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やがて綺麗な花に

朝から晩まで、ゲラチェック。

赤いゲルインキのボールペンを握りしめ、三種類のゲラを突き合わせながら、一枚ずつ、赤字を書き込んでいく。部屋の中は、デスクからソファからコーヒーテーブルに至るまで、そこらじゅうにゲラが散乱。修羅場と呼ぶにふさわしい光景(笑)。

夜中まで粘って、どうにか六割くらいのチェックを終える。目がショボショボして、これ以上は集中力は保たない。今日は、近所の中華料理屋に晩飯を食べに行った他は、ほんと、仕事しかしなかった。

でも、今、がんばって土を耕して種を蒔けば、やがて綺麗な花が咲くはず。まあ、派手でゴージャスな花にはならないだろうけど、きっと綺麗な花が。

ゲラは心を映す

午後、市ヶ谷で打ち合わせ。今作っている本の初校ゲラを突き合わせながら、出版社の編集者さんと打ち合わせ。会議室の貸切時間をオーバーするまで、みっちりと話し合う。

ゲラチェックは、雑誌の編集者だった頃からの馴染み深い作業だ。自分が作ったページを他の編集者さんにチェックしてもらったことも、数え切れないほどある。誰がやっても同じような作業と思われがちだが、ゲラへの赤字の入れ方には、その編集者の個性や人柄が如実に出ると思う。

印刷みたいに几帳面な字で書かれた赤字もあれば、ザザザッと勢いよく書き込まれた赤字もある。担当者への誠意が伝わるような丁寧な赤字であることがほとんどだが、たまに、明らかにこちらを見下しているような赤字を受け取ることもある。少しでも内容を面白くしようとあれこれ提案してくれた赤字をもらったこともあれば、たいして興味ないと言わんばかりに投げやりな赤字をもらったこともあった。ゲラに書き込まれた赤字は、編集者の心を映すのだ。

今日受け取った初校ゲラには、最初から最後までびっしりと、そして丁寧に赤字が書き込まれていた。いい本を作りたい。そう思ってくれていることが伝わってくるような赤字だった。

プロフェッショナルの条件

以前、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で松本人志が取り上げられた時、「あなたにとってプロフェッショナルとは何ですか?」という質問に、彼は「素人に圧倒的な力の差を見せつけること」と答えていた。それは至極もっともな定義だと思う。

でも、最近の僕は、プロフェッショナルの条件について、こんな風に感じている。

やるべきことを、きっちりとやれること。

何か、いきなりハードルがものすごく下がったような気もするが(苦笑)、ここのところ、当たり前にやるべきことができていない取引先に遭遇することが多いのだ。再三確認したにもかかわらず、作業スケジュールが何カ月も遅れてしまうとか。依頼内容や使用範囲に比べて、報酬がありえないくらい安いとか。報酬の入金期日が守られないとか。制作中にトラブルが起こっても、まともに連絡もしてこないとか‥‥。

「素人に圧倒的な力の差を見せつける」ことを目指して働こうにも、その前に足元をすくわれてしまったら、こちらとしても、どうしようもない。かといって、「ま、いいか」と妥協してしまったら、自分の仕事をそのレベルにまで貶めてしまうことになる。ほんと、頭が痛い‥‥。

仕事の選り好みをするつもりはないし、相場より安いギャラでも我慢して、〆切もきちんと守る。だから、依頼する側も、当たり前にやるべきことを、ちゃんとやってほしい。ほんと、プロをナメるな、と思う。

がっつりと

午前中のうちに、今作っている書籍の後半部分のゲラが届く。100ページ以上もあるデータを、ものの一週間ほどで仕立ててくれたDTPスタッフの方に感謝。午後、さっそくゲラチェックに取り組む。

夕方くらいまでに40ページほど見終わったところで、今日は打ち止め。吉祥寺までぶらぶら歩いていって、李朝園へ。前に来たのは去年の秋にラダックから帰ってきた時だったから、ずいぶんひさしぶりだ。今日はお店が大混雑で、一時間以上も待つはめになったのだが、肉はやっぱり、間違いなく、うまかった。思うぞんぶん、栄養補給。

ハバナムーンでワインクーラーを飲んでさっぱりした後、ホロ酔い加減で中道通り商店街を歩いて、家まで帰る。がっつり働いて、がっつり食べた。満足。

達成感と徒労感

午前中から、原宿にある知人の編集プロダクションへ。彼らから依頼されている案件のデータを最終段階で調整するのにWindows環境が必要なため、マシンを借りにきたのだ。おひるを食べるヒマもないまま、夜までぶっ通しで作業したが、それでも終わらないので、来週また借りに来ることに。

好きな文章と写真だけ追いかけて生きていけるなら何の苦労もないけれど、僕はまだまだ小者なので(苦笑)、いろんな種類の仕事をこなしながら暮らしている。やり遂げた時にスコーンと突き抜けるような達成感を感じられる仕事もあれば、どんよりとした徒労感しか残らない仕事もある。

達成感と徒労感、分かれ目になるのは何か。たぶんそれは、やり遂げたその先に、誰かの喜ぶ顔を想像できるような仕事かどうか、なのだと思う。誰のための仕事なのかがうまく想像できない案件は、ただひたすら、徒労感がつのる。だからといって、手を抜いたりはしないけど。