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本づくりという博打

生まれてこのかた、ギャンブルの類にはほとんど手を出したことがない。

パチンコは思い出せないくらい昔、物珍しさに千円くらい使ってみたが、まったく面白さを理解できなかった(笑)。競馬も、麻雀も、まったく経験&興味なし。あ、五年ほど前にマカオに行った時、カジノで大小をやって、一瞬で100ドルすった記憶がある。つまり、博打に対する興味もなければ、勝負運もからきしという人間だ。

ただ、今の自分の仕事‥‥本づくりという仕事は、傍目には穏やかに見えるかもしれないが、博打に近い要素はかなりあると思う。Webで見かけた細田守監督のインタビューを読んで、映画と書籍という違いはあるにせよ、その辺のことをあらためて自覚した。

映画の価値は、有名な原作とか、有名な監督、クリエイターがやっているからじゃない。その映画に今まで見たことがない価値があるからでしょう。見たことのない面白さを提供することに価値があると思う。そういう価値がみんなと共有できた時に成功するんじゃないか。常に挑戦しないと映画を作る意味がないんですよね。じゃないと誰も振り向いてくれないですよ。‥‥という意気込みがあるんですけど、映画が常に挑戦であることはイコール博打なので、毎回々々どうなるかわからないです。

誰かの後追いではなく、常に新しいことに挑戦して、見たことのない面白さを提供すること。それはリスクを伴う博打で、当たるか当たらないかは本当に神のみぞ知る、だ。でも、安全牌だけ切り続けるようなやり方には、正直、さして興味はない。僕も、挑む気持を忘れないようにしたいと思う。

霧の海へ

今週は、先週取材した原稿の執筆に淡々と取り組んでいる。

朝起きて、おひるを作り、コーヒーを淹れ、原稿を書く。きりのいいところで近所のスーパーに買い出しに行き、晩飯を作り、再び原稿を書く。ノルマに達したところで打ち止めて、ビールを飲み、眠くなったら寝る。まあ、今のところ執筆も順調なので、明日にはこの件も一段落するだろう。

その後は‥‥明確な仕事ともいえない、厄介なミッションが待ち構えている。正直、本当に実現できるかどうかもわからない話。たとえるなら、真っ白な霧がたちこめて何も見えない海へ、ボートで漕ぎ出すような感じだ。

これに取り組むのは、はっきり言って、とてもしんどい。避けて通れるならそうしたいくらいだ。でも、これは、僕がやらなければならないこと。そして、やれるとしたら僕にしかできないこと。だから、たとえ心をへし折られるような苦痛を味わうことになっても、僕は霧の海に漕ぎ出す。

出版社と本の作り手

昨年暮れから編集作業を担当し、先月下旬に校了した書籍の見本誌が、今朝になって届いた。

通常、印刷所から出版社に見本誌が届いたら、版元の編集者は、著者はもちろん、制作に携わったスタッフや、取材に協力してくれた方々にそれを送付する。関係者に感謝の気持を伝えるという意味もあるが、万一何か問題が残っていたら、発売前に何かしらの手を打って(訂正紙を挟むなどして)対応するための最終チェックの役割も見本誌にはある。

この本の見本誌は、一月末日には出版社に届いていた。しかし版元の編集者は、僕のほか、デザイナーの事務所やDTPスタッフにも見本誌を送るのをうっかり忘れていたのだという。結局、制作スタッフによる見本誌の最終チェックを完全にすっ飛ばす形で、この本は世に出ることになってしまった。

出版社は、見本誌を制作スタッフに送るのは忘れていたのだが、制作とは何の関わりもない、外部のIT企業のお偉いさんや、好意的な書評をブログで書いてくれそうなクリエイターには、すでに積極的に見本誌をばらまいていた。そういう形で本の宣伝に力を入れるのは別に構わない。でも、その一方で、クリスマス連休も毎日休まず出社して作業してくれたデザイナーや、インフルエンザで熱を出しながらも作業してくれたDTPスタッフのことを、そんなに簡単に忘れてしまったのか‥‥と思うと、何だか虚しくなってしまう。

この出版社には、去年も別の編集者からかなりの迷惑を被った。仕事や会社の選り好みはあまりしたくないが、正直、もう自ら進んで関わろうという気にはなれない。残念ながら。

いい本だけど、売れない?

自分自身が作ってきた本も含めて、の話なのだけれど。

同業者と話をしていると、「あれ、いい本だと思うんだけど、売れないんだよねえ」といった話を時々聞く。僕自身、そんなことを口にした経験は何度もある。でも、あらためて考えてみると、それってどうなんだろう? と思わなくもない。「いい本だけど、売れない」のは、読者がそのよさを理解できないからではなく、企画から発売までの段階で、作り手が何かを読み違えたからではないだろうか?

「いい本で、しかも売れる」ための答えがはっきりわかっていれば、誰も何の苦労もしないのだが、もちろんそんなことはなく、結局、売れるかどうかは出してみなければわからない。ただ、ある程度経験のある編集者が関われば、その本の企画なら、全国的におよそどのくらい読者になりうる人がいて、どのくらいの数を刷ればその人たちに届くのか、いくらかは読めるようになる。たとえたいした冊数でなくても、そうして想定した数の読者にしっかりと届くように本を販売できたのであれば、僕はその本は役割を果たしたと思うし、「ちゃんと売れた、いい本」だと思う。ただ、そこからさらに読者が広がるかどうかは、ほんと、神のみぞ知る、だ(苦笑)。

付け加えるなら、個人的に「いい本」の条件だと感じているのは、「耐久力」だと思う。刊行から年月を経れば、細かい掲載情報が古びていくのは当然なのだが、それでも本質的な部分が劣化することのない本は、確かにある。ひっそりと、でも確実に読み継がれていく本。僕も、そういう本を作ることを目指したいと思う。

戦いすんで日が暮れて

午後、吉祥寺で取材。月曜から連日続いていた怒濤の取材ウィークも、ようやく一段落。もちろん、これから原稿(17本‥‥!)を書かなければならないのだが、まずは、どうにか無難に取材を終えることができて、ほっとした。

戦いすんで日が暮れて、帰りに旅人の木でラーメンを食べようと思ったら、お店の様子が変。見ると、つい先日、閉店したのだという‥‥。がーん。正確には、杉並あたりの別の場所に移転する予定とのこと。昔からずっと好きな店だったし、吉祥寺から家に帰る途中のちょうどいい場所にあったので、重宝していたのだが‥‥。あれだけ最寄り駅から遠いと、やっぱり集客が厳しかったのかな。それでも九年間続いたというのだから、たいしたものだと思うが。

自分が好きなお店には、足繁く通って応援しなきゃな。あらためてそう思った。寂しいなあ。