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道を訊かれる

午後、目黒で打ち合わせ。来月下旬から始まるタイ取材について。約四週間、再びあの暑い暑い日々が始まるわけだ。僕の夏はいつになったら終わるのだろう。

打ち合わせの後、用事で恵比寿から代官山に向かって歩いていると、前方から歩いてきた白いシャツの爽やかな青年に「すみません、代官山駅まではどう行けばいいですか?」と訊かれた。「逆方向ですよ。あっち行って、そこ曲がって、さらに曲がったところ」と言うと、「ありがとうございます!」と颯爽と歩き去っていった。

たぶん僕は、普通の人よりも街の中で道を訊かれたりする回数が多い方だと思う。家の近所を歩いていても、都心を歩いていても、時には自分自身もよくわからない異国の町を歩いていても。ラダックのレーにいた時とか、地方から出てきたラダック人にまで道を訊かれたし(苦笑)。

「こいつは与し易し」みたいな敷居の低い感じのオーラが出てるのかな。まあ別にいいけど。

「めぐり逢わせのお弁当」

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先週末から公開された映画「めぐり逢わせのお弁当」を観に行った。お盆とはいえ平日なのに、シネスイッチ銀座では午前中から長蛇の列が(汗)。もともと午後の回で観るつもりだったので事なきを得たが、その後も立ち見が続出。今、シネスイッチ銀座でかかっているのは、この「めぐり逢わせのお弁当」と、六月末からロングラン中の「マダム・イン・ニューヨーク」。インド映画が銀座を席巻している(笑)。

インドのムンバイには、各家庭で作られたお弁当をオフィスに配達し、食べ終えた後の弁当箱を再び家庭まで運ぶ役目を担う、ダッバーワーラーと呼ばれる人々がいる。5千人ほどいるというダッバーワーラーが一日に運ぶお弁当の数は、約20万個。誤配送が起こる確率は600万分の1と言われている(正直、もっとやらかしてるような気がしないでもない‥‥)。その、600万分の1の確率でしか起こらないお弁当の配達ミスが、決して出会わないはずの二人をつなぐきっかけになる。料理にかいがいしく腕をふるいつつも、夫の愛情を取り戻せないでいるイラ。妻に先立たれた後、生きる意味を見出せないまま早期退職の日を待ちわびているサージャン。間違って届けられた弁当箱に忍ばせるようになった短い手紙のやりとりが、互いの悩みをときほぐし、やがて支えとなっていく‥‥。

ロマンチックな映画だ。予想していたよりも五割増しくらい(笑)ロマンチックだったように思う。でも、主演の二人の演技や作品全体を通じた演出にきっちり抑制が効いていて、場面描写もリアリティを重視して描かれているので、観ているうちにすっかりその場面に引き込まれてしまう。ムンバイの雑踏、満員電車、おばちゃんのどなり声、ダッバーワーラーたちの歌など、ムンバイの空気を感じさせる音の要素も何だかすごく懐かしく感じた。

この映画のラストシーンは、いろんな解釈ができる。監督はもっと具体的な、物語を物語として完全に終わらせる選択肢も用意していたと思うが、あえて「委ねる」ことを選んだのだろう。監督、たぶんキアロスタミとか好きなんだろうなと思って検索してみたら、大当たりだった(笑)。

弁当箱の中に忍ばせた、顔も知らない相手との手紙のやりとり。でも、いや、だからこそ、受け止めることのできる気持もあるのだと思う。

立ち止まる冷静さ

これは、自分自身もやってしまうかもしれないことなので、自戒の意味も込めて書くのだけれど。

今の世の中では、あらゆる情報がいとも簡単に拡散していく。一昔前はテレビや新聞などのメディアによる拡散がほとんどだったが、今はFacebookやTwitterやLINEによって、それが劇的に加速している。もともとワンクリックで広まるような構造のツールだから当然なのかもしれないが、それは時に、えげつないほどの破壊力を伴う。

ある事件が起こった時、その渦中にある人に対して、ネットを介して強烈な罵倒や嘲笑が嵐のように浴びせられることがある。たとえば、それが犯罪の加害者であれば、社会に非難されるのもある程度仕方ないのかもしれない。でも、それが犯罪なのかどうかも判然としない段階で、まるで匿名の集団リンチのように、ネットを通じてとんでもない量の罵詈雑言が叩き付けられている場合もあるように思う。最近では、そうした人々を意図的に焚き付けるような報道をしているメディアも見受けられる。

ネット上で、時に匿名という安全な立場から、非難の対象となる人を罵倒し、嘲笑い、いっときの正義感を満喫し、そしてすぐに忘れる。そうしたネット上での罵詈雑言や心ない噂話に巻き込まれるのは、非難の対象となる張本人だけではない。事件によっては、その被害者も事を荒立ててほしくないと思っているかもしれないのだ。でも、ネットでの情報拡散はそうした思いさえ許さず、何も悪くない弱い立場の人を好奇の目に晒してしまったりする。

僕たちは、ワンクリックでシェアとかリツイートとかをしたりする前に、立ち止まって考えてみる冷静さを持つべきだと思うのだ。それは本当に正しい情報なのか。それを人に伝えることで、何がもたらされるのか。取り返しのつかないほど傷ついてしまう人はいないだろうか。自分自身の言葉で、責任を持って語れるだろうか。

もう一度、ネットに対して、自分自身に対して、冷静になってみるべきだと思う。

食糧の買い出し

ぽんこつな状態で過ごすのにもちょっと飽きてきたので、午後、吉祥寺に出かける。月末からのアラスカ旅行で必要になる食糧の買い出し。

今日買った食糧のほとんどは、山菜おこわや、パスタ、スープなどフリーズドライのもので、あとはインスタントラーメンなど。アウトドアショップで売られている登山用に適したパッケージのものだ。食事としてはいささか味気ないが、場所が場所だけに仕方ない。

日程表からあらかじめ必要な数をそれぞれ算出しておいたのだが、実際に買ってみると結構な量で、レジではお姉さんたちが二人がかりでチェックして袋詰めしてくれた。たぶんその二人には「この人、二、三人のグループでお盆休みにどこかの山へ、二泊三日くらいの縦走に行くのね」とでも思われたんじゃないかと思う。

すみません。一人ぼっちで合計九日間、アラスカくんだりでキャンプを張る物好きです。

三井昌志「写真を撮るって、誰かに小さく恋することだと思う。」

torukoi昨日の昼、銀座のキヤノンギャラリーで開催されていた三井昌志さんの写真展にお邪魔した時、会場で先行販売されていた三井さんの新刊「写真を撮るって、誰かに小さく恋することだと思う。」を買った。たぶん書店の店頭には、八月中旬頃から並びはじめるのだと思う。

三井さんには「撮り・旅!」にもミャンマーの旅の写真と文章を提供していただいているし、それ以前からサイトも拝見していたので、この本に収録されている写真の中には、僕にとって結構なじみ深いものも少なくなかった。でも、小ぶりでかわいらしいこの本を開いてみると、いい意味で、全然違うのだ。ページをめくるたびに、写真とそれに添えられた短い言葉から、ふわっとたちのぼる気配。めくればめくるほどそれは濃くなっていって、懐かしいような、せつないような、そんな気持で胸がいっぱいになる。写真集という形だからこそ伝えられるメッセージが、この本には込められている。

「写真を撮る時は、とても素直に撮っています。奇をてらわずに、被写体となる人の一番いい表情をそのまま撮っているんです」と、「撮り・旅!」のインタビューで三井さんは話していた。たぶん、旅をする時に一番大切なのは、写真を撮っても撮らなくても、その国の土地や文化や人々に無垢な気持で向き合い、好きになっていくことなのだ。そうした無垢な気持を忘れずに旅をしているからこそ、人々は三井さんに心を許して、素晴らしい表情を見せてくれる。まるで、小さな贈り物をさしだすように。

この冬にはまた、三井さんの新しい旅が始まる。今度はどこで、どんな「恋」に落ちるのだろうか。