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個性的な旅人たち

昨日に引き続き、「旅の本を作るという仕事」というテーマについて考えていた時、もう一つ、ふと思い当たったこと。

最近、普通の旅行者とはかなり違った「個性的な旅人」を標榜する人、あるいは目指している人が多くなったように感じる。職業の肩書きであったり、特殊な旅の仕方であったり、服装とか、行く先々でのお約束的な行動とか、その他にもいろいろある。よく考えつくなあ、面白い、と感心させられるものも少なくない。

ただ、人によっては、旅人としてのプロフィール欄を飾ることに執着しすぎているというか、自分自身をキャラクター化、タレント化することに気を取られすぎているというか、そもそも、そのキャラ設定で旅に出る理由と必然性は何なの? と勘ぐりたくなる事例もちらほらあるように思う。それで「自分の旅の経験を本に書きたいんです!」という人には、旅先で見聞きして感じた経験を読者に伝えたいのか、それとも旅先で面白いことをやらかしているキャラ化した自分の武勇伝を書きたいのか、どっちなんだろう、と思ってしまう。目的が後者であれば、別に無理して旅に出なくてもいいような気もするのだ。

旅の仕方は人それぞれ、自由であっていいとは思う。ただ、僕自身は、旅の本を選ぶなら、自分が興味のある土地の文化や人々の様子が丁寧に描かれている本を選びたい。

仕事の旅と自分の旅

来月、「旅の本を作るという仕事」というテーマのトークイベントに出演することになったので、何を話そうかとあれこれ考えているうちに、ふと思い当たったこと。

たとえば、旅にまつわる文章を本や雑誌に書く仕事をしたいと志している人がいたとする。で、それに必要なスキルを身につける仕事としては、旅行関係の雑誌やムックやガイドブックを作っている会社や編プロで働くのが近道だ、と世の中の多くの人は考えると思う。僕も最初はそうなんだろうなーと考えていたのだが、あらためて、自分の知っている腕利きの旅行作家や旅写真家の方々の経歴を思い返してみると……そういうステップを踏んでいない人の方が、ずっと多かったのだ。

旅行関係の媒体を作っている会社に勤めると、独立した後も役立つ人脈を形成できるというメリットはある。でも、早い段階から仕事として課せられた旅をくりかえすことで、旅や異国に対する新鮮な感覚が磨耗してしまうかもしれないデメリットもある。実際、以前関わっていたある旅行関係の編プロにいた人は「もう取材に行きたくない……疲れた」と、うんざりした顔でぼやいていたし。

本や雑誌作り自体に必要なスキルは、別ジャンルの本や雑誌の仕事をしていても、まったく問題なく身につけられる。むしろ、若い時期ほど、行きたいと思った時に自分の好きなように旅をして、本当の意味で自分らしい経験を自分の中にたくわえていった方が、スキルと経験のバランスが取れた時に良い成果を生み出せるような気がする。あくまで僕個人の推測だけど。

仕事の旅は、自分自身の旅を満喫した後でも、いくらでもできる。自分の旅を楽しむ方が、ずっと糧になると思う。

違う選択肢

昨日の深夜、ふと、そういえば、と思い当たったことなのだけれど。

6年前に他界した僕の父は、高校で国語の教師をしていた。現国、古文、漢文。でも、僕が子供の頃に父から与えられていたのは、海外文学を翻訳した本ばかりだった。岩波書店から刊行されていた本が多かったと思うが、それはもう、本当に徹底していて。日本の作家の本を与えられた記憶は、まったくと言っていいほどない。その影響が刷り込まれているからなのか、僕は今も本屋をぶらついていると、しぜんと海外文学の棚に足が向いてしまう。

父自身が海外文学を好んで読んでいたかというと、そうでもなく、書斎の本棚に収まっていたのは日本の作家の本や実用書ばかりだった。彼はなぜ、子供の頃の僕に海外文学の本ばかり与えたのだろう。当時の父の意図は、今はもう知るすべもない。ただ、もしかしたら彼は、自分自身とは違う選択肢を僕が選ぶこともできるように、可能性の幅を持たせてくれたのかもしれない、とは思う。

結果的に僕は、父とはまったく違う道を選び、イバラだらけの道に突っ込んでしまった。でも、違う選択肢を選べる幅を持たせてくれた彼には、感謝している。

次の旅へ

去年の10月末にタイでの取材を終えて戻ってきてから、かれこれ2カ月半、日本にいる計算になる。散髪に行っても、コーヒー豆を買いに行っても、行く先々で「あれ、まだ日本にいるんですね」「次はいつ、どこにですか?」と聞かれる(苦笑)。

次の旅は、実はもう決まっている。必要な手配もほぼ済ませた。3月上旬に一週間。目的地は、アラスカ。原野の真っ只中にあるウィルダネスロッジに、数日間、滞在させてもらう。今回はキャンプではないので、幕営の装備や食糧を持っていかなくていいから、かなり楽だ。これまでに比べると、ちょっと甘ちゃんの計画(笑)。

とはいえ、まだ雪がたっぷり積もっているはずの極寒の原野。油断してると、間違いなく痛い目に遭うだろう。ぬかりなく準備して、気を引き締めて、あらゆるものを見て撮って感じて書いて、楽しんでこようと思う。

「この世界の片隅に」

昨年暮れからずっと観に行きたいと思っていた映画「この世界の片隅に」を、ようやく観ることができた。公開されてからずいぶん日が経ったのに、映画館はぎっしり満席。聞くと、年明けから、各地で上映館が大幅に増えたそうだ。興収は10億円を突破し、「キネマ旬報ベスト・テン」では日本映画の第1位に選出。日本の社会にまだ、こうした作品が受け入れられてきちんと評価される土壌が残っていたことに、正直、ちょっとほっとしている。

舞台は昭和初期の広島。18歳の少女すずは、縁談が決まって、軍港の街、呉に嫁いでくる。ずっと穏やかに続いていくはずだった、当たり前の日常。しかし世界は少しずつ、ひたひたと、恐怖と狂気に浸されていく。やがてその狂気は、すずにとって大切な人やものを、喰いちぎるように奪い去ってしまう。そしてあの夏が来て……それでも、人生は続いていく。

観終わった後、子供の頃に父から聞かされた、終戦の頃の話を思い出した。岡山で大空襲があった後に降った雨。シベリアで抑留されるうちに身体を壊してしまった祖父。祖父が留守の間、一人で畑を耕しながら父を育てた祖母。故郷に戻ってきた祖父が父への土産に持ってきたキャラメルが、本当に甘くておいしかったということ。最近では、そんな話をしてくれる大人も、すっかり少なくなってしまった。

今の日本は、うすら寒い狂気と恐怖に、再びひたひたと浸されはじめているように僕は感じる。ふと気付いた時には、いろんなことが手遅れになってしまっているかもしれない。だから、この作品は、一人でも多くの人に、特に10代、20代の若い人たちに、観てもらいたい。ありふれた日々のかけがえのなさと、それを守るためには何が必要なのか、「普通」であり続けるために僕たち一人ひとりがどう生きるべきなのかを、考えてもらえたら、と思う。