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戦友へ

夜、知人が亡くなったとの報せが届いた。

彼女と最初に会ったのは、十年ほど前。当時、海のものとも山のものともつかない新雑誌の立ち上げで、僕は外部の編集者として、彼女はDTP担当の外部スタッフとして参加していた。月に数十ページに及ぶ担当連載の制作のやりとりをする日々が、数年間続いた。きつい仕事だったと思うが、彼女の作業の速さと正確さは、ほかのどのDTPスタッフよりも抜きん出ていた。ゲラやデータの受け渡しで彼女のオフィスを訪ねるたび、彼女は打ち合わせもそこそこに、楽しげにとりとめのない世間話をしたり、作業が遅れてるほかの編集者への愚痴を愛情半分で話していた。

ラダック取材の関係もあって、僕がその雑誌から離れた後も、彼女との仕事の付き合いは続いた。僕が編集した単行本も、三冊ほど担当してもらった。去年の春にも一冊の単行本のDTPをお願いしたのだが、その打ち合わせでひさしぶりに会った彼女は、びっくりするほどげっそりやつれていた。本人も、人に会うのが嫌になるほど痩せてしまった、とこぼしていた。作業のスピードはあいかわらず速かったが、時々、彼女らしくないケアレスミスが混じっていたのが気がかりだった。

その本の校了間際になって、突然、「ヤマタカさん、あたし、来週から入院することになったんですよ。たぶん、一カ月くらいで出てこれると思うんですけど」と聞かされた。「でも、この本の仕事だけは、ちゃんと終わらせますから、安心してください」とも。その言葉通り、彼女は校了日の午前中にすべてのデータをきっちり入稿し、それからすぐに病院に向かった。本物のプロフェッショナルだった。

入院は、その後一年近くに及んだ。今年の夏には、快方に向かっているから、と退院して自宅療養に切り替えたと聞いていた。それなのに、この報せ。やりきれない。

彼女と僕は、プライベートでもよく顔を合わせるような親しい友人というわけではなかった。だが、本や雑誌を作り上げる仕事の中で、ともに骨身を削り、時にかばい合いながら戦ったという意味では、僕にとって数少ない「戦友」と呼べる人の一人だったと思う。

本当に、ありがとうございました。今は、安らかに。

作らずにはいられない本

午後、電車で都心へ。今日はとある出版社で、新しい本の企画のプレゼン。

次に作ろうと考えている本は、出すまでのハードルがかなり高い。企画自体の内容云々より、それが属するジャンル自体が「売れにくい」ので、出版社から敬遠されがちなのだ。企画を提案する側としても、バーッと派手に売れる企画だとは言いにくい。そもそも、この仕事のプロとして、自分でも売れるかどうかわからない企画を提案するのは、間違っているのかもしれない。

しかし、それでも‥‥。

「この本は、出すこと自体に意味があると思うんです‥‥」

話の途中、僕は思わずそう口走ってしまった。すると、出版社の担当の方々は、口を揃えてこう言った。

「‥‥それは当然ですよ!」

何というか、そのひとことで、僕はとても救われた気持になった。売れる、売れないとは別のところで、作りたい、作らずにはいられない本がある。それを追い求めるのは、けっして間違ってはいないのだと。

これからどうなるか、まだ何もわからないけど、がんばろうと思う。

朝の茶話会

朝、代官山蔦屋書店へ。今日は「トラベルコーヒートーク」というトークイベントへの出演。平日の午前中の開催で、告知期間もほんの一週間くらいだったのだが、最終的に二十人以上の申し込みがあったらしい。ありがたいことだ。

会場は店内のカフェスペースで、テーブルを差し挟んで気楽に話をする、まさに茶話会という感じ。今までにない近い距離感でのトークイベントだったのだが、みなさんとても感じのいい方々で、質疑応答でも熱心に質問してくれる方が多かった。こういうちょっとしたきっかけで、ラダックに興味を持ち、好きになってもらえたら、これほどうれしいことはない。

終了後、コンシェルジュの森本さんとおひるをご一緒してから、原宿に移動。来週あたりから始まる地方取材案件の打ち合わせ。それを終えて家に戻り、メールの連絡業務をあれこれやってるうちに、どうにもこうにも眠くなってきた。さすがに疲れてたらしい。一時間ほど仮眠して、現在に至る。

ホッとひと息つきたいところだが、これからまだまだイベントや仕事が目白押し。がんばらねば。

交通費のモヤモヤ

仕事柄、関東周辺やたまに地方などの取材を依頼されることがある。その時、現地までの交通費はたいてい自腹で立て替えて、後で原稿料と交通費の明細を請求書にまとめ、依頼元に請求する形になる。

で、だいたい二カ月後くらいに報酬が支払われるわけだが、その際、依頼元によって報酬の内訳に違いが生じていた。原稿料と交通費の合計から一割が源泉徴収された金額の場合と、原稿料からだけ一割源泉徴収されて交通費は全額支払われる場合と。どっちがどうなんだか、以前からモヤモヤしていた。近場の取材なら交通費の一割といってもたかが知れてるが、地方まで飛行機や新幹線で往復するとなると、バカにできない金額になるからだ。それが確定申告の還付金で100パーセント戻ってくるわけでもないし。

この件についてググってみると、国税庁のサイトに、「旅費や宿泊費などの支払も原則的には報酬・料金等に含まれます。しかし、通常必要な範囲の金額で、報酬・料金等の支払者が直接ホテルや旅行会社等に支払った場合は、報酬・料金等に含めなくてもよいことになっています」とあった。つまり、宿泊費や交通費は源泉聴収の対象外ということでよさそうだ。

これから大きな金額の交通費が発生する場合は、めんどくさいので、なるべく依頼元に払ってもらおうと思う。

「おこぼれ」は嫌だ

フリーランスのライターとして活動を始めてから、僕の主戦場はしばらくの間、広告やデザインなどクリエイティブ系の雑誌だった。そこでの主な任務は、クリエイターへのインタビュー。今ふりかえってみても、結構な本数をがむしゃらに捌いていた。

当時も今もクリエイティブ系の雑誌でよく見られるのが、一種のスター・システム。大御所や売れっ子の若手など、著名なクリエイターを華々しく取り上げて、そのポートフォリオで誌面を盛り上げるというやり方。それはそれで、雑誌の一つの切り口としてありだったとは思うし、僕自身、普通ならとてもお会いできなかった錚々たる面々(思い返してみても、いやほんとに)にインタビューさせていただけたのは、恵まれていたなと思う。また、ほとんど無名の頃に取材したクリエイターが、その後みるみるうちに有名になっていくのを見守るのも、ライター冥利に尽きるものだった。

でも、しばらく経ってから思うようになった。これはこれでいい。だが、これ「だけ」じゃいかんだろ、と。

スターを華々しく紹介する記事を書くことは、それを求める読者がいる以上、必要なことなのかもしれない。だが、あまりにもそれに依存しすぎるのは、まるで、その人たちの輝きの「おこぼれ」をコバンザメみたく待ち構えてるようなものじゃないか‥‥。そんな風に感じるようになったのだ。

本づくり、雑誌づくりを生業に選んだなら、「おこぼれ」だけでなく、自分自身の目線と言葉でも勝負できるようになりたい。それは作り手のエゴなのかもしれないが、それくらいでなければ、この仕事を選んだ甲斐がない。だからその後は、自分で企画・執筆・編集する書籍を主戦場にした。それには、壮絶なやせ我慢を伴ったが‥‥(苦笑)。

僕は、自分にとって大切に思えることを、自分らしい形で伝えていきたい。せいぜい、六等星くらいの輝きでしかないのかもしれないけれど。