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幸福の国から

yamamoto写真は、ティンプー郊外の丘の上にて。気づかないうちに、中田浩資さんに撮影していただいていた。

昨日の夜、約1週間のブータンでの取材から日本に戻ってきた。乾燥と土埃でうっかり喉と鼻をやられてしまい、帰国便のディレイなどもあって疲れてはいるが、まあどうにか。

ブータンという国は……自分自身でどう受け止めればいいのか、予想以上に戸惑いを感じた国だった。インドと中国の間にある、幸福を旗印に掲げた小さな国。それゆえのひずみや矛盾もそこかしこに見え隠れする。それをわかっていながら、「穏やかな国、優しい人々」という安直なアプローチであっさり片付けてしまいたくはないな、と思った。

写真についても迷ったし、悩んだ。ブータンを訪れた旅行者の誰もが「写真が撮りやすい国」だと言う。確かにみんな人当たりがよくて、いきなり無造作にカメラを向ける人にも愛想よく笑ってくれるから、撮ろうと思えば誰でもそれなりの写真が撮れてしまう。でも、「だから何?」となってしまう。少なくとも僕自身の場合は、そこからさらに考え、被写体(人も、風景も)と向き合い、撮るまでの過程を丁寧に、大切にしなければ、違いと深みを作れないと感じた。短い滞在期間と限られた単独行動時間の中ではそれは非常に難しくて、自分で納得のできる写真はごくわずかしか撮れなかった。

いろいろ考えさせられることの多い旅だったけど、自分自身の立ち位置と考え方を再確認できた旅でもあった気がする。ブータン……また戻ることはあるのかな。辺境の土着の聖地巡りか、あるいはスノーマン・トレックか……そうなるべき時が来たら、そうなるのかもしれない。

幸福の国へ

昨日と今日の二日間、大学案件で計6件の取材。いいかげん脳みそがへちまの中身みたいになりそうだが、その原稿をろくに書く時間もないまま、明日から約1週間、ブータンに行く。

今回の取材は、数名の写真家さんたちと行く撮影中心のツアーのような形。現地では短期間ながらも割と自由に行動できるのだが、ここしばらく、ずっと書き仕事ばかりだったから、カメラを扱う勘が鈍ってやしないかと心配だ(苦笑)。あまりにも直前まで仕事がぎっちりで、帰ってからもぎっちり待ち構えてるので、気持もなかなか切り替わらない。それでもまあ、何とかするしかないし、何とかなるだろうけど。

日本では、「幸せの国」というわかりやすすぎるラベリングで語られてしまうことの多いブータン。実際に訪ねたら、どんな国なんだろう。自分の目と耳と鼻と、それから舌で(辛いんだろうな、エマダツィ)確かめてみるのが、一番間違いない気がする。

帰国は6月7日(火)の予定です。では、いってきます。

キュレーションメディアについて思うこと

旅のキュレーションメディアの編集部と名乗る人から、メールが届いた。自分たちのサイトで記事を書いてくれないか、という。特に僕という人間を特定しているわけでもなく、誰に送っても当たりさわりのない(テンプレート通りの)内容のメール。とりあえず条件を開示してほしいと答えたら、すぐに(テンプレート通りの)返信が届いた。

その編集部の人曰く、
・旅に関するネタならほぼ何でもOK(観光地、グルメ、ホテル、アクティビティ)。
・自分のブログに書いている記事のリライトでも構わない。
・納期の指定はなし。いつ書いてもいい。
・1本の記事に写真を10枚以上使用。
・原稿料は、記事10本で6000円。

「写真を10枚使用したWeb記事が1本あたり600円」という価格設定を適正と考える人も、もしかすると世の中にはいるのかもしれない。ただ、一応、文筆業でこれまで何十年か生きてきた立場から言わせてもらうと、Web記事であることや新規取材が発生しないことなどを考えあわせても、この値段、相場の10分の1以下。20分の1か、それ以下でも全然おかしくない。

こんなひどい条件でも、何かしらの名前を冠するキュレーションメディアに記事を書いて、ライターと呼ばれる職業の人間になりたいという人は、世の中にいるのかもしれない。だからそれを非難したり止めたりはしないけど、ライターに必要なキャリアの蓄積にはまったくならないであろうことは断言できる。世の有象無象のキュレーションメディアの大半は、記事がでたらめとかでないかぎり(実際はでたらめも多いけど)、内容や質に関してはどうでもいいと考えている。自分たちが糊口をしのぐためのページビューをちまちま稼ぐことができさえすれば、それでいいのだから。

本当に文章を書くのが好きなら、写真を撮るのが好きなら、その大切な文章や写真を二束三文で有象無象の輩に売り飛ばすより、自分自身のサイトをきちんと作って公開したり、リトルプレスやZINEの形にしたりした方が絶対にいい。どういう「届け方」をするのかも、文章や写真にとってはとても大事なことだから。その文章や写真に何らかの価値や思いが宿っているなら、きっと誰かのもとに届くし、それによって何かが変わるはずだと、僕は思う。

「会う」ということ

3月末から展示を続けていた、リトスタでのラダック写真展。約2カ月間の会期も、明日でついに最終日。始める前は長い長いと思っていたが、ふりかえってみると、本当にあっという間だった。

今回の写真展は、自分自身にとって、ひときわ記憶に残る展示になった。「ラダックの風息[新装版]」という思い入れの強い一冊の刊行に合わせての展示だったこともあるが、今回は仕事の合間をぬって可能なかぎり会場に在廊するようにしたことが、とても大きかったと思う。実際、僕が会場にいることをSNSで知った上で訪ねてきてくれた方や、あるいは知らずに偶然訪れて、僕と話をしたことで俄然興味を深めてくれた方も少なくなかった。

誰かに「会う」ということは、その人に対する興味や思い入れの度合いをぐっと深める、またとないきっかけになりうるのだと最近思う。もちろん、会ってみて幻滅したというパターンもあるかもしれないが(苦笑)、写真展の在廊やトークイベントへの出演というのは、そういう出会いの場を作る貴重な機会なのだと実感している。僕にとっても、そうしていろんな人にお会いして話をすることでフィードバックしてもらえる思いというのは、本当にかけがえのない、大切なものだ。

写真展最終日、気持ちを引き締めて、行ってこようと思う。

綱渡りの日々

昼、天王洲で打ち合わせ。事前に仕込んでおいた材料とプレゼン時の説明がうまくいって、今日決めておきたかったことは、とりあえず全部確定させることができた。この時点でつまずくと後のスケジュールが大変な事態になりそうだったので、ほっとした。まずは第一関門クリアというところか。

午後はリトスタで在廊。午後は写真展を見に来たお客さんもそんなにいなかったので、先週収録したロングインタビューの原稿の続きをひたすら書く。夜、家に帰ってからはその推敲と、昨日の取材の分の作業も。6月中旬に掲載するWeb連載の原稿も今週中には仕上げなきゃだし。ほいでもって、1週間後にはブータン取材なのである。

綱渡りの日々。今年に入ってから、ずっとこんな調子だな……。