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「巡礼の約束」

岩波ホールで公開が始まったチベット映画「巡礼の約束」を観に行った。チベット人のソンタルジャ監督の前作「草原の河」は日本で初めて商業公開されたチベット映画で、静謐な気配に満ち満ちた印象的な作品だったので、今作も楽しみにしていた。

ギャロン地方の山間に暮らしていた、ロルジェとウォマの夫婦。ある日突然、ウォマは「五体投地礼でラサまで巡礼に行く」と言いはじめる。理由を訝り、諫めるロルジェだが、ウォマは聞く耳を持たず、ラサへと出発してしまう。やがてロルジェと、ウォマと離れて暮らしていた前夫との息子ノルウが巡礼に合流する。つかの間訪れる、三人の穏やかな時間。しかし、ウォマは、ロルジェに対して大きな秘密を抱えていた……。

この映画の原題「阿拉姜色(アラ・チャンソ)」は、チベットの民謡の名前で、劇中にも印象的な形で登場する。それもとても良い題だが、邦題の「巡礼の約束」も、この映画のテーマにぴたりとフィットしていて、良いアイデアだなあと思った。夫から妻へ、母から息子へ、受け継がれていく、巡礼の約束。個人的には、特にロルジェが損な役回りすぎて不憫で仕方なかったが、行き場のない愛情とやりきれない思いを抱えて巡礼のバトンを受け取る彼の祈りの姿には、胸を打たれた。

良い映画です。チベット好きの方は、ぜひに。

Tai Pei, Kaoh Siung, & Wu Tai

平和産業

今年の旅行業界は、かなり厳しい状況に陥ると思う。

理由は、例の新型肺炎だ。実際の危険性よりも、得体の知れない病が流行しているという情報の蔓延が、必要以上に人々の警戒心を煽っている。用心し過ぎるに越したことはないのだが、そういう警戒心によって、人々の行動の選択肢から真っ先に排除されていくものの一つが、旅行だと思う。

インバウンドもアウトバウンドも、旅行会社はすでに青息吐息の状態だろうし、新型肺炎が終息するまで(半年はかかるのでは)持ちこたえられない会社も出てくると思う。僕自身の仕事は旅行関係の書籍を作る仕事だが、ガイドブックを出している出版社は印刷部数を低めに設定し直すに違いないし、出版社に新刊の企画を持ち込んでも通しにくくなるだろう。影響は、僕や同業者にも少なからずある。

旅行業界は、結局、平和産業なのだ。政情不安やテロ、戦争、そして疫病の流行など、何かが起これば、もろに影響を受ける。その大波が静まるまで、僕らはじっと耐えて待つしかない。最近は、そういう大波の押し寄せる頻度が、ずいぶん増えてきているようにも思う。

まあ、こればっかりは、仕方がない。できる範囲で、がんばろ。

魯肉飯と蘿蔔湯

台湾を旅した時、魯肉飯を食べる機会が何度かあった。

魯肉飯は、さいの目切りにした豚バラ肉を煮込んで、ごはんにかけたもの。台湾には魯肉飯を出す店がそこら中にあるのだが、日本でイメージされているよりもずっと安価で気安く食べられる、汁かけごはんといった感じで出されていた。僕もその気安さがすっかり気に入ってしまって、帰国後、自分でも二度ほど作ってみた。

豚バラは締まりのある国産肉の方がよさそう。最初に八角をごま油でテンパリングし、生姜のみじん切りを炒め、さいの目に切った豚バラを炒める。砂糖、酒、黒酢、醤油、オイスターソースを加え、適量の水を足し、トロ火で4、50分煮込む。フライドオニオンを足すと、とろみをつけやすい。ゆで卵を一緒に入れておくと、いい感じの煮卵になる。煮えたら、炊きたてのごはんを丼によそって、その上にどばーっとかける。好みで花椒を軽く振ってもいいかも。煮卵のほかに茹でた青菜とかを添えると、華やかになる。

甘辛い魯肉飯と一緒に、さっぱり味の蘿蔔湯(大根のスープ)を用意すると、さらにいい感じに。大根は一口大くらいに切り、2、30分ほど煮る。ガラスープの素、ナンプラー、塩、胡椒などで適当に味付けして、最後に青ネギなどを投入すればOK。

魯肉飯と蘿蔔湯を晩ごはんに食べて、食後に台湾蜜香紅茶を飲めば、気分はもうすっかり、あっちの国である。

日常を撮り続けた人

一昨日の月曜は、昼過ぎから渋谷で打ち合わせが入ったので、午前中のうちに家を出て、同じ渋谷で開催中の「永遠のソール・ライター」展を見に行った。平日の午前中なら空いてるだろうと予想していたのだが、思いの外、人が多い。みんな、じっくりと展示に見入っていた。

ソール・ライターのことを知ったのは、2015年の暮れに彼についてのドキュメンタリー映画を見てからだ。2017年には最初の回顧展が行われて好評を博し、今回の写真展はその第二弾になる。一時間半ほどかけて、ゆっくり展示を見させてもらって感じたのは、「同じだなあ」ということ。もちろん、展示作品はほとんど入れ替わっているのだが、一つひとつの作品の根底にある本質は、まったく変わらず、ぶれていない。

彼は、彼を取り巻く日常を、ただただ愛していたのだと思う。商業写真家からの引退後、彼が54年間撮り続けた、ニューヨークのイースト・ヴィレッジでの日常を。妹のデボラや、生涯のパートナーとなったソームズなど、近しい人々と過ごす時間を。日常へのゆるぎない肯定が、彼の写真の本質なのだと思う。

自分も、もっと頑張ってみようと思う。撮ることも、書くことも。目の前の日常にも、遠い空の下の日常にも、見つめるべきことは、まだまだ、たくさんあるはずだ。