小学館のアウトドア雑誌「BE-PAL」のWebサイト上で、先日プレスツアーで訪れたノルウェー北部の街トロムソについてのフォトレポートの短期連載を開始しました。全6回の予定で、トロムソの街の紹介のほか、郊外での犬ぞり体験や、オーロラの撮影の模様などを写真とともにお伝えしていければと思っています。北極圏の街の様子について興味のある方は、ご覧になってみていただけるとうれしいです。よろしくお願いします。
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嘘まみれの人生
先日、同業者の知人から「Twitterのフォロワーが20万人いるという海外ライターの人から、会って情報交換したいと言われたのだが、どうすればいいと思うか」という相談を受けた。
フォロワーが20万人というと芸能人でもかなり有名な人のレベルだが、その人のアカウントを見ても、そういう名前のトラベルライターに心当たりはない。Twitterにも、そこからリンクされているブログ(ちなみにアメブロ)にも、具体的な仕事歴は何も掲載されていない。
その人のブログやTwitterには、海外で撮ってきた街角や高級ホテルの写真がふんだんに掲載されているが、特に内容のないコメントが数行添えられているだけ。場所と時系列もまちまちで、手持ちのストック写真を使いまわしてるのだろうが、どういう意図で更新し続けているのかわからない。ちなみにフォロワーが20万人いるというこの人、フォロー相手も20万人いる(苦笑)。
あまりにも怪しすぎるので、その人の実名でググってみたら、案の定だった。アメブロの旅行ジャンルでトップクラスの人気ブログの内容を、その自称海外ライター(ていうか「海外ライター」って何?)がそのままパクって自分のブログに使っているという、第三者による検証記事がヒットしたのだ。この調子だと、その人のブログやTwitterの内容すべてにも疑念が湧いてくる。知人に接触を試みたのも、フォロワー20万人を見せ球に、何かしらの便宜を図ってもらおうとしたのだろう。
以前も、ソーシャルメディアについて個人的に思うところを書いたことがあるけれど、ソーシャルメディアは結局、今の時代のインフラでしかないのであって、現実を現実以上のものにすることはできないのだと思う。ソーシャルメディア上で有名になる人がいるのは、その人自身にそうなるべき資質や魅力が備わっていたからだ。中身がカラッポで他人のコンテンツをかすめ取るしか能のない人が、どれだけフォロワー集めに汲々としたところで、魅力的な人間になれるわけがない。
そんな嘘まみれの人生を生きて、何が楽しいのかな。20万人のフォロワーの中に、彼が本当に心を許せる人は、いったい何人いるのだろう。フォロワー集めなんて何の意味もないくだらないことに精を出すのをやめて、もっと当たり前の、嘘をつかない人生を生きてみてほしいと思う。
電話不精
基本的に、電話が苦手である。かかってくると、びくっとするし、自分からかけるのも、できればなるべくしたくない。仕事柄、時には急いで電話をかけて打ち合わせをしたりしなければならないこともあるけど、そういう時は、結構心の準備が要る(苦笑)。
思うに、僕と電話の関係は、昔からそんな感じだった。そもそも、電話にあんまりいい思い出ないし(笑)。世の中でインターネットやメールといったものが発明されなければ、僕は本当にコミュニケーション断絶人間になっていただろうし、今のような仕事の仕方もできていなかったと思う。
今の僕の外界とのコミュニケーション手段は、TwitterやFacebookの機能も含めたメールやメッセがほとんど。iPhoneから電話をかけたりとかはめったにしない。この間の機種変の時も、料金の履歴を見た店員さんは、通話定額プランをまったく薦めてこなかった(笑)。
そんなわけなので、友人のみなさま、電話はなるべく最後の手段ということでお願いします。なにせ、心の準備が要るので(笑)。
立ち止まる冷静さ
これは、自分自身もやってしまうかもしれないことなので、自戒の意味も込めて書くのだけれど。
今の世の中では、あらゆる情報がいとも簡単に拡散していく。一昔前はテレビや新聞などのメディアによる拡散がほとんどだったが、今はFacebookやTwitterやLINEによって、それが劇的に加速している。もともとワンクリックで広まるような構造のツールだから当然なのかもしれないが、それは時に、えげつないほどの破壊力を伴う。
ある事件が起こった時、その渦中にある人に対して、ネットを介して強烈な罵倒や嘲笑が嵐のように浴びせられることがある。たとえば、それが犯罪の加害者であれば、社会に非難されるのもある程度仕方ないのかもしれない。でも、それが犯罪なのかどうかも判然としない段階で、まるで匿名の集団リンチのように、ネットを通じてとんでもない量の罵詈雑言が叩き付けられている場合もあるように思う。最近では、そうした人々を意図的に焚き付けるような報道をしているメディアも見受けられる。
ネット上で、時に匿名という安全な立場から、非難の対象となる人を罵倒し、嘲笑い、いっときの正義感を満喫し、そしてすぐに忘れる。そうしたネット上での罵詈雑言や心ない噂話に巻き込まれるのは、非難の対象となる張本人だけではない。事件によっては、その被害者も事を荒立ててほしくないと思っているかもしれないのだ。でも、ネットでの情報拡散はそうした思いさえ許さず、何も悪くない弱い立場の人を好奇の目に晒してしまったりする。
僕たちは、ワンクリックでシェアとかリツイートとかをしたりする前に、立ち止まって考えてみる冷静さを持つべきだと思うのだ。それは本当に正しい情報なのか。それを人に伝えることで、何がもたらされるのか。取り返しのつかないほど傷ついてしまう人はいないだろうか。自分自身の言葉で、責任を持って語れるだろうか。
もう一度、ネットに対して、自分自身に対して、冷静になってみるべきだと思う。
開き直りすぎ
昨日の落雷の影響でダウンしていた固定電話とネットの回線は、夜中の3時頃になって復活した。聞くと、マンションの共用部分(表門のオートロックとか、常夜灯とか、電話の集合装置とか)だけが落雷でダウンしてしまっていたらしい。ともあれ、大事にならなくてよかった。
それにしても、昨日の雷雨を思い出して、我ながらどうなんだろと思うのは、あの時に自分が取った行動だ。
ネットがダウンした後、当面は仕事にならないし、どうすっかなとソファに寝転んだ僕は、そのまま1時間くらい、ぐーすか寝てしまったのだ。あれだけドカンドカンとひっきりなしに雷が落ちまくり、市の防災放送が警報が出たとスピーカーで叫んでるような時に、である。剛胆というよりは、単に危機意識がなさすぎなのか。
まあ、人間、どうにもならない時はどうにもならないしね。