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マタルの味

実家から送られてきた野菜の中にグリーンピースが入っていたので、それを使って豆ごはんを作ることにした。

米をいつもより若干少なめにして、いつもの量の水を入れ、酒と塩を少し。ごはん鍋を火にかけて、沸騰してきたらグリーンピースを投入し、蓋をして弱火で炊き、蒸らせばできあがり。

グリーンピースはインドでは「マタル」と呼ばれていて、ジャガイモとグリーンピースのカレー(アルー・マタル)など、インド料理ではよく使われる野菜だ。インドの中でも一番上等なマタルは、スピティ産のものだと言われている。標高四千メートルに達する高地の村々で栽培されるマタルは、畑でもいでさやから取り出し、生のまま頬張っても、まるで果物のように甘い。去年の夏、スピティの村から村へと歩いて旅していた時、収穫に精を出す村人たちが、もぎたてのマタルをよく手づかみで分けてくれたっけ。

僕にとっては懐かしい、マタルの味。もうすぐ、またあそこで味わえるかな。

遠くへ、遠くへ

カトマイにて

ふとした時に、なぜか思い出してしまう景色がある。

この写真を撮ったのは、去年の秋、アラスカのカトマイ。ブルックス・ロッジから一万本の煙の谷へと向かう途中、休憩で停まった場所で、何気なく何枚かシャッターを切った。その時は、そこまで入れ込んで撮ったわけではなかったと思う。でも今になって、この光景が何度も脳裏に甦るのだ。

百年前の火山の大噴火の影響で、この地の植生はまだ若々しい。秋色の木立と平原の先にはぽつぽつと湖があり、山の上には気まぐれな雲が漂っている。遠くへ、遠くへ。この写真を見ていると、心が連れていかれそうになる。たぶん、そう感じるのは僕だけなのだろうけれど。

「サニー 永遠の仲間たち」

「サニー 永遠の仲間たち」

先日観た「きっと、うまくいく」についてのWeb上での反応を見ていたら、かなり多くの人が、この「サニー 永遠の仲間たち」と比べて感想を書いていた。僕もこの映画の予告編を目にした記憶はあったのだが、本編は見逃してしまっていたので、Apple TVで借りて観てみることにした。

「セブン・シスターズ」とは、韓国ではトラブルメーカーの高校生を意味する隠語なのだという。この映画の七人の主人公たちは、文字通りのセブン・シスターズ。ラジオ番組から「サニー」というグループ名をつけてもらった七人は、向かうところ敵なしのハチャメチャに楽しい日々を過ごしていた。ある事件が起こるまでは‥‥。それから25年。余命二カ月の末期ガンに侵された元リーダーのチュナは、病院で偶然再会した仲間のナミに言う。「死ぬ前にもう一度、サニーのみんなに会いたい」と。

1980年代と現代のソウルを行き来して展開されていく物語。記憶の中の日々は明るい色彩と輝きに満ちていて、誰もが希望にあふれた人生と、変わることのない友情を信じて疑わなかった。散り散りになっていた今の彼女たちは、それぞれの事情やしがらみのせいで、必ずしも思い描いていた人生を歩めてはいない。それでも、チュナの呼びかけをきっかけに、彼女たちは気づくのだ。もう一度、なろうと思えばなれるのかもしれない。自分自身の人生の主役に。

チュナの余命という重い軸はあるものの、80年代のポップ・チューンに彩られたこの作品のトーンはとても軽やかで、コミカルな場面もたくさんある。だからこそ、観ていて余計にせつなくなる。もう、取り戻すことのできない時間。それでも、彼女たちは軽やかにステップを踏む。何度も、何度でも。

人前で話をすること

昨日は午前中に、写真家の関さんと渋谷で打ち合わせ。来月二人でやることになったトークイベントについて。関さんはこの一週間、テレビ取材の仕事でブータンに行っていたそうで、その日の朝に羽田に戻ってきたばかり。疲れていただろうに、体力あるなあ。さすが。

関さんは、これまでに学校などで講演をした経験がたくさんあるし、僕もこれまで何度かトークイベントをしてきたので、お互い右も左もわからないという感じではなく、たぶん何とかなるだろうという心づもり。とはいえ、大勢の人の前であらたまって話をするというのは、やっぱり緊張する。できれば避けて通りたい(苦笑)。でも、そうして人前で話をすることで、聞きに来てくれた人の心の中で何かがパチッとつながったりするきっかけになるかもしれない。

僕たちが自分の中で大切にしていることを、本や、写真や、話をすることで、誰かに伝える。それにはきっと、ささやかながらも、何かしらの意味はあるはずだと思っている。