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「マジック」

キネカ大森でのインディアン・シネマ・ウィーク(ICW)、僕が2本目に観たのは、タミル映画、ヴィジャイ主演の「マジック(Mersal)」。この作品は昨年暮れにインドで公開されて以来、後述する話題などもあって、大ヒットを記録している。

チェンナイで、どんなに貧しい患者でも5ルピーで診察する医師、通称「5ルピー先生」のマーランは、パリの国際会議で表彰されるほどの人徳者。そんな折、とある事故に関わった4人の医療関係者が誘拐されて行方不明になり、マーランは容疑者として逮捕されてしまう。彼と瓜二つの顔を持つ謎のマジシャン、ヴェトリとは何者なのか。その過去に秘められた悲劇、真の巨悪とは……。

インド映画では主演が一人二役とかいうのはさほど珍しくないのだが、この作品でのヴィジャイは、なんと一人三役。序盤から息もつかせぬ展開で、マーラン/ヴェトリの正体をめぐる謎にグイグイ引き込まれていく。極彩色のダンスシーンと、ぬらぬらした血飛沫の舞う過激なアクション。映画館の大画面とはらわたに響く爆音でこの作品を堪能できたのは、本当にありがたかった。この映画の重要なテーマであるインドの医療問題について、込み入った台詞の内容を日本語字幕で正確に追えたのも助かった。

そう、この作品には、現在のインドの医療が抱えている深刻な問題(公立病院の慢性的な不足、法外な医療費のかかる私立病院、蔓延する不正の数々)を痛烈に批判していて、その矛先は今のインド政府与党のBJPにも向けられている。作中には「シンガポールでは7%の物品サービス税(GST)によって医療を無償化している。インドは最大28%ものGSTを取っているのに、なぜ医療を無償化できないのか」という台詞も織り込まれていて、このシーンのカットを要求したとされるBJPに対して猛烈な抗議が寄せられたことも話題になった。

社会的なテーマをがっちり組み込んではいるが、この作品は正真正銘の娯楽大作。こういう映画づくりがちゃんと行われていて、大衆もそれを拍手喝采で受け入れているのが、タミル映画の奥深さなのだなあ、と実感した。

ヴィジャイの一人三役に合わせて登場するカージャル、サマンタ、ニティヤのトリプルヒロインがちょっと出番少なめかなあとか、ほぼ全部をCGで片付けようとしてるマジックシーンとか(苦笑)、細かく言いはじめたらまあいろいろあるにはあるが、この映画は、最初から最後までアドレナリン全開でどっぷり楽しめば、それでいいのだと思う。

「神が結び合わせた2人」

日本でのインド映画の上映企画というと、これまでは10月に開催されるインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン(IFFJ)が有名だったが、去年あたりから、9月にもインディアン・シネマ・ウィーク・ジャパン(ICW Japan)という企画が始まった。このICW、今年は上映本数も一気に増えて、なかなかの良作が揃っている。中でもインド映画クラスタが歓喜しているのは、「神が結び合わせた2人(Rab Ne Bana di Jodi)」。シャールク・カーンと、この作品でデビューしたアヌシュカー・シャルマーのラブコメだ。

アムリトサルで電力会社に勤める生真面目なスーリは、恩師の娘ターニーの結婚式に招かれた夜、そのターニーに一目惚れ。ところが、ターニーの婚約者は交通事故で急死し、恩師もショックで心臓発作を起こしてしまう。死に際の恩師の願いに従い、スーリはターニーと結婚するが、ターニーは「もう誰も愛さない」と心を閉ざしたまま。暇つぶしと気晴らしにダンス教室に通いはじめたターニーを見守るべく、スーリはラージというチャラけた男に扮して、ダンス教室に潜入する……。

七三分けにメガネと口ひげのいなたいスーリと、グラサンにピチTとデニムといういろいろやりすぎのラージ。この二役(というか同一人物だけど)を演じ分けるシャールクが、何だか本当に楽しそうで(笑)。無敵でも不死身でもないけれど、ただただターニーを思い続けるそのひたむきさには、観ていて胸にぐっとくるものがあった。一方、デビュー当時のアヌシュカーの初々しい美しさは、文字通り眩しいほど。ちょっとズレてる日本絡みのネタや、「Dhoom」などのパロディネタも結構仕込まれていて、笑いどころも多かった。

喜怒哀楽の感情をそれぞれめいっぱい振り切って、最後は「あー、よかった! 面白かった!」とすっきりした気分で席を立つ。そう、こういうインド映画を観たかったんだ。

インド率増大

昨日の夜は、吉祥寺のレンガ館モールの地下にある中華料理屋でごはんを食べながらの打ち合わせ。来年から参画する新しい仕事について。

新しい仕事というのは、撮影と執筆を伴う取材で、インドにまつわる旅の本づくりをお手伝いするというもの。ラダックやスピティをはじめ、その他のインドの地域もいくつか担当することになった。それも一回限りではなく、たぶんほぼ毎年。つまり、一年のうちにインドに滞在する時間が、今まで以上に増えるということだ。

たとえば、来年は多くても合計で2カ月くらいのインド滞在になると考えていたのが、昨日の打ち合わせを踏まえると、少なくとも合計3カ月はいなければならなくなりそう。年の4分の1をインドに持ってかれるわけである(苦笑)。

まあ、新しい仕事自体はとても面白そうだし、一緒に組むスタッフも凄腕の方々ばかりなので、楽しみではあるのだが。残りの人生における予想以上のインド率の増大に、やや戦々恐々としている。

想定外すぎる顛末

今年の夏のアラスカへの旅では、後半に、アナクトブック・パスという村に3日間滞在する計画を立てた。北極圏の扉国立公園(Gate of Arctic National Park & Preserve)の只中にぽつんとある、僻地中の僻地だが、大型セスナの定期便はフェアバンクスから毎日運航しているし、村には一軒、レストラン付きの宿もあるという。旅行会社を通じてもろもろを予約手配し、行ってみることにした。

で、アンカレジからフェアバンクス経由で飛行機を乗り継いで、アナクトブック・パスに着いたのだが、あると聞いていた宿がまず見当たらない。何人かの村人(そもそも外を出歩いてる人がほとんどいない)に聞いて、連れていってもらった建物は、看板もなく、中も散らかってて荒れ放題。玄関のナンバーキーを開けてくれた近所の人曰く、宿のマネージャーを務めていた人がこの春に亡くなって、以後は宿もほぼほったらかしの状態らしい。

かろうじて電気と水は使えたので、寝起きできる状態の部屋のナンバーキーを開けてはもらったが、共用のトイレやバスルームはぐちゃぐちゃ。宿に付設のレストランも長い間営業しておらず、汚れた食器がシンクに山と積まれている。使えるのは電子レンジ一台だけ。あわてて村に一軒だけある食料品店に行って、棚に少しだけあったレンジフードと、果物の缶詰、水とジュースを3日分買い込み、滞在中はそれらでどうにかしのいだ。

僕も今までそれなりにいろんな場所を旅してきたが、予約していた宿の人が亡くなってて、誰も管理していない半ば廃屋のような宿でのホラーじみたサバイバルというのは、当たり前だが初めての経験だった。飲み会の席での話のネタとしてはそれなりに引きはあるのかもしれないが、取材目的での旅にはただただマイナス要因でしかなくて、今回の取材や撮影は、正直言ってあまり思い通りにはいかなかった。残念。

まあ、想定外すぎる顛末とはいえ、自分の計画の詰めの甘さもあったのかな……。そういう意味では、良い勉強になった。

「Pad Man」

今年の夏、デリーからサンフランシスコまで飛ぶエアインディアの便に乗った。成田〜デリー間の便に比べるとインド映画のラインナップも少なめで、しかも僕の席はイヤフォンの調子がものすごく悪かった(席のプラグがいかれてたっぽい)。なので、その機内ではインド映画はあまり観られなかったのだが、これは良かったな、と思ったのは、アクシャイ・クマール主演の「Pad Man」。インドで安価な生理用ナプキンの製造方法を開発し、その普及に努めた実在の人物をモデルにした作品だ。

修理工場に勤めるラクシュミーは何でも自分で工夫して発明してしまう器用な男で、愛する妻のガーヤトリーと幸せな生活を送っていた。だが彼は、妻をはじめとする周囲の女性たちが、生理になると不浄な者として母屋を追い出され、不衛生な布切れをナプキンの代わりにし続けていることに疑問を抱く。こうした慣習は女性に致命的な病気を引き起こす危険があると医師から聞いた彼は、一般の女性には高価すぎて手が出ない市販品の代わりに、より安価なナプキンを作れないか、と試行錯誤するようになるが……。

映画仕立てにしたストーリーだから、という点は差し引いて考える必要はあるとは思うけど、インドの地域社会の閉鎖性にはいささか驚かされた。その頑なさに、主人公ラクシュミーの取り組みは何度も跳ね返され(まあ、彼の物事の進め方もいささか無理くりな面はあるのだが)、ついには故郷から追い出されてしまう。後半ではソーナム・カプール演じる女性パーリーの協力を得て、農村で暮らす女性の自助活動の一環として安価なナプキンの普及に取り組むラクシュミーの奮闘が描かれる。映画の終盤、ラクシュミーが国連でカタコトの英語でスピーチする場面は圧巻で、シンプルに胸を打つ。最後の最後は、ハッピーエンド、なのか? インドの人たち、そんな手のひら返しでいいの? とツッコミたくなったが、そう思わせることも含めてのエンディングなのかもしれない。

日本でも、2019年12月からの劇場公開が決定したという。日本語字幕でじっくり見られるのが楽しみだ。