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自分の本を出す方法

仕事柄、初対面の人からよく、「自分で書いた本を出してみたいんですけど、どうすればいいですか?」といったことを訊かれる。

利益も何も考えずにただ本を出したいだけなら、自費出版をすればいい。しかし、ある程度全国各地で販売されるような本を、ちゃんとした出版社から出したいというのであれば、ハードルはかなり上がる。僕自身、別に売れっ子でもないので偉そうなことは言えないが、自分自身で企画の持ち込みなどをしてきた経験から、思いつくことを書いてみる。

まず、誰もが認めるような素晴らしい才能の持ち主なら、それなりのアクションさえしていれば、遅かれ早かれ認められるようになる。世の中には、そういうまぎれもない天才が確かにいる。ただ、そんな稀有な才能の持ち主は、本当にほんのひと握りしかいない。

自分の本が出せなくて悩んでいる人の多くは、持って生まれた才能だけで勝負しようとしているのではないだろうか。確かにその人には、ある程度の才能があるのかもしれない。が、並み居るライバルを押しのけて突き抜けられるほどの才能とは、編集者の目には映っていないのだろう。

では、僕のように(苦笑)イマイチパッとしない能力しか持ち合わせていない人は、どうすればいいのか?

それは、才能の前に、企画で勝負すること。

「これだ!」と閃いたアイデアを、あらゆる方向から検討し、調査で理屈を補強し、周到に準備を重ねていく。そうして一分の隙もないくらいに仕上げた企画を見せて、「自分はこういう本を作りたいんです!」と提案する。そういう理詰めのアプローチの方が、漠然と「本を出したいんです」と持ちかけるより、何倍も成功率が高くなる。小説のように書き上げた原稿を持ち込む場合でも、土台となるアイデアが大切なことは変わりない。

今年初め、ある出版社に企画の持ち込みに行った時、「こんな風にちゃんとした企画書を持ってくる人、なかなかいないんですよ」と言われて驚いたことがある。当たり前といえば当たり前のことかもしれないけど、本当に心の底から作りたいと思える本があるなら、まずはその企画を徹底的に鍛え上げて、武器にすることを考えるべきだと思う。

がくっとくる

今日は朝から、何だか身体がだるくて仕方がない。一度は机に向かって仕事しようとしたものの、どうにもきつくて、午後はベッドで横になって過ごした。

今までも、仕事のスケジュールが立て込んでくると、こんな風にがくっときたことがあったのだが、しばらく休めば回復したから、たぶん今回も同じような感じだと思う。虚弱だなあ(苦笑)。夕方頃までじっと横になっていたら、少しは回復してきたような感じがしたので、晩飯にハンバーガーを食べて、仕事再開。とりあえず、最低限のノルマは何とかこなした。

しかし、今回の案件たちが終わるまで、まだ先は長い‥‥。とはいえ、弱音を吐いても誰も代わってくれないし、やるしかないか。

「黒子」からの一歩

終日、部屋で仕事。はかどっているとはいえないが、それでも、少しずつ前には進んでいる、と思いたい‥‥。

一昨日、昨日と書いてきた、仕事にまつわる断想の続き。

僕は雑誌の編集者としてキャリアを始め、やがて、自分でもライターとして、いくつかの雑誌で記事を書くようになった。そうした記事のほとんどは、取材やインタビューを基にしたもの。僕は、取材する題材や人々の魅力を最大限に引き出す「黒子」としての役割に徹していた。それは、編集者の頃からのスタンスの延長線上にあったのだとも思うし、そのことに対して一種の職人的な喜びを感じてもいた。

ただ、キャリアを重ねていくうちに、僕の中には、もやもやした感情が次第に蓄積されていった。燦然と輝きを放つ魅力的な人にインタビューをして記事を書いたとしても、それは結局、その人の魅力に頼って、おすそわけをもらっているだけなのではないか。僕自身の中にある思いは、何も伝えられていないのではないか、と。

「黒子」に徹した職人的なライターは(たぶん)常に必要とされているし、僕自身、今もそういう立場での仕事を続けている。そうしなければ、正直、食っていけない(苦笑)。でも、そんな「黒子」としての立場から一歩踏み出して、完全に自分自身を晒して「ラダックの風息」を書いた時、僕の中にあったもやもやした感情は消えてなくなった。たとえ非力でも、自分自身の思いと言葉で勝負する。それが読者に届いた時の喜びは、「黒子」に徹していた時とは比べものにならなかった。

これからずっとそういう仕事を積み重ねていければ理想的だけど、世の中、そんなには甘くない(苦笑)。でも、自分が伝えたいことは何なのか、それは自分にとって何なのか、常に自問自答しながら、心の中にある目標を忘れずにやっていければ、と思う。

「黒子」としての編集者

終日、部屋で仕事。電話での長時間の打ち合わせを何件かしているうちに、声がちょっと枯れた(苦笑)。今日はあまり作業時間が取れなかったな‥‥。

昨日、「編集者の資質」というエントリーを書いたら、知人の(誰もが認める優秀な)編集者さんから、「編集者の資質って、自分が面白いと信じたことに人を巻き込むことですかね」というツイートをいただいた。

確かに、それは的を射ている。著者、フォトグラファー、イラストレーター、デザイナーなど、本作りに関わるあらゆる業種の人たちを巻き込んで、自分が信じたゴールに向かって突き進んでいく。それをやり遂げる情熱がなければ、本当の意味での編集者の仕事はできないだろう。

ただ、そうして本なり雑誌なりを作り上げても、それはその編集者の「作品」ではない。何かを生み出したのは著者をはじめとするクリエイティブな職種のスタッフで、編集者の役割は、基本的には「黒子」なのだ。中にはその範疇を飛び越えて著者よりも前面に出てくる編集者もいるが、その是非はともかく、個人的には、いかに「黒子」に徹して他のスタッフに活き活きと動いてもらえるように努力するかが、編集者の仕事のキモなのではないかと思う。

で、編集者としての自分にそれができているかというと‥‥できてないなあ‥‥(遠い目)。

編集者の資質

終日、部屋で仕事。本の編集作業も、いよいよ本格的に忙しくなってきた。

編集の仕事を志してから、かれこれ二十年近くになる。地味で、単調で、せわしない作業のくりかえしだけど、何もないところから人の心を動かすものを作り出していくこの仕事が、僕はとても気に入っている。

ただ、自分が編集者としての資質を持ち合わせているかというと‥‥どうかな、と思う。

僕の知人には、周囲の誰もが認める優秀な編集者の方々が、何人もいる。その方々の仕事ぶりを見ていると、卓越したセンスとか、細部へのこだわりとか、疲れを知らない体力とか(苦笑)、そういった能力よりも、編集者にとって一番大切な資質は、周囲の人々とのコミュニケーション能力なのだと、つくづく思い知らされる。人間的に慕われている編集者さんは、間違いなくいい仕事を積み重ねている。

その点では、自分は本当に未熟だし、たとえば雑誌の編集長のように、大勢の人を取りまとめてチームとして動かしていく役割にはまったく向いてないと思う。どちらかというと「使う」よりも「使われる」立場の方がしっくりくるし、あるいは自分でできることはなるべく自分でやってしまう——企画・執筆・撮影・編集といったあたり——方が、力を発揮できるような気もする。

まあ、自分勝手なんだな、要するに(苦笑)。