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目指すべき高み

取材のため、朝から巣鴨へ。午前中に一件、午後に二件。それぞれ、まずまず首尾よくやり遂げたが、集中力のオン、オフをくりかえすのは、やっぱり疲れる。

すべての取材を終えた後、品川へ。キヤノンギャラリーで開催中の石川梵さんの写真展「人の惑星(ほし)」のオープニングパーティーに出席させていただく。名前を聞くだけでくらくらするほど錚々たるフォトグラファーの方々の迫力に圧倒されながら、会場の片隅でビールをすする(苦笑)。でも、石川さんや、一年ぶりにお会いした庄司康治さん、「梅里雪山 十七人の友を探して」の著者の小林尚礼さん、「グレートジャーニー」の関野吉晴さんなど、何人かの方にご挨拶ができたので、よかった。

石川さんの「人の惑星(ほし)」は、世界各地の壮大な自然の空撮と、さまざまな民族の生活や文化に密着した写真の数々が同居した、とてつもなく濃密な写真展だった。石川さんが写真を撮り続けてきた、30年という時間が凝縮されている。その密度に圧倒されながらも、「‥‥だったら、自分はどうする?」と、頭の片隅で考えている自分がいた。刺激を受けたというにはおこがましいけれど、改めて、自分の中にある目標設定をセットさせてもらえた気がする。

今まで目指してきたものに、間違いはない。ただ、目指すべき高みは、もっと上にある。

仮眠の効用

今日は昼から、世田谷で取材。朝イチの取材だった昨日よりは楽だが、それでもやっぱり、身体がだるい。連日あちこち出歩いて、集中力全開で取材をして、原稿を書いて‥‥のくりかえしが、ボディーブローのように効いている。ついこの間までは、書籍の編集作業も並行してやってたわけだし。

どうにか首尾よく取材を終え、天気が崩れる前に家に帰りつき、メールで連絡業務をすませて、ぱたっと、寝る。二時間後にはかなりすっきりと持ち直した。晩飯にブロッコリー入りのミートソースパスタを作り、風呂に入ってから、今日取材した分の原稿に取り組む。

昨日とまったく同じ行動パターンだけど、なかなかいい感じ。効くなあ、仮眠。でも、明日は取材の予定がないから、さらに昼頃までどっぷり寝よう(笑)。

仕事は待ってくれない

朝六時に起き、身支度をして家を出る。今日は相模原の方で取材。中央線で八王子まで行き、横浜線に乗り換え、相模原からバスで30分。中央線が遅れていてヒヤヒヤしたが、どうにか間に合った。それにしても遠い。往復するだけでヘトヘトだ。

家に戻ってメールをチェックし、きつかったので一時間半ほど仮眠。起きるとだいぶすっきりして、晩飯の後、今日取材した分の原稿に取り組む。やればできるんだな、俺(笑)。

異常事態だった先月に比べると、さすがに今月は取材の数も減りそうだし、もちろん書籍の編集作業も終わっているので、少しほっとしている。それでも、直前になって明日の昼に取材が一件入ったし、金曜日は一日三件あるしで、気は抜けない。書籍を終えてのんびりしたくても、仕事は待ってくれない、ってか。

虚脱感

昼、赤坂で打ち合わせ。連休中にチェックを終えたラダックのガイドブックの色校を、編集者さんに渡す。これで、僕がこの本の制作で関わる作業はすべて終わり。明日には編集者さんのところでも校了して、週末には下版。その後は印刷工程に入る。

いよいよ、というか。やっとここまで来た、というか。もうこれ以上、何も作業しなくていい、というか。もうこれ以上、あの本を作り続けることはできないのか、というか。

正直言って、達成感や充実感よりも、今は虚脱感の方が強いような気がする。それくらいこの本は、僕にとって大きな仕事だった。準備段階から費やしてきた時間も、取材や執筆に注ぎ込んだ労力も、あらんかぎり振り絞った自分の能力も。ふりかえってみても、これに匹敵する大きな仕事は、「ラダックの風息」くらいしかない。それだけに、制作が終わってしまったことに、ちょっと寂しさを感じる。

まあ、来週末に見本誌が届いたら、達成感や充実感のようなものが湧いてくるのかもしれないな。自分の子供が生まれてくる時のように。

進行管理という仕事

本や雑誌の編集者というと、企画を練ったり、著者やデザイナーと打ち合わせをしたり、実際の編集作業で手を動かしたり‥‥と、ものづくり的な仕事というイメージを持っている人が多いと思う。でも、編集者には、そういった作業と同じくらい大切な仕事がある。それは、進行管理。企画のスタートから下版して印刷工程に入るまで、各工程のスタッフのスケジュールを管理して、制作が破綻なく進むようにする仕事だ。

この進行管理が甘いと、作業が遅れて後へ後へとしわよせが来て、スタッフが想定外のタイミングで無茶な量の作業を強いられることになる。その結果、印刷した本や雑誌に大きなミスが残ってしまったり、ひどい場合は本自体の刊行が遅れてしまったりする。いつ出してもいいという本なら構わないが、ほとんどの場合、販売などの関係でそういうわけにはいかない。

進行が遅れる原因はいろいろある。作業のスタートそのものが遅すぎたり、作業量に比べて各工程に設定した作業時間の見込みが甘すぎたり、どこかの工程の作業が何らかの理由で大幅に長引いたり。こうしたことが起こると、とたんに全体の進行が滞ってしまう。進行の遅れを防ぐには、遅れている工程のスタッフにびしびし催促したり(あまりやりたくない)する前に、まず最初にスケジュールを設定する時に、各工程が無理なく回るようにスタッフ全員としっかり打ち合わせをして、制作途中でもちょくちょく確認しながら微調整をしていくことが大事だ。

大変な作業をしなければならないのなら、その分スタートを前倒しすることを考えるべきだし、前倒しする時間がないなら、臨時にでも人手を増やすことを考えるべき。時間も人手もないのなら、そもそもその体制でその企画をやるべきなのかというところから考える必要がある。

進行管理をしっかりやって、多少でもゆとりのあるスケジュールで制作を進められれば、掲載内容の急な差し替えや、スタッフの急病など、不測の事態が起こったとしても、それほど慌てずに対処できる。でも、進行管理とは、そういう安全面への配慮のためだけのものではない。ぎりぎりまで細部を煮詰め、ミスを減らし、品質を向上させるための作業に使う「余裕」を各工程が持てることが、進行管理の一番の目的だと思う。

猛烈に忙しくて進行が破綻してしまった‥‥と嘆く同業者が時々いるが、お気の毒と思う反面、もったいないなあ、とも思う。それだけ忙しいなら優秀な編集者なのだろうし、きっといい本や雑誌も作っているのだろうけど、その人が進行管理をきっちりできる状況にあれば、そこで生まれる「余裕」を使って、もっといい本や雑誌を作れたに違いないからだ。ほんと、もったいないと思う。

時代を先取るセンスとか、天才的な企画のヒラメキとか、読者の心をつかむ文才とか、そういった才能はあるに越したことはない。でも、進行管理をきっちりやるための几帳面さと誠実さは、すべての編集者にとって必要な能力だ。そしてその二つは、そんなに努力しなくても身につけられる能力でもある。きらめくような才能がなくても、その時々にやるべきことをコツコツと積み上げていけば、いい本を作ることはできる、と僕は思う。