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それなりにそれっぽくまとめる能力

ライターの仕事にもいろいろあるけれど、クライアントから依頼されて、どこかで誰かに取材して、それを基に原稿を書く場合。

取材がいい感じに盛り上がって、話の内容も面白ければ、たいていのプロのライターなら面白い原稿が書ける。でも、何かの原因で取材がうまくいかなかったり、話が予期していたよりも薄い内容だったりすると、さてどうしよう、ということになる。事前の準備不足でそうなったなら同情の余地なしだが、ちゃんと準備していたのにあれやこれやで困ったことになるというケースは、ライターをしていると、実は結構よくある。

で、どうするか。この場合、ルポルタージュではなくクライアントワークなので、イマイチなことをイマイチと書くわけにはいかない。かといって、そこまで面白くもないものをすごく面白いと書いたり、話を盛り上げるために実情とは異なることを書いたりするわけにもいかない。微妙なところをほんのりオブラートにくるみつつ、嘘や誇大表現にならない範囲で文章の流れを整える。薄い内容の話を、それなりにそれっぽくまとめる能力。これ、ライターが身につけておくべき能力としては、かなり高度な部類に属するんじゃないかと、僕は勝手に思っている。

それなりにそれっぽくまとめる能力。確かに高度なスキルではある。でも、これを発動させても、当たり前だけどそれなりの原稿にしかならないので、誰も気付いてくれないし、誰もほめてくれない。書いてる本人も、モチベーションは上がらないし、満足感も得られない。残るのは、どうにか窮地を切り抜けたという安堵だけ。

ライター稼業なんて、まあ、そんなもんだ。

高崎取材

5時過ぎに起床。中央線で東京駅に向かい、上越新幹線に乗り継ぐ。今日は群馬県の高崎にある大学で取材。1日で4人にインタビューするという結構過酷なノルマ。

キャンパス内は時期的に学生さんがほとんどおらず、学食もやってないようだった。1人目の取材が終わった後、おひるを食べられそうな場所を探す。周りには……本当に何もない。静かで、がらーんとしていて。一軒のそば屋を見つけて、天ぷらもりそばを注文。そばの味があんまりしなかった。残念。

午後は立て続けに3人を取材し、どうにかこうにか無事に完遂。新幹線で東京駅まで戻り、八重洲地下のエリックサウスで鰆と菜の花のケララ風カレーとビール。ふう、生き返った。さて帰るか。と思ったら、中央線が止まっている。山手線で秋葉原に移動し、総武線各駅停車で三鷹へ。運よくすぽっと座れたからよかったものの、でなければ超激混みの車内で消耗し尽くしていたところだった。

よれよれしながら家に帰り着くと、今週金曜日に取材が追加されていた。嗚呼。

写真と演出

ここ数年のことだと思うのだが、世界各地の辺境に暮らす少数民族に民族衣装を着てもらって、完璧な構図とポージングで撮影した写真が結構たくさん世の中に出回るようになった。貴重な資料のポートレート写真として価値のあるものもたくさんあるが、その一方で、ちょっとカッコよく演出しすぎてしまっているものも少なくないと思う。

個人的には、いわゆるドキュメンタリー写真として世に出されているもので、ひと目見た時に「あ、これ、このへんをこう演出してるな」とわかってしまう写真は、正直言って苦手だ。あまりにも完璧な構図、あまりにもできすぎた雰囲気。そこに撮り手の作為や演出があることがわかると、一気に冷めてしまう。

その撮り手が伝えたかったことは何なのだろう。完璧な構図の美しい写真なのか、それともその場所で出会ったありのままの風景や人々や出来事なのか。僕は、完璧に演出されて隅々まで調整された美しい写真よりも、撮り手の感じたありのままの生の思いがぎゅっと込められた写真を見たい。

本の企画、持ち込む側と受け取る側

一昨日の「旅の本づくり」をテーマにしたトークイベントの時、自分の作りたい本の企画書をわざわざ用意して、僕に相談しに来た人が何組もいた。実際、すでにいくつかの出版社に持ち込んだ人たちもいたのだが、「あなたの代わりに、かわいいタレントの女の子にレポートさせたら?」とか、「100万円持ってきたら、自費出版扱いで作ってあげますよ」とか、いろんなことを言われているという。

僕自身、自分の本の企画を出版社に持ち込んだ回数はかなりの数になるが、ひどい対応をされて嫌な思いをした割合の方が、圧倒的に多い。出版社の知名度や規模に関係なく、編集者にもいろんな人がいる。はっきり言うと、人格的にも能力的にも、ピンからキリまでいる。写真がメインの企画なのに、最初から最後まで一人で適当にしゃべり続けて、一枚も写真を見ようとしなかった人。アポイントを仮病でドタキャンしてリスケもしなかった人。電話とメールで丁寧に打診したのに受領確認の返信すら寄こさない人などは、星の数ほどいる。

本を出したいと考える人の中にも、名前を売りたいとか、ハクをつけたいとか、商売に利用したいとか、そういう邪な動機の人もいるとは思う。企画自体が致命的な弱点を抱えている場合もあるだろう。ただ、自分の本を作りたいと出版社に企画を持ち込む人の多くが、どれだけの熱意と思い入れを持って、勇気を振り絞って門を叩いているか。僕にはその気持ちが、痛すぎるほどよくわかるのだ。

だから、出版社側の編集者は、熱意と思い入れと勇気を持って門を叩いてきた人に対して、きちんと誠意を持って対応すべきだと思う。もちろん、企画に弱点があれば、ばしばし指摘してしまっていい。本にするのが難しければ、正直にそう伝えるべきだ。でも、本の企画を持ち込んだ人の熱意や思い入れを上から目線で嘲笑ったり、無責任な言動で傷つけたり踏みにじったり、あるいは企画の打診そのものを無視したりするようなことは、絶対にしてはならない。それは編集者云々以前に、社会人として、人として、当たり前のことだ。

旅は人生のすべてではない

昨日はいろいろ、詰め込みすぎて、がんばりすぎた。午前中のうちに税務署で確定申告を終わらせ、午後は自宅で連絡業務に振り回され、吉祥寺で名刺を追加発注し、夕方から高円寺で「旅の本作り」をテーマにしたトークイベント。終了後から深夜過ぎまで、高円寺のバーで「旅人BAR」のホスト役。どうにかすべて無事に終えられて、ほっとした。

昨日のトークイベントやその後のBARに来ていた人の多くは、本当に熱心で、自分の旅にまつわる本を作りたいと真剣に考えている人たちだった。実際にしっかり作り込んだ企画書や資料を持参して、僕に意見を求めてきた方も何組もいた。そういう真剣な思いを持っている人たちが世の中にまだこんなにいるということが、新鮮でもあったし、嬉しくもあった。

自分の旅を形にしたい。思いを、感動を人に伝えたい。そう考えるのは、旅が好きな人にとって自然なことだと思う。ただ、旅を本という形にすることが自分にとって最大の目標で、それがすべてと思い詰めすぎるのは、あまりよくないかもしれない、とも思う。

旅は人生のすべてではない。人間にとって旅よりも大切なものは、たぶんこの世界にたくさんある。そういうものの見方に気づいて、自分の考えを客観的に見直すからこそ、あらためて気づける旅の価値や魅力もあるはずだ。

いろいろなものの価値を相対的に感じ取り、俯瞰的に見直すこと。僕自身、考え込みすぎて狭い見方に陥らないように、そう心がけようと思っている。