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普通の人の声

来週から、ひさびさにインタビューの仕事が立て続けに入っている。「ラダックの風息」とかを書いてはいるけれど、僕のライターとしての主戦場はインタビューだったので、ある意味、一番慣れ親しんだ作業だ。

同業者の中には、有名なタレントやアーティスト、文化人などにインタビューすることに仕事のやりがいを感じている人もいるが、僕はどちらかというと、普通の人にインタビューすることに面白味を感じる。今はまだ有名ではないけれど、興味深いことに取り組んでいる人。そういう人に出会うと、まるで金脈を掘り当てたような、ほくほくした気分になる。等身大の目線から語られた言葉には揺るぎのない実感がこもっていて、本当に魅力的だ。

これからライターになろうと考えている奇特な方は、有名人にインタビューすることを目指すより、普通の人の声に耳を傾けることから始めた方がいいのではないか、と個人的には思う。まあ、逆に僕の場合、「AKB48にインタビューしてくれ」と発注されても、うろたえて右往左往するだけだが(笑)。

地方取材

朝から氷雨が降り続く一日。秋をすっ飛ばして、一気に冬になってしまった。でも、週末には台風が来るらしい。地球はいったいどうなってるのやら。

今週は特に急ぎの仕事もなくて、割とのんびり過ごしているのだが、来週からいきなり忙しくなる。火曜日に、徳島県まで取材をしに行くことになった。しかも日帰りで。翌日はラダック写真展会場でのトークイベントがあるので、ついでに観光とかしている暇はない。飛行機で往復とんぼ返り。まあ、それで交通費が出るのだからありがたいけれど。

水曜日はトークイベント。木曜日は都内で取材。金曜日はまだ未確定だけど、埼玉で取材の予定。で、再来週の月曜日は、京都まで取材をしに行くことになりそうだ。自分のキャリアの中でも、短期間にこれだけの地方取材が集中するのは珍しい。

まあ、取材をしたらその原稿を書かなければならないわけだし、例によってスケジュールに余裕はないから、とりあえず、倒れないようにがんばるか。

人に教える

昼、リトスタでランチミーティング。以前ちらっと書いた、講師のような仕事の件で、先方の担当者さんが遠路はるばる訪ねてきてくれたのだ。からりと揚がった海老フライをいただきつつ、話を伺う。

仕事の内容をざっくり説明すると、ある地方自治体が設けているプログラムに参加している一般の方々が書いたレポート記事を添削し、どこをどうすればよりよい文章になるか、ミーティングの場で教えるというもの。うーん、僕に務まるのかな‥‥? 今の自分の書き方は、場数を踏む中で感覚的に覚えてきたことで、誰かから教わったことはほとんどないし‥‥。

僕の両親はどちらも高校の教師で、妹も高校教師になり、高校教師の旦那さんと結婚した。親戚たちの職業も高校教師ばかりで、要するに、教師一族のようなものだ。だから僕は(天の邪鬼だからというのもあるが)教師という職業に対してアレルギーのようなものを感じていて、大学でも頑として教職課程を取らなかった。そんな僕が、めぐりめぐって人に文章の書き方を教えるというのだから、不思議なものだ。逃れられぬ宿命というところか。

「とりあえず、ブログを毎日書いてみましょう」とでも教えてみるかな(笑)。

三人目の子供

昼、リトスタでランチを食べながら、相談事を受ける。相手は、以前創刊に関わった雑誌の編集部に在籍していた女性で、後輩といえば後輩にあたる。今では結婚して二児の母となったが、その一方で、フリーランスでの編集の仕事も続けている。

相談の内容は、彼女がこれから作りたいと思っている本の企画について。どの版元に、どのような形で持ち込めば、出版にまでこぎ着けることができるか? 正直、僕には偉そうにアドバイスできるほどの経験も実力もないのだが、自分が本を出した時の経緯などをかいつまんで説明した。

「‥‥どうせこの仕事をしているのなら、自分が本当に作りたいと思える本を作りたくて!」

彼女とはずいぶん長い付き合いになるが、今日ほど目をきらきらと輝かせて、楽しそうに自分の企画の話をしていたのを見たのは初めてかもしれない。自分が本当に作りたいと思える本を作る。僕たちの仕事は、それが始まりであり、すべてでもある。ともすれば、ルーティンワークをこなすことに汲々としてしまいがちなこの業界で、かつての仲間がそんなみずみずしい気持で本作りに取り組もうとしているのを見るのは、僕としてもうれしかった。

彼女の思いが結実した本ができあがった時、きっとそれは、彼女にとって三人目の子供といっていいほどの、かけがえのない存在になると思う。

神様の気まぐれ

先週から素材が届くのを待っていた案件は、クライアントの気まぐれで、結局、執筆作業自体が発生しないことになってしまった。ほとんど手を動かしてなかったのは不幸中の幸いだったけど、20万円かそこら損した気分(苦笑)。

そんなわけで、日がな一日、ぼんやりと過ごす。夕方頃にスーパーに買い物に出かけ、豚肉とチンゲンサイのコンソメミルクスープを作る。飲み会の翌日は、温かいスープがはらわたにしみる。ソファにもたれ、本の続きを読む。

こんな穏やかな時間を過ごしていると、ほんの二カ月ちょっと前、カルナクの山の中を死にそうな目に遭いながら彷徨い歩いていたのが、嘘のように思えてくる。標高五千メートルの場所で幕営中に雹混じりの雷雨に見舞われたり、ぬかるんで崩れそうな崖の斜面にしがみついたり、猛り狂う濁流の中を、腰まで浸かりながら馬とともに渡渉したり‥‥。圧倒的な自然の力の前に、僕はあまりにも無力だった。

あの洪水の時、カルナクよりももっと易しいはずのトレッキングルートで、何人ものトレッカーが命を落とした。もしあの時、雹がテントの天幕を突き破っていたら? もし、しがみついていた崖で土砂崩れが起こっていたら? もし、濁流の中で足を滑らせて流されてしまっていたら‥‥?

神様の些細な気まぐれで、僕は、たまたま生き残っただけなのだと思う。