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想像してたのと違う

お昼前から午後にかけて、赤坂で打ち合わせを2件。年明けに入る予定の、新しい種類の仕事。クライアントも初対面の方々ばかりだったのだが。

「‥‥いやー、何か、想像してたのと全然違うイメージの方ですね!」

うん、やっぱりね。そう言われるよね(苦笑)。この間のラジオの収録の時も、そんな風に言われた。

世の中の人たち‥‥特に僕の本を読んでくださってる方々に、いったい僕は、どんなイメージで見られてるのだろう? ひげもじゃでごっつい探検家みたいな人? 殺しても死ななそうな感じの人?

本人はごく普通の、ひょろっとした覇気のないメガネのおっさんです。どうぞよろしく。

後悔すること

この世の中に、本当に楽な人生を送っている人なんて、たぶん一人もいない。そうだとしても僕はたぶん、今の仕事で、しなくてもいい余計な苦労までわざわざ背負い込んでいるような気もする。

ほどほどのところであきらめたり、譲ったり、妥協したりしていれば、あるいはもっと楽に生きられるのかもしれない。夜も眠れないほど悩んだり、悔しさに歯噛みしたり、それでも気力を振り絞るのに必死になったりせずにすむのかもしれない。なのにどうして、傷だらけになることがわかってるところに、わざわざ突っ込んでいってしまうのか。

たぶん僕は、ぶつかりまくって傷を負うことよりも、後悔することの方が怖いのだと思う。作りたいものや、大切に思っているものを、あきらめたり、譲ったり、妥協したりして後悔することの方が。それがたとえ、この世でほんの一握りの人にしか理解されないようなものだとしても。傷の代償にしては圧倒的に割に合わないものだとしても。

そういう意味では、僕は臆病な人間だ。

思わぬ展開

打ち合わせのため、日中ずっと出歩く。年明けに計画しているイベントのことなど、いろいろ調整中。想像以上に急な展開で、すでに多くの人を巻き込みつつあるので、何とかその方々の期待を裏切らないような結果を出せるといいのだが。

それとは別に、ちょっと、というか、まったく予想もしていなかったような依頼をいただいて、少々びっくりしていたりもする。今までの自分の仕事とは、フィールドは同じでもかなり種類の違う仕事なのだけれど、うまくいけば本当に意義のある成果につながると思うので、こちらも何とか首尾よくやり遂げたいところだ。

そんな思わぬ展開の連続で、文字通り、師走間近、ばったばたである。

役に立つ本、心動かす本

昨日のエントリーから、うっすらと続きみたいな感じでつらつらと。

二年前に「ラダック ザンスカール トラベルガイド」を出した時、本を読んで実際にラダックを旅した読者の方々から、「ありがとうございました」「助かりました」と言っていただいた機会が何度もあった。それまで僕はガイドブックの類の仕事はまったくしてこなかったから、自分の作った本が誰かの役に立っているというのは新鮮な経験だった。まあ、ラダックという特殊な場所のガイドブックだったからというのもあると思うけど。

ガイドブックのような類の本は、必ず「役に立つ本」でなければならない。そのためには、地図や情報を綿密に確かめつつ、その土地の各種スポットをなるべく公平な目線で紹介する必要がある。でも、そこであまりにも作り手の主観や思い入れを排除しすぎると、無味乾燥で当たりさわりのない内容になってしまいがちだ。そういう旅関係の本や雑誌、残念ながら結構多い気がする。

ラダック ザンスカール トラベルガイド」を作った時、僕は「役に立つ本」としてだけでなく、「心動かす本」にもしたいと思っていた。安直な釣り文句で煽ったりはしなかったが、写真とコピーとページ構成と、ぱっと見は何気ない説明文にまで、伝わらないかもしれないと思いつつ、めいっぱい気持を込めた。自分はラダックが好きなのだということ。この土地の魅力を、一人でも多くの人に伝えたいのだということを。

ガイドブックや実用書のような「役に立つ本」に、作り手の主観や思い入れは一切いらないという考え方の人もいるかもしれない。でも僕は、たとえガイドブックでも、「役に立ち、心も動かす本」にすることを目標にしたい。旅の本は特に、そうであるべきだと思うし。

それで「面白かったです! ありがとうございました!」と読者の方に言ってもらえたら、きっと最高なんだろうな。かなり欲張りだけど(笑)。今までもこれからも、そういう本作りを目指したいと思っている。

選んだのは本だった

一昨日ラジオ番組の収録をしてきたばかりだが、来月末にはまた別の番組の収録がある。自分について人に説明するのにしっちゃかめっちゃかになるとまずいので、収録前には、これまでの出来事を書き出して整理してみたりしていた。

いろいろふりかえってみてあらためて思うのは‥‥僕は、編集者とかライターとか写真家とか、そういう職業に就くことを目的にしてきたのではなく、自由に旅をしてそれを仕事につなげたいという生き方をしたかったのでもなく、ただただ、本を作りたかっただけなのだ、ということ。自分が本当に心の底から大切だと思えることを、本という形にして、それを人に伝える。二十代初めの青二才の頃から、ずっとそうだったのだと。

それは生き方とすら呼べない、独りよがりで単純な衝動でしかないのかもしれない。でも、僕が自分の人生を費やすのに選んだのは、本だった。それには、ひとかけらの後悔もない。