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留守の準備

旅の支度は、荷造りだけではない。留守にする家の方でも、割と計画的に、いろいろ準備しておく必要がある。ある程度の長旅になれば、なおさら。

まず、家にある保存食以外の食料を減らす。米や、野菜など冷蔵庫にあるもの。生ゴミは絶対残らないように回収日をぬかりなくチェック。洗濯物やベッドシーツも汚れたものができるだけ残らないように、天気予報を睨みつつ、洗って干すタイミングを図る。要は、いろんなものができるだけ残らないようにしておくということか。

それでも、家に残しておいた方がいいのは‥‥ビールを一缶か二缶、かな。旅を終えて、空港から家まで疲れ切って帰ってくると、途中でビールを買って帰るのを結構忘れてしまう。へろへろの状態でまたコンビニまで出かけるのもしんどいし。今回も、ばっちり残るように計算済み。

本の勝ち負け

本の価値というものは、当たり前だが、単純な尺度では測れない。何十万部も売れているベストセラーよりも、500部しか刷られていない私家版の詩集に心を深く揺り動かされることだってある。本から感じ取ることは、人それぞれ。本と本の間には、たぶん、勝ち負けなんてない。

ただ、作り手の側にとっては、勝ち負けを感じることもあるかもしれない。

たとえば、出版社から「あの会社のあの本が売れてるから、ああいう感じのやつを作ってくださいよ」と言われてしまった時。内容であれ、デザインであれ、他社の売れてる本のアイデアをパクるのは、どんな事情があるにせよ、作り手としては恥ずべき行為だ。たとえそれなりに売れたとしても、最初にパクってしまった段階で、その本はとても不幸な負い目を背負ってしまう。その時点で、決定的に負けだ。

そういう本はやっぱり、世の中に出すべきではないと、僕は思う。何よりも、その本と、それを手にしてしまった読者がかわいそうだ。

佐々涼子「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」

「紙つなげ!」2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市にある日本製紙石巻工場は津波による壊滅的な打撃を受けた。日本製紙は、国内で流通する出版用紙の約4割の生産を担っているという。その中核となる石巻工場の被災は、大げさでも何でもなく、日本の出版業界の行末をも左右しかねない一大事だった。

この「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」は、そうした絶望的な状況に追い込まれた石巻工場の従業員たちが、途方もない努力と工夫の積み重ねで、ついに工場の復興を果たすまでを描いたノンフィクションだ。著者の佐々さんは、徹底した取材と検証に基づく冷静な筆致で、けっして綺麗ごとだけではない当時の石巻工場の様子をぐいぐいと追っていく。

本づくりを生業としている僕も、震災が起こった当時、仕事についてはまったく先の見えない状態だった。それまで順調に準備を進めていた「ラダック ザンスカール トラベルガイド」は、新刊会議での企画承認を経て取材費などの予算がつくのを待つばかりの状態だったのに、震災のために企画承認プロセスが一時凍結されてしまった。「紙とインキがやばいらしいんです。どちらかが供給されなくなれば、本は作れませんからね‥‥」と、担当の編集者さんが弱ったように呟いていたのを憶えている。紙とインキがなければ、本は作れない。そんな当たり前のことさえ、それまでの僕には本当にはわかっていなかったのだ。石巻工場をはじめとする被災した製紙工場やインキ工場の動向によっては、本づくりの仕事で生活していけなくなる可能性すらあった。

だから、その後被災からの復興を果たしたそれらの工場の人々には、本当に頭が下がる。復興のためのさまざまな努力はもちろん、日々確実に紙やインキを作り続けてくれる、その不断の努力にも。一冊の本には、たくさんの人々の見えない努力が詰まっているのだ。

先日上梓した「撮り・旅! 地球を撮り歩く旅人たち」に使っている本文用紙は、b7トラネクスト。日本製紙が誇る嵩高微塗工紙は、軽さと風合いと印刷の美しさを兼ね備えていて、あの本にうってつけだった。素晴らしい紙を作ってくれて、ありがとう。

ありふれた日々に

日々を生きていると、いろんなできごとに接する。良い知らせもあれば、悪い知らせもある。時には、どうしてそんな理不尽なことに、と、やりきれない気持になる時もある。

自分自身はというと、何の変哲もないありふれた日々を過ごしている。でも、そのありふれた日々こそが、実はかけがえのないものなのだ。自分自身が今こうして生きていられるのは、本当に、たまたまだ。運がいいだけだ。ありふれた日々に手を伸ばしても届かない人が、この世界にはたくさんいる。

今こうして生きていられる自分に、残された時間でできることは何なのか、もう一度、じっくり考えてみる。

棚を眺めて

昼、銀座へ。三井昌志さんの写真展を観る。その後は銀座と有楽町、六本木の書店を回り、それから中央線で立川に移動して駅周辺の書店を訪ねる。

ここしばらく、たくさんの書店を矢継ぎ早に訪ねていてあらためて思うのは、そのお店の棚を眺めて回れば、そこの書店員さんの技量が何となくわかるということだ。それは巨大な床面積のメガ書店でも、お洒落なインテリアの書店でも、小さな町の本屋さんでも関係なく、棚がどんな風に整えられているかによって、その書店の価値は決まるように思う。

別に、無理に天衣無縫な文脈棚とかでなくても、オーソドックスな整え方で構わないのだ。次から次へと送られてくる新刊を捌きながら、どんな風に並べるとお客さんにとってわかりやすく、気持を惹き付けられるか、丁寧に見定めながら整える。そういう意図が透けて見える棚は、眺めていても気分がいいし、いろんな発見や出会いがある。同じジャンルの本を無造作に突っ込んだだけで、帯やカバーがよれていてもほったらかしだったりすると、何だか残念だな、と思ってしまう。

考えてみれば、すごいスキルを要求される仕事なのだ、書店員さんって。書店の棚から学ぶべきことはたくさんある。