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海外渡航とブースター接種

今、世界各国で流行の兆しを見せている、新型コロナウイルスのオミクロン株。日本ではまだ市中感染の報告はないようだが、おそらくそう遠くないうちに、それなりに感染拡大してくるだろう。オミクロン株は感染力が強く、ワクチンを2回接種している人でも、ブレークスルー感染する確率がかなり高いようなので。

少し前までは、もうそろそろ海外渡航も普通にできるようになるかも、という空気だったが、ここへきて、また見通しがまったく立たなくなってしまった感がある。オミクロン株の感染を効果的に防ぐには、3回目のワクチンを打つブースター接種が必要になるそうなので、海外渡航に必要なワクチンの接種証明、いわゆるワクチンパスポートも、3回分の接種の証明でなければならなくなるのではないかと、個人的に推測している。

となると、たとえば9月下旬に2回目のワクチン接種を終えた僕が、3回目の接種を終えられるのは、いくぶん前倒しで受けられたとしても、たぶん来年の3月か4月。混雑や供給不足の度合いによっては、夏頃までずれ込むかもしれない。ほかの多くの日本人も、ほぼほぼ同じような状況ではないかと思う。

来年の春はもちろん、夏にかけても、海外との行き来はまだ、ままならないのではないかな……。

僕自身、少し前までは、来年の夏にラダック方面に仕事で行く計画をあれこれ立てていたのだけれど、今は五分五分かそれ以下の実現可能性ということで構えておこうと考えている。行けたら行けたで、行けないなら行けないで、自分にできるタスクをそれぞれ用意しておこうと思う。希望的観測にのめり込んだあげく、世情に振り回されて消耗させられるのはバカバカしいし。

ま、なるようにしかならんさ。

ムネ・ツェンポ

去年の秋に買った、亡命チベット人医師ツェワン・イシェ・ペンバによる長編小説『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』。ダライ・ラマ六世の詩句を表題にしたこの壮大な物語、自分の本の作業に追われてなかなか手に取れなかったのだが、夏頃からじっくり少しずつ読み進めて、一昨日、最後まで読み終えた。フィクションではあるが、ある意味、ノンフィクション以上に当時のチベットのニャロンの人々の生き様を鮮やかに描き出した、凄い小説だった。

この小説の中で、印象深い場面はいくつもあるが、読み終えた後もずっと脳裏に残り続けている場面が、一つある。それは、物語の舞台となるタゴツァンの谷を占領した中国人民解放軍の政治委員タン・ヤンチェンと、村はずれにあるサンガ・チューリン僧院の高僧タルセル・リンポチェとの会話だ。

「新しい中国は、すべての人々が平等の権利を有し、平等を享受できる国になる」と力説するタンに、リンポチェは言う。「それは実に素晴らしい。我々のかつての王、ムネ・ツェンポの思想とまったく同じだ」と。

八世紀末頃に在位した古代チベットのこの王は、国内に蔓延していた貧富の差をなくすために、自身の分も含め、すべての土地と財産を分割して平等に分け与えた。だが何年か経つと、商才のある者は再び財産を増やし、ない者はまた貧困に陥るようになり、社会の格差は元に戻ってしまった。ムネ・ツェンポは二度、三度と土地と財産の分配を行ったが、そのたびに、しばらくすると国内の貧富の差は元に戻ってしまう。最後には、王による分配を止めるため、ムネ・ツェンポは暗殺されたと伝えられている、と、リンポチェはタンに語る。

タンとリンポチェの対話は、この後も平行線を辿ったまま続くのだが、このくだりを読んでいて、これはある意味、現在の中華人民共和国にもあてはまるな、と思わずにいられなかった。かつて、すべての人々に平等をもたらすという理想に燃える人々が建国したはずのこの国には今、世界でも類を見ないほど極端な貧富の差がはびこっている。人権の面でも平等にはほど遠い。チベットや東トルキスタンでの民族浄化は止まず、香港の民主化運動は文字通り叩き潰された。文化大革命の頃の危うい空気が、最近の中国には再び戻ってきているように感じる。

中国は、そしてチベットは、これから、どうなってしまうのだろう。

「当たり前」について

行こうと思えば、いつでも行ける。やろうと思えば、いつでもできる。二年前までは、そんな風に思えることばかりだった気がする。

ここ十年来、ラダックに行かない年は一、二度くらいしかなかったし、タイに至っては七年連続で、まったく同じルートで取材していた。飽きたというほどではなかったけれど、あー、またここかあ、という感覚で旅していた部分は、確かにあった。

そうした感覚が、去年と今年のコロナ禍で、強制リセットされたみたいな状態になってしまった。飽きるほど見慣れていたはずの景色が、今となっては本当に懐かしい。いつの日かまたラダックに降り立って、レーのメイン・バザールをぶらぶら歩くことができたなら、それだけですっかり感動するだろう。タイの道端の露店でカオマンガイを食べれたなら、興奮でおかわりしてしまうかもしれない。

国内でも、今はまだ気軽な行き来もままならないし、友達と集まってのお茶会や飲み会も憚られる。イベントごともまだまだお預けの状態。ついこの間まで、何の気兼ねもなく享受できていた「当たり前」のものごとなのに。

自分に今できるのは、うっかり罹患しないように引き続き用心しつつ、この面倒な事態が過ぎ去った後に備えて、こつこつと準備しておくことくらいかな、と思う。

次の次、そのまた次

少し前から、次に書こうとしている本の企画書作りに取り組んでいる。

この本に関しては、アイデア自体は以前からあって、「まったく新しいもの」というよりは、「すでにあるものをよりよい形に置き換えるもの」だ。アイデアさえ固まれば、原稿はすぐにでも書き始められるのだが、最終的に本として仕上げるには現地取材が必要なので、完成はまだだいぶ先になりそうだ。でも、頭の中で、ああしようかな、こうしようかな、とアイデアを練るのは、やっぱり楽しい。

この本の次に作ろうかなと考えている本も、実はうっすらとイメージはある。これは、最初からかなりがっつりと現地取材をして、その上で方向性を見定めていくことになりそうで、本として書けるかどうか、今はあまり自信がない。まあ、『冬の旅』の時も、旅の途中までは本にできる自信はまったくなかったから、この企画も実際にやってみないとわからないけれど。

で、そのまた次に作りたいと考えている本も、あるにはあるのだが、これはさらにイメージが茫洋としていて、どこから手をつけていいのかもまだはっきりわからない。ただ、いつまでも足踏みを続けているわけにもいかないので、動けるようになったら積極的に動いていきたい、とは思っている。

そんなこんなで、アイデアは、たくさんある。あとは、いつ海外に普通に行けるようになるか、だな。

本の価値を決めるもの

去年雷鳥社から刊行した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』が、日本旅行作家協会が主催する紀行文学賞、第6回「斎藤茂太賞」を受賞した。

自分の本がこの賞の最終候補に残っているという情報を知ったのは、今年の5月。それから、コロナ禍などの事情で最終選考の実施が2カ月ほど遅れ、ようやく先週決定したのだそうだ。

雷鳥社の担当編集者さんから電話を受けて、最初に感じたのは、とにかく「ほっとした」という安堵の思いだった。これで、この本を作る際に力を貸してくれた大勢の方々に、少しだけ恩返しができた。……というより、土壇場で選にもれて関係者の方々をがっかりさせずに済んだ、という気持の方が強かったかもしれない。実際、去年一年間で、僕の本より売れた紀行本は山ほどあったし、メディアで数多く取り上げられた本も他に何冊もあったから。

世の中にある数多の文学賞は、読者が本を選ぶ時の参考にできる、ものさしの一つにはなると思う。ただ、そうした文学賞は、その本自体の絶対的な価値を定義したり保証したりするものではないとも思う。売上部数やメディア露出も、読者にとってのものさしにはなると思うが、それもまた、本自体の絶対的な価値を決定づけるものではない。

本は、それが内容的にある一定の水準を満たしているものなら、良し悪しや優劣を第三者が決めることにはあまり意味がない、と僕は思う。読む人それぞれが、好きか、そうでもないか、と判断すれば、それで十分だ。ある人にとってはありきたりの内容の本でも、別の誰かにとってはかけがえのない大切な本かもしれないのだから。

ただ、内容的にある一定の水準を満たせていない本、具体的には、誰かを不当に貶めたり傷つけたりする内容が含まれる本や、事実を誤認させる情報が載っている本、他の本のアイデアや内容を剽窃している本は、そもそも俎上に載せてはならないとも思う。残念ながら、書店にはそういう本も少なからず並んでいるけれど。

僕にとって、自分が書いた本に価値があるかどうかを実感させてくれているのは、読者の方々一人ひとりからお寄せいただいた、メールや手紙、SNSなどに書かれた、読後の感想だ。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』に対しても、本当にたくさんの感想をいただいた。冬のザンスカールへの想い、自然と人とのあるべき関係、人生の持つ意味について考えたことなど……。その感想の一つひとつが、僕にとっては、本当の意味でのトロフィーだと思っている。そうした感想に目を通すと、また全身全霊を込めて本を作ろう、と気持を奮い立たせることができる。

本の価値は、読者の方々、一人ひとりに、委ねるべきものなのだと思う。