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日焼けの理由

今日は少しひさしぶりに大学案件の取材。場所は宇都宮。電車と新幹線とバスを乗り継いで、2時間半ほどの道程。取材は昼食休憩を除いてほとんど間を空けず、立て続けに4件。さすがにくたびれた。

取材場所のキャンパスの近くには、田んぼが一面に広がっていた。草刈機の音と、草いきれ。このあたりは寒暖の差が結構激しくて、ゲリラ豪雨も頻繁に降るそうだ。

取材の手配でお世話になった大学側の担当者の方が、この季節にしてはちょっと早すぎるほどこんがりと日焼けしていたので、依頼元の営業さんが「結構焼けてらっしゃいますね」と言うと、「そうなんですよ。3日ほど休みを取って、土日をくっつけて……」「ご旅行ですか?」「田植えですよ。自分のところの。ずっと田植機を動かしてたんです。田植えの時は、日差しのほかに、水面からの照り返しもすごいんですよ」

なんだか、かっこいいなあ、と思った。

家にいる日々

ここ一週間ほど、平日はほぼずっと家にいる。取り組んでいる作業は、来月下旬から始まる約2カ月間のインド取材の下準備。スケジュールを組みながら、ちまちま、こまごまと、取材項目を整理していく。いつも以上に、微に入り細を穿つことを要求される作業だ。

こういう時期は、生活パターンがしぜんと均一化されてくる。寝床から出ておひるを作り、コーヒーを飲みながら作業して、夕飯を作り、作業の続きをして、日課のエクササイズを終えてから、飲んでいい日はビールを飲み、少し本を読む、とか。これはこれで自分のペースでやれるので心地いいのだけれど、ほぼ同じパターンで毎日を過ごしていると、時間の経つのが妙に早く感じられる。あれ、さっきコーヒー飲んだのに、もう夜? みたいな感じで。

うっかりネット徘徊しかしないまま一日が終わったりしないように(苦笑)、気をつけねば。

運命の巡り合わせ

運命の巡り合わせ、という言葉がある。その人にとって、偶然という一言で片付けるには不可思議に思えるような出来事がいくつか続いた時に、よく使われる言葉だ。

僕は数年前から、とても個人的な動機で、アラスカを取材をしている。その動機が生まれた背景には、いくつかの出来事があったのだが、それらについて近しい人に話すと、ほとんどの人が口を揃えて「それは運命の巡り合わせじゃないですか」と言う。確かに、そう言いたくなるのもわかるような、不可思議としか言いようのない符合が(20年以上前から)あった。でも僕自身は、それらの出来事を「運命の巡り合わせ」という言葉であっさり片付けてしまいたくはない、という気持でいる。

この世界は、目には見えない運命というものに支配されてなどいない。人が生きていく中で起こるたくさんの出来事の中から、何を感じ、何を選び、何をするのかは、その人自身が決めることだ。そうして選んだ道は、時には、もしかするとどん詰まりになるかもしれないけれど、そうなったとしても、僕は後悔はしない。自分で考えて、選んだ道だから。

運命なんか、アテにして、たまるものか。

本を読むこと

本を作ることを仕事にしているというのに、本を読むのが好きと言えるほど本を読めているかというと、正直、全然、読めていない。まったくもって、冷や汗が出るほど。

原因(というか言い訳)はあるにはあって、書き仕事がつっかえてくると、書くのに使う言葉が脳内のバッファを占拠してしまって、本を読んで言葉を脳にインプットする余白がなくなってしまうのだ(それだけバッファがちっちゃいということなのだが……)。読む時はどっぷり耽読したいたちなので、それなりに余裕がないと、なかなか読み進められない。で、そんな余裕のある時期というのは、あまり多くはない(多かったらそれはそれで困る、働かないと)。読むなら旅先とかで、かな……そんなにたくさん持ち歩けないけど。

だから、自分は本を読むのが好きだ、と言い切れるほどの自信はない。僕なんかより、もっと読書好きな人は、世の中にたくさんいる。ただ、これまでの自分の人生をふりかえってみると、何かのターニング・ポイントにつながるきっかけや思いつき、目指すべき目標が生まれた時、そこにはいつも、本があったように思う。あの時、あの本に出会ったから、人生が少し変わった。僕はいろんな本に少しずつ後押しされながら、今の場所に辿り着いたのだと思う。

よし。連休中は、読みかけのこの本と、本棚にある、あれとあれとあれとあれを……で、できるだけ(汗)がんばって読もう。

ライターと筆記具

この間、ある人に、「ヤマモトさん、取材の時、鉛筆でノートを取ってるんですね」と言われた。

僕の使っているのは鉛筆ではなくシャープペンシル(プラチナ万年筆の「プレスマン」)なのだが、その人の言葉に、僕はある種の嘲りのような響きを感じた。「それがどうかしましたか?」と聞くと、「新聞記者やジャーナリストはペンを使いますし、欧米ではみんなペンしか使いませんよ」と言う。シャープペンシルでノートを取っている僕は、その人たちと比べて稚拙だとでも言わんばかりに。

理系の研究所などでは実験ノートは記録保全のために必ずペン書きだろうし、新聞記者の方々にも似たような理由でそういう流儀の人もいるのだろう。しかし、僕は個人事業主のフリーライターである。僕の書いた取材ノートを読み返すのは、僕しかいない。ペンで書かれてようと、鉛筆だろうと、あぶり出しだろうと、僕にさえ読めれば、筆記具は何でもいい。ライターの力量を証明するのは、筆記具ではなく、書き上げた文章がすべてだ。

とりあえずそのわかったふうな人には、「ペンでノートを取ればもっといい原稿が書けるというなら、すぐにでもそうしますよ」とだけ返しておいた。