。逃れられぬ宿命というところか。

「とりあえず、ブログを毎日書いてみましょう」とでも教えてみるかな(笑)。