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今は旅に出られなくても

「今年、旅に出られなくて、つらくないですか? 禁断症状、出てないですか?」的なことを最近よく聞かれる。普段は1年のうち3、4カ月を海外で過ごしている身だし、そう思われるのも無理はない。

実のところ、自分でも意外だったのだが、旅に出られなくても、特にしんどくはない。コロナ禍でそれなりに不自由はあるけれど、東京での日々の暮らしを、淡々と過ごせている気がする。

理由はいくつかある。ここ10年ほどの間に、旅の動機が取材やガイド業といった仕事にすっかり移行していて、純粋な気晴らしやレジャー目的で旅に出ることがほぼなくなっていたこと。今の時点で、「冬の旅」の時の取材のように重要な取材の予定は特になかったということ、など。海外に行けないなら、まあ東京にいるしかないよね、しゃーない、と、割とあっさり受け入れているように思う。

取材で海外に行けなかったり、国内での取材仕事にもコロナ禍で影響が出ていたりで、本来あったはずの収入も目減りはしているが、去年の取材仕事の報酬や先日出した本の印税などもささやかながら入ったし、二人暮らしの今は固定費もそこまで嵩まないので、当面はまあ、何とかやっていける。今の状況がさらに長引く可能性もあるので、その場合の対策はしておく必要はあるけれど。

厳寒期のザンスカールやルンナクで過ごした日々を思えば、今の方が、よっぽど楽だ(笑)。いつかまた、旅に出られるようになる時に備えて、今できることを、ゆっくり、あれこれ、準備しておこうと思う。

「カセットテープ・ダイアリーズ」

先週末、六本木の映画館で「カセットテープ・ダイアリーズ」を観た。相方と一緒に観に行ったのだが、相方はこれが2回目の観賞。僕がインド関係のイベントに出展してる時に一人で観に行って、すっかり気に入り、僕も連れてもう一度観に行きたいと思ったのだそうだ。

舞台は1987年の英国の片田舎の町、ルートン。パキスタン系移民の息子ジャベドは、厳格な父親からの締め付けや、移民の存在を快く思わない町の人々からの偏見に悩みながら、その思いを誰にも見せない日記や詩に書き綴る日々を過ごしていた。そんなある日、ジャベドはクラスメイトのループスが貸してくれたブルース・スプリングスティーンのカセットテープを聴いて、衝撃を受ける。自分の鬱屈した思いをすべて歌ってくれているかのような彼の音楽に、夢中になるジャベド。スプリングスティーンが楽曲に込めたメッセージに背中を押されるように、ジャベドの人生も変わりはじめていく……。

この作品は実話を基にしているそうなのだが、苛酷な生い立ちや厳格な父親に抗いながら、自身の才能と努力で人生を切り拓いていくという構図は、サクセスストーリーとしては王道中の王道だ。最近だとインド映画の「シークレット・スーパースター」や「ガリーボーイ」なども同じ構図だが、この2作品では最終的に家庭が瓦解してしまうほど切迫した設定になっている。それらに比べると「カセットテープ・ダイアリーズ」はもう少しマイルドで、家族や地域とのつながりが大きなテーマとなっているように思う。

スプリングスティーンによって心を解き放たれたジャベドは、恋に、友情に、そして将来の夢に、勇気を奮って歩み出していく。その過程の多くは、インド映画のダンスシーンを参考にしたかのようなミュージカルで描かれているのだが、インド映画ほどキメキメではなく、演者の照れや初々しさがそこはかとなく感じられる(笑)。何から何まで全部スプリングスティーンの歌でくるんで一気に突っ走っていくという、不思議な爽快感のある演出だ。

そんなジャベドたちの行手には、格差社会や移民への無理解という、醜悪で頑迷な壁が立ち塞がる。その壁は、2020年の今もなくなるどころか、さらにこじれた形で世界中にはびこっている。それに完全に打ち克つことはとても困難だが、声を上げ続けることをあきらめてしまってはいけない、ともこの作品は語っているように思う。

総じてとても良い作品だったのだが、公式のパンフレットに、ちょっと残念なミスを発見。ジャベドにスプリングスティーンを教えた親友のループスを「ムスリム系の陽気なクラスメイト」と説明しているのだが、劇中で見るかぎり、ループスはパンジャーブ系のスィク教徒という役柄だと思う。

軋む世界

気がつけば、今日から7月。2020年の半分が終わってしまった。すっかり失われてしまった、という感触に近い。

米国やブラジル、インドなど、いまだに多くの国々が、コロナ禍に喘いでいる。日本というか、東京もそうだ。都知事選の投票日を過ぎたとたん、東京の1日の感染者数が3桁に増えてもまったく驚かない。旅行者が普通に海外と行き来できるようになるのは、来年以降になるだろう。東京五輪? そんなの、無理に決まっている。

米国では、Black Lives Matterの怒りの炎が燃え盛っている。ラダックでは、中国軍とインド軍が針金を巻いた鉄パイプで殴り合っていて、どちらがトリガーを引いてもおかしくはない。香港は、国家安全法によって完全に押し潰されようとしている。

自分の身の回りでも、遠く離れた国々でも、世界が、ぎしぎしと軋みを上げ、ひび割れ、砕けそうになっているのを感じる。人間の冷静さと良心で、それらをつなぎ止めることはできるのだろうか。たとえできなくても、やれることを、やるしかないのだろうけど。

嵐が過ぎ去るまで、ただ耐えるだけでは、ダメなのかもしれない、と思う。

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ジョン・マクフィー『アラスカ原野行』読了。だいぶ前に買っていたものを、ようやく読み終えた。本文2段組、450ページの大著で、1970年代のアラスカとそこで生きる人々の横顔が、雄大な自然の描写とともに丁寧に書き綴られている。環境保護と開発、先住民と白人の移住者、原野での生活を希求する者たちの葛藤。きれいごとだけでは描ききれない、当時のアラスカのリアルが詰まった、貴重な記録。

たぶん二年後

2020年は、1月の初めに台湾に行ったのが、最初で最後の海外滞在になってしまいそうだ。いつもだと、夏にインド、秋にはタイと、何だかんだで年に3カ月は海外で過ごすのだが、今年はどちらも訪れるのは難しいと思う。夏の終わりには個人で計画したアラスカでの取材も予定していたが、これもたぶん無理だろう(思い切って再来年に航空券をリスケしようと思っている)。

タイとの間ではビジネス目的の人を中心に少しずつ移動が緩和されていくようだが、インドは今も日に1万5000人ものペースで新型コロナ感染者が増え続けていて、かなり厳しい状況だ。

今後、国と国との間の移動規制が緩くなったとしても、各国の観光関連の受け入れ体制がすぐに復旧するとはとても思えない。そういう状況下では、ガイドブックのための取材も当然成り立たない。

じゃあ、来年は復旧するのかというと、それもかなり怪しいと思う。ワクチンのような根本的な解決策が普及しないかぎり、以前のように海外旅行が気軽にできるような状況にはならないだろう。それまでは航空券などの値段も吊り上がるだろうし、宿やレストランや商店、旅行会社なども、廃業に追い込まれるところが増えるだろう。海外旅行は高嶺の花という時代がしばらく続くことになりそうだ。

たぶん二年後、かな。コロナ禍が落ち着いて、国と国との間を誰もが普通に行き来できるようになるのは。それまで持ちこたえられるように、今後の仕事の計画をあらためて練り直そうと思う。

ただただ、それしか

良い文章を書きたい。良い写真を撮りたい。良い本を作りたい。

取材や執筆、編集の仕事に取り組む時、僕は今までずっと、そんな風に自分自身に言い聞かせるようにしながら、対象と向き合ってきたように思う。少しでも良いものを作ることを目指すのは、プロとして果たすべき当然の責務だ、と思っていた。

でも、この間上梓した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』は、別だった。取材の間も、原稿を書いている間も、編集作業の間でさえ、「良いものを作らなければ」という意識は、ほとんど持っていなかったように思う。

あの冬の旅で、目の前で起こる出来事の一つひとつを、ありのままに、捉え、記録し、伝えよう。ただただ、それしか、考えていなかった。映える写真を撮ろうとか、上手い文章を書こうとか、1ミリも考えていなかった。本当に心の底から伝えたいと思える出来事を伝えるために、ただただ、無心で、全力を振り絞り続けた。

考えてみたら「良いものを作る」というのは、プロなら当たり前のことで、意識するまでもなく脊髄反射的にできなければならない作業なのだ。それよりも大切なのは、対象に対して完全に集中して、ありのままに伝えること。少なくとも僕にとっては、それが一番大切にすべきことなのだと思う。

この歳になって、ようやく、一冊の本で、それをまっとうにやり遂げることができたような気がする。