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わかっているのは、わからないということだけ

この間、友人の関健作さんのブログで、青年海外協力隊や長期の旅行など、海外で長い時間を過ごして帰国した人が陥りがちな落とし穴について、傾向と対策を分析した記事を読んだ。関さん自身の体験が練り込まれた、とてもいい記事だった。

海外で長い時間を過ごす中でいろんな体験をして、それまでの人生にない感動や達成感を味わった人が、帰国した後の日常とそこから地続きのそれまでの人生に引き戻されて、ともするとそのギャップに苦しむ羽目に陥るという話は、とてもよくわかる気がする。

じゃあ、自分の場合はどうだったのか。二十代初めにやった最初の旅の頃をふりかえってみると……帰国してからのギャップ以前に、旅をしている最中から、全然別の面で自問自答し続けていたように思う。

神戸から上海まで船で渡り、列車を乗り継いで西安から新疆ウイグル自治区を回り、北京からモンゴル経由のシベリア鉄道に乗って、ソ連崩壊直後のロシアへ。エストニアの国境でビザがないと追い返され、ほうほうのていでポーランドまで逃れ、ユーレイルユースパスを使って夜行列車を宿代わりにして、そこから2カ月。あちこちの大学の寮に居候したり、フリマで売り子を手伝ったり、時には騙されたり。いろんな人と出会い、そして別れた。やるせない悲しみにも、理不尽な憎悪にも出会った。

それまでの僕は、世界のことを何も知らなかった。今ふりかえると、信じられないほど狭い視野と価値観でしか、世の中を見ていなかった。そこそこましだろうと何の根拠もなく思っていた自分の能力や存在価値は、世界の中ではほんの取るに足りない、芥子粒のようなモノでしかないことを知った。自分は何一つ知らないし、わかっていない。わかっているのは、わからないということだけ。自分のひ弱さ、情けなさを、嫌というほど思い知らされた。

だから僕の場合、最初の旅は、自分がいかにしょうもない、取るに足りない人間かという現実を自覚するラインまで戻るための経験だったように思う。わかっているのは、わからないということだけ。たとえそうだとしても、それでも自分にできることはあるのか。あるとしたら、そのためには何が、どんな力が必要か。考えに考えた。考えながら、必要になるかもしれない能力を悪戦苦闘しながら身につけ、磨いた。二十代のほとんど全部を、そんな自問自答に費やしていた気がする。

同じような旅の経験をした人と違うところがあるとしたら……僕の場合、そこまで自問自答し続けても、自分のこれからの生き方を誰かに相談したことは、たぶん一度もない。自分の生き方は、自分で決める。人の意見に頼って後悔はしたくない。そこだけは、今までもこれからも、きっと変わらないだろう。

僕の旅は、自分の無知と無力さを思い知らされるところから始まった。人によるのかもしれないけれど、そういう旅から何かを考え始めるのも、悪くはないんじゃないかと思う。

地味で単調でしんどい仕事

冷たいみぞれが降り続いた日。終日、部屋にこもって、ロングインタビューの原稿を書く。

最近、ライターが一部でタレント化・読モ化しつつあるという話をWeb上でいくつか読んだのだが、ライターになることに憧れているという人は、今の世の中に、それなりにいるのだろうか。

ライターや編集者の仕事は、ほとんどの場合、地味で単調でしんどい仕事だ。その上、昔よりも報酬の相場は下がっている。ライター志望の人が憧れるのは、たぶん、一部の人が前面に出している、タレント的・読モ的な側面なのだろう。僕はそういうのは、正直言って苦手だ。一人で陰でコツコツ書いている方がいい。

僕の場合、二十代初めの頃、長旅の旅費稼ぎのために始めた出版社での編集アシスタントの仕事が、思いのほか性に合っていたから、今の道を辿る結果になったのだと思う。当時のバイトも、地味で単調でしんどかった。僕はたぶん、相当に物好きな部類の人間なのだろう。

そんなわけで、今日も一日、地味で単調でしんどくて、それでも好きな仕事を、がんばってみた。

相応の金額

出版不況もここまで長引く(というか、もう回復はしないと思う)と、何かにつけて辛気臭い話が多くなる。予算が減るだの、人手を減らすだの、まあ、いろいろ。

雑誌の世界は、一部の大手出版社を除けば、しばらく前から内製化が進んでいる。ライターやカメラマンの代わりに、編集者が自ら取材に行ってデジカメで写真も撮る、とか。確かにそうすれば予算は節約できるのだが、編集者にかかる負担は数倍になり、文章や写真の品質も維持できなくなる。結果、編集部は疲弊し、雑誌の品質も売上も落ち、さらに予算が削られ……という悪循環を辿っている雑誌は、今の世の中、少なくないと思う。旅行用ガイドブックなど、ライターやカメラマンが複数関わる書籍も、たぶん似たような状況だろう。

開高健さんが生前にエッセイで、「いいものを作るのに必要なのは、たっぷりの時間と手間と、必要なだけの金だ」という意味のことを書いていたと記憶しているのだけれど、確かに、本や雑誌を作るのに、お金はとても重要だ。湯水のように注ぎ込めばいいわけではないが、必要なところに適正な金額を使えないと、関わる人々の心意気だけではどうにもできない状況が必ず生じる。必要とされるスキルを持っているスタッフには、それ相応の金額を。世の中、そういうバランス感覚に戻ってほしいな、と思う。

「地球の歩き方 タイ 2017〜2018」

今回でかれこれ4年目になりますが、撮影とデータ取材の一部を担当させていただいた「地球の歩き方 タイ 2017〜2018」が発売されました。

今年の改訂版では、巻頭のカラーグラビアでタイ北部の街、チェンラーイ、チェンマイ、ラムプーン、ラムパーンを寺院を中心にして6ページほど新規で撮影(昨年まで僕が担当していたカラーグラビアのスコータイとアユタヤーの遺跡の写真と紹介テキストは、今回は別の方が担当しています)。その他には、本全体の巻頭トビラとタイ北部の章トビラの写真も担当しています。

タイへの旅を考えている方はもちろん、そうでもない方も(笑)、書店で見かけたら、お手に取ってみていただけるとうれしいです。よろしくお願いします。

人気者になりたい人

人気者になりたい人、たくさんの人から共感を集めたい人というのは、いつの世にも少なからずいる。これだけWebやSNSが発達した世の中だと、それらの網の目を通して、人気者願望を持つ人たちの思惑が透けて見えることもある。

「人気者になりたい」「人から共感を集めたい」という思惑だけが目的化してしまっている人、あるいはその先に「あわよくばそれで金儲けしたい、異性にモテたい、いい思いをしたい」みたいな欲望が直結してしまってる人は、たいていの場合、人気者にはなれないし、共感もたいして得られないし、いっときうまくいきそうでも結局長続きせずに、ずっこけてしまうだろう。

本当の意味で多くの人から共感を集めている人は、自分が人にどう思われようがおかまいなしに、その人自身が誰かのために大切で役に立つと信じる物事に、ただひたむきに取り組んでいる。その姿勢こそが、共感を集める源になるのだと思う。

僕は……僕は、どうなんだろ。とりあえず、好き勝手にはやらせてもらっているのだが、共感を集めるにはレアでマニアックすぎるところに突っ込んでしまったかもしれない(苦笑)。