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竹沢うるま×山本高樹「空と山々が出会う地で、祈りの在処を探して」


写真家の竹沢うるまさんとのトークイベントに出演することになりました。昨年末に刊行された竹沢さんの紀行『ルンタ』と、僕が一年前に上梓した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』のW刊行記念トークイベントです。

開催日時は4月17日(土)19時から、下北沢の本屋B&Bにて。少人数のご来場を受け付ける予定で、配信視聴による参加も可能です(アーカイブ視聴もご用意します)。サイン本付きの設定もあります(「冬の旅」のサイン本ご購入の方には「夏の旅」もお付けします)。予約方法や注意事項などの詳細は、下記のリンク先をご参照ください。

きっと面白いイベントになると思います。ご予約、お待ちしています!

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竹沢うるま×山本高樹
「空と山々が出会う地で、祈りの在処を探して」
『ルンタ』(小学館)『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)W刊行記念

インドのスピティやザンスカール、ネパールのムスタン、中国の青海省と四川省など、世界各地のチベット文化圏をめぐる足かけ3年に及ぶ旅を綴った紀行『ルンタ』を上梓した、竹沢うるまさん。

インドのザンスカールで真冬に催される幻の祭礼を見届けるため、極寒の世界を歩いて旅した日々の記録を、紀行『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』に綴った、山本高樹さん。

旅した地域やテーマにも共通点の多い、この二人の著作のW刊行記念イベントを開催します。

二人が旅したチベット文化圏は、今の私たちが暮らしている、あふれんばかりの情報や物資に満たされている社会とは、対極の存在にあります。あらゆることが不便であるはずの辺境の地で暮らす人々の表情は、不思議に穏やかで、満ち足りているように見えた、と二人は言います。それはいったい、なぜなのでしょう。

変わっていくものと、変わらないままのもの。祈りとは、心とは、人が生きる意味とは。旅の果てに、二人がそれぞれに見出したのは……。

旅や写真、チベット文化圏に興味のある方はもちろん、今の社会にどこかしら生きづらさを感じている方にも、ぜひ聴いていただきたい、注目のトークイベントです。

■日時:2021年4月17日(土)19:00〜21:00

■会場:本屋B&B
世田谷区代田2-36-15 BONUS TRACK 2F
http://bookandbeer.com/

■参加費
【来店参加】:1500円(税別)
【配信参加】:1500円(税別)
【配信参加+サイン本】1500円+『ルンタ』2500円(税別)
【配信参加+サイン本】1500円+『冬の旅』1800円(税別)
【配信参加+サイン本】1500円+『ルンタ』2500円+『冬の旅』1800円(税別)
※書籍の発送はイベント後となります。

■参加方法
下記のページで、記載されている注意事項をお読みの上、お申し込みください。
https://bb210417c.peatix.com

■登壇者プロフィール
竹沢うるま(たけざわ・うるま)
1977年生まれ。ダイビング雑誌のスタッフフォトグラファーを経て、2004年より写真家としての活動を開始。2010年〜2012年にかけて、1021日103カ国を巡る旅を敢行し、写真集『Walkabout』と対になる旅行記『The Songlines』を発表。2014年第三回日経ナショナルジオグラフィック写真賞受賞。その後も、チベット文化圏を捉えた写真集『Kor La』(小学館)と旅行記『ルンタ』(小学館)など、写真と文章で自身の旅を表現している。最新作は写真集『Boundary_境界』(青幻舎)。「うるま」とは沖縄の言葉でサンゴの島を意味し、写真を始めたきっかけが沖縄の海との出会いだったことに由来する。

山本高樹(やまもと・たかき)
1969年生まれ。著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地方での取材をライフワークとしながら、『地球の歩き方インド』『地球の歩き方タイ』の取材などで、世界各地を飛び回る日々を送っている。主な著書に『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』(雷鳥社)、『ラダック ザンスカール スピティ 北インドのリトル・チベット[増補改訂版]』(地球の歩き方)など。

自分の仕事

行きたい場所へ行く。見たいものを見る。会いたい人に会う。撮りたいものを撮る。書きたいことを書く。そして、作りたい本を作る。

ここ十数年ほどの間、自分がしてきた仕事をふりかえると、ただただ、単純に、こういうことをくりかえしてきたのだな、と実感する。これだけ自分本位にやりたいことをやってきて、それで報酬をもらって生活できていたというのも、ある意味、恵まれていたというか、幸運だったのだと思う。

昨年来のコロナ禍で、もうしばらくは、手元にストックしている素材を仕事に変えたり、国外へ行かなくても実現できる仕事をつないだり、という時期が続くだろう。ただ、それも未来永劫に続くわけはないので、需要の揺り戻しは必ず来る。その時、自分に何ができるか。何をすべきか。きちんと考えて準備しておかなければ、と思う。

入念に策を練って、準備を整えて、その時が来たら、出すべき力を出して、成果を確実に掴み取る。幸運をアテにするのではなく、自分の力で。

東京五輪

2020年の東京五輪には、もともと、まったく興味がなかった。各国の代表選手や関係者の方々には悪いけれど。

僕の自宅にテレビはないし、観戦チケットに応募するという発想も1ミリもなかったし、開催期間中は東京を離れて、ラダックかどこかに滞在するつもりでいた。昨年来のコロナ禍で、東京五輪も、僕の海外渡航も、延期になってしまったわけだが。

僕の海外取材の仕事が復活するのは、どんなに早くても今年の暮れ以降になると予測しているのだが、東京五輪の主要関係者はまだ、今年の夏に予定通り大会を開催すると息巻いているという。東京はいまだに緊急事態宣言の真っ只中で、入院したくてもできない罹患者が何千人もいて、医療従事者も一般市民も疲弊し切っているというのに。

この状況下で、おそらく全部で数万人以上になる世界各国の代表選手団やその関係者を国内に招き入れ、コロナ対策を講じながら大会を開催するのは、どう考えても無理だ。そのために必要な医療従事者の人員を確保できるわけがない。各地の病院は慢性的に人手不足だし、大会と同じ時期には、全国各地でワクチン接種も実施されているはずだし。

そもそも、裏金と賄賂で誘致してきた五輪だった。新国立競技場はコンペの段階からグダグダだったし、大会エンブレムのデザインはパクリだったし、もっともコンパクトな大会になると謳われていた予算は、3兆円にまで膨れ上がった。そして昨年のコロナ禍で、何の根拠もないまま、とりあえずの1年延期。今、世論調査で国民の8割が中止か延期を望んでいる中、日本政府も東京都もIOCも、中止の言い出しっぺになって責任を負いたくないので、だんまりを決め込んでいる。

今は、世界中の人々が、とにかくコロナ禍を生き延びて、自分たちの生活を守り抜くために、ただただ必死にもがいているのだ。各国の代表選手や関係者の方々には悪いけれど、東京五輪は、今のこの状況でやるべきことでは、まったくないと思う。それよりもずっと大切な、社会を挙げて取り組まなければならないことが、たくさんあるはずだ。

旅行作家と旅写真家は滅亡するか

自分で文章と写真を手がける形で旅の本を作るようになって、かれこれ十数年が経つ。世間一般のカテゴリーにあてはめると、僕の職業は、旅行作家(トラベルライター)兼旅写真家(トラベルフォトグラファー)ということになるのだろうか。まあ、それ以外に編集の仕事もしているし、旅行関係以外の仕事も、あれこれやっているのだが。

で、この文章の表題になるのだが、旅行作家や旅写真家という職業がこれからの社会で生き残る余地は、ますます少なくなっていくと思う。今の時点でも、紀行文だけで食えている旅行作家は、国内でも数えるほどだろうし、旅の写真だけで生計を立てている旅写真家も、おそらくほんのわずかだ。ほとんどの人は、国内外でいろんな仕事を掛け持ちしながら、その中で旅行関係の文章を書いたり、あるいは旅先の写真を撮ったりして、依頼に応じてそれを仕事に変えている。

総収入における旅行関係の仕事の収入の割合は、誰も彼も、おそらくどんどん目減りしていると思う。旅の文章や写真の仕事ができる媒体が、めっきり少なくなったからだ。以前は僕も、雑誌の巻頭グラビアなどに写真紀行を時々寄稿していたが、最近は雑誌の数も減って、生き残っている各誌も予算は少なく、取材費も出ないところがほとんどだ。ガイドブックや旅行系ムックの取材や撮影も、ギャラの相場はどんどん下がっている。最近は、あちこちの旅行情報系Webサイトで、手持ちの写真と情報を使ってライトな記事を量産して、糊口をしのいでいる人も多いようにお見受けする。

Webを介した情報ツールの発達によって、旅のスタイルが大きく変わり、難易度が大幅に下がったことも大きい。Webで検索して調べれば、旅の情報収集からプランニング、ビザや交通手段や宿の手配まで、誰でも簡単にできるようになった。現地のSIMを入れたスマホを持っていれば、道に迷うこともない。最短距離で空港から宿まで直行し、絶景や名所旧跡は一カ所も見逃さず、食事も買い物も絶対にハズさない。性能の良いスマホのカメラで撮られた写真は、あっという間にSNSでシェアされていく。世界中のほとんどの場所への旅が、誰でも体験し、共有できるようになった今、旅行作家や旅写真家が求められる機会は、どんどん減っている。

たとえば、文章または写真が得意で、世界一周旅行をした人がいたとして、旅行記か写真集を運良く出せたとしても、その人が旅行作家あるいは旅写真家を職業としてずっと続けていくのは、今はとても難しい。実務経験の乏しい人が、文章力や撮影技術だけを売りにして、何か旅行関係の仕事がしたいと漠然と売り込みに行っても、たぶんほとんど相手にされない。WebやSNSには、素人目にはその人の作品とそう大差ない品質の、一般の旅行者による写真や文章があふれかえっているからだ。

さらに、昨年来のコロナ禍で、旅行作家も旅写真家も、あとしばらくは取材に出ることすらままならない。いつかはコロナ禍も沈静化し、旅行のニーズも復活してくるだろうが、すでに壊滅的なダメージを受けている旅行業界に、旅行作家や旅写真家を景気良く起用する余力が残っているとは思えない。

「文章や写真で、旅を仕事に」という、かつて多くの人が夢見たであろう道は、今やすっかり、いばらの道になってしまった。

それでも、職業としての旅行作家、あるいは旅写真家を目指していきたい、という人には、何かしらの特殊な武器が必要だと思う。特定の地域や文化に異様に詳しいとか、特殊な言語が堪能だとか、何か人には真似できないスキルがあるとか。そういう尖った武器がまずなければ、文章力や撮影技術で勝負できる土俵にすら登れない。そして、そういう武器をうまく活用できるようなアイデアを自分で企画し、提案し、実現する能力も必要だと思う。ほかの旅行作家や旅写真家と明確に差別化してもらえる尖った武器や企画を揃えて初めて、このいばらの道を切り抜けられる可能性が出てくる。

そうは言っても、これまでにある程度の実績を積んできた旅行作家や旅写真家は、たいてい、それぞれ何かしら特殊な強みをすでに身につけている。その間に割って入って、生き残ることのできる領域を見出すのは、たやすいことではない。僕も含め、多くの同業者がそうであるように、国内外でいろいろな仕事を掛け持ちしながら、その中で旅行関係の仕事ができるならうまく捌いていく、という取り組み方が、一番現実的な落としどころなのだろう。仕事を旅一辺倒にしてしまうとリスクが大きすぎることは、コロナ禍で証明されているし。

大切なのは、職業的な肩書きがどうとかではなく、文筆家として、あるいは写真家として、その人が旅というテーマを通じて何を生み出せるか、何を世の中に残せるか、だと思う。SNSで右から左に流れて一瞬で消費されるものではなく、人の心にずっと長く留め置かれるような価値のあるものを、作り出せるかどうか。基礎技術、武器となる強味、企画力、提案力、実行力、そして何より、熱意。それらを高いレベルで持ち合わせている人は、世の中がどうとか関係なく、必ず社会に爪痕を残す。

ふりかえって、自分は、どうだろうか。……全然、まだまだだな(苦笑)。頑張ります。

「人生は二度とない」


キネカ大森で開催中のインディアン・ムービー・ウィーク2020・リターンズで一番楽しみにしていたのは、2011年の公開作「人生は二度とない」。リティク・ローシャン、ファルハーン・アクタル、アバイ・デーオールの三人が主演を務め、カトリーナ・カイフやカルキ・ケクランも出るという、スペインを舞台にしたロード・ムービー。監督はファルハーンの姉で後の「ガリー・ボーイ」の監督でもある、ゾーヤー・アクタル。この顔ぶれで面白くないわけがない、と、2021年元旦の映画初めに観に行ったのだった。

親の建設会社に勤めるカビールは、インテリアデザイナーの婚約者ナターシャとの結婚の前に、独身最後の旅行に男友達とスペインへ出かけようと計画する。誘ったのは、学生時代からの二人の親友、ロンドンで株式ディーラーとして仕事漬けの日々を送るアルジュンと、デリーで広告コピーライターをしているちゃらんぽらんなイムラン。些細な喧嘩をしながらも始まった、車でスペインを巡る3週間の旅。それぞれ打ち明けられない悩みや葛藤を密かに抱える3人が、出会い、別れ、経験し、決意したものとは……。

期待通りというか、期待以上に、本当に面白かった。旅という行為のポジティブな面を、全面的に肯定して描いてくれているのが、とても清々しい。スキューバダイビング、スカイダイビング、ブニョールのトマト祭り、パンプローナの牛追い祭りといった大がかりなイベントを組み込み、旅の過程で3人がそれぞれの葛藤を乗り越えて成長していくさまを描いていながら、物語には無理なところも破綻もなく、ある程度のおとぎ話的展開はあれど、とても自然だ。主役の3人をはじめとする登場人物たちも、愛情を込めてコミカルに描き分けられている。今まで、ロード・ムービーはそれなりにたくさん観てきたが、それらの中でも出色の出来だ。

現実の旅なんて、そんな良いことばかりじゃないよ、と言いたくなる人もいるだろうし、その気持ちもとてもよくわかる気もする。でも、この作品に関しては、これでいいんじゃないかな、とも思う。僕自身、旅の中で「こんな経験は人生の中で二度とできない!」という思いを、たくさんさせてもらってきたから。こういうロード・ムービーを観て、「自分も旅に出てみようかな」と思い立つ人がいたとしたら、それはきっと、良い一歩だと思う。