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似合わない呼び名

午後、千葉県の柏へ。去年に引き続き、文章の講師として原稿を添削させていただいた方々とのミーティング。

こういう形で参加するのは二回目ということもあって、割と雰囲気にも慣れて、原稿を添削していて気づいたことをいくつかアドバイスさせてもらった。「読者を具体的にイメージする」「ありきたりの形容詞に逃げるのではなく、具体的に描写する」「論点を絞り込んで整理する」「くりかえしチェックして、細部にまで気を配る」‥‥といった感じ。

それにしても、参加者の方々から「先生!」と呼ばれるのは、まじで気恥ずかしい(苦笑)。僕にとって、これ以上似合わない呼び名はないんじゃないかと思う。人にものを教えるなんて、十年早い‥‥。

‥‥いや、そう呼ばれても胸を張って応えられるくらい、もっとスキルアップしなきゃダメだな。

僕が就職活動を止めた理由

クラシコムさんの会社説明会についてのエントリーを読んでいるうちに、自分について思い出したことをつらつらと。

僕は今まで、企業の正社員として働いた経験がない。アルバイトだったり、契約社員だったりといった働き方をしているうちに、いつのまにかフリーランスになっていた。

もちろん、最初から就職することを放棄していたわけではない。大学四年の初め頃は、同学年の他の学生たちと同じように紺色のスーツを着て、いくつかの会社の面接を受けて回ったりしていた。当時からぼんやりと出版関係の仕事に就きたいと考えていたから、回るのはもっぱら出版社。でも、そうして会社回りをしていても、僕はずっと、うまく言葉にできない違和感のようなものを感じていた。

僕はいったい、何をやりたいんだろう?

その頃の僕は、他の学生がしているのと同じように就職活動をして、卒業したら会社勤めをするのが当たり前だと考えていた。世間体に合わせて就職するのが唯一の道で、それ以外の選択肢があるかもしれないことを、想像すらしていなかった。でも、面接に行く先々で、会社への忠誠心を試すような質問ばかりされているうちに、僕は自分が本当にこの人たちの会社に就職したいと思っているのか、わからなくなった。自分自身が何をやりたいのかあやふやなまま、何となく就職してしまってもいいのだろうか、と。

そんな風に悩んでいた時、当時お世話になっていた方から、こう言われたのだ。

「まあ、別にすぐに就職しなくても、一年くらい大学を休んで、旅でもしてきたら?」

そのひとことで、僕の心は、くびきから解き放たれたかのように軽くなった。そうか、今すぐ就職したくないのなら、しなくてもいいんだ。旅に出る、という選択肢もあるんだ。

僕は、ぱったりと就職活動を止めた。大学を自主休学し、バイトで旅費を稼ぎ、本当に旅に出てしまった。上海まで船で渡って、シベリア鉄道でソ連崩壊直後のロシアを抜け、夜行列車を宿代わりにヨーロッパを巡るという、初めての海外にしてはいささか無謀な旅に。

今思うと、あの時、就職活動を止めて、本当によかったと思う。初めての海外放浪は、二十歳そこそこの若僧にはとても受け止めきれないほどの圧倒的な現実を見せてくれたし、小さな出版社での旅費稼ぎのバイトを通じて、就職活動をしていた頃にはまったくわかっていなかった、本作りの仕事の厳しさと楽しさを知った。そして何より「自分が本当に心の底から作りたいと思える本を作る」という、今も変わらない目標を見出すことができた。まあ、そこからの下積みというか紆余曲折というか、苦労は人一倍しているけれど(笑)。

当たり前と思っていた道を踏み外したことで、僕は、自分の道を見つけることができたような気がする。

僕にとっての幸せ

最近、またブータンのGNH(Gross National Happiness、国民総幸福量)が注目を集めているらしい。では、自分が幸せを感じる瞬間というのはどんな時だろう? とちょっと考えてみた。

刹那的な幸せを感じたのは‥‥たとえば、長い間取り組んでいた仕事が終わって、打ち上げに李朝園で特上リブロースや上ミノをほおばりながら、ビールをごきゅっ、とやってる時とか(笑)。別の意味で「生きててよかった」的な幸せを感じたのは、冬のチャダルで雪と氷の中を歩き続け、身体が冷え切ってフラフラな状態で辿り着いた洞窟で、焚き火にあたりながら熱いチャイをすすり込んだ時、とかだろうか。

でも、一番幸せを感じるのは、自分が書いた本を読んでくださった方々から、手紙やメールやブログへのコメントで、あるいは直接お会いした時に、読後の感想をいただいた時だと思う。

僕の書いた本の部数は正直そんなにたいした数ではないし、本を手に取ってくださった方々全員が、書かれた内容に共感してくれるとはかぎらない。それでも、わざわざ時間と手間をかけて感想を送ってくださる方が今でも大勢いるというのは、本当にありがたいことだと思う。自分が伝えたかったことがその人に届いて、ほんの幾許かでも心を軽くしてあげられたのかもしれないと考えると、じんわりと嬉しさがこみ上げる。お金では換算できない、気持のやりとりがそこにある。

それが、僕にとっての幸せ。そして、物書きという割に合わない仕事を続けている理由でもある。

愉しむ気持

今日は割とのんびり。一昨日の打ち合わせの際にこちらで用意することになった、本の全体構成案を煮詰めていく。

僕は今まで、いろんなジャンルの本を作ってきたが、自分が特に好きなテーマの企画だと、どんな作業でも愉しいというか、文字通り、時を忘れて没頭してしまう。先月末に書いていたエッセイの原稿もそうだったし、今回の本(まだ作れるかどうかわからないけど)の作業もそう。本当に、愉しくて愉しくてたまらない。きっと、ニヤけた顔でモニタを見つめていたに違いない(笑)。

作り手がそうやって愉しむ気持を本に込めることができれば、それはきっと、読者にも届く。逆に言えば、作り手自身が何の思い入れも持たずに作った本には、たとえそれがどんな内容のものであろうと、一番大事なものが込められていないのだと思う。

見えないゴール

午後、赤坂で打ち合わせ。先月下旬に僕がプレゼンした本の企画について、担当になっていただいた編集者さんと話し合う。彼が社内の新刊会議でこの本の企画を提案して、トップの承認が得られれば、正式に取材と執筆に取りかかることができる。

「‥‥この本を、僕たちが作りたい形で承認してもらうにはどうすればいいのかを考えましょう!」

編集者さんにそう言ってもらえると、本当にありがたい。いい意味での共犯関係が結べたような気がする(笑)。

これから一生懸命努力しても、この本を必ず作れるようになるとはかぎらない。もしかすると、ボツになるかもしれない。見えないゴールに向かって全力で突っ走るのは、かなりの覚悟がいる。それが、この仕事の一番きついところであり、一番面白いところでもある。

どっちにしろ、何もしなければ、何も始まらない。やるしかないか。