来週からインドに行くというのに、今週になっても、大学案件の取材があったり、諸事情で着手できないでいた書き仕事があったりして、なかなか仕事がすっきり片付かないでいた。今年は常にこんな風にばたばたしてるような気がする。
今日の夜になって、どうにかこうにか、全部の原稿を納品し、請求書を作って投函し終えた。これで全部終わり、のはず。本当に、ぎりぎりすべりこみセーフといった感じだ。
あ、荷造り……まだ全然できてない……(汗)。明日やろう、明日……。
来週からインドに行くというのに、今週になっても、大学案件の取材があったり、諸事情で着手できないでいた書き仕事があったりして、なかなか仕事がすっきり片付かないでいた。今年は常にこんな風にばたばたしてるような気がする。
今日の夜になって、どうにかこうにか、全部の原稿を納品し、請求書を作って投函し終えた。これで全部終わり、のはず。本当に、ぎりぎりすべりこみセーフといった感じだ。
あ、荷造り……まだ全然できてない……(汗)。明日やろう、明日……。
知り合いの写真家さんたちと話していると、撮影する時に「えこひいき」をするかどうか、という話題になることがある。
たとえば、アジアのどこかの国を旅していて、子供たちが5、6人いるような場面に遭遇して、仲良くなって、写真を撮ることになったとする。で、子供たちの中に、ものすごく写真映えのする表情の子がいたとしたら、どうするか。みんな平等に撮るか、それともその子だけちょっとえこひいきして撮って、狙ったカットをものにするか。
ほとんどの写真家さんは、「えこひいきはある程度します」と正直に言う。それは確かにそうだ。プロとしてよりよい写真を撮るためには、そういう選択をしなければならない時もあると思う。
ただ、自分の場合はどうだろう、と思い返してみると……えこひいきはしない、というか、できないと思ってしまう場合がほとんどだと思う。せいぜい子供たち全員集合のカットを撮った後、1人か2、3人ずつ個別に何枚か撮っていく中で、その写真映えする子も単独で撮る、くらいか。
なぜ、えこひいきできないと感じるのかと考えてみると、自分は何かの場面に遭遇した時、写真家としての目線ではなく、物書きとしての目線で対峙しているからだと思い当たった。写真家としてクオリティの高い写真をものにするなら、ある程度えこひいきをするべきなのかもしれない。でも、物書きとしては、その子供たちとどんな出会い方をして、どんな時間を過ごしたのかという事実の方が、時と場合によっては写真より大事になることもありうる。えこひいきすることでそれが微妙に崩れてしまうのは、僕の望む結果ではない。
文章は言葉の羅列だから、書こうと思えばどんな風にでも書ける。でも、だからこそ、僕は起こった出来事をありのままの形で書きたい。その結果、最善のクオリティの写真を撮り逃したとしても、それは仕方ないとあきらめる。
物書きの目線で、写真を撮る。プロの写真家の方々から見れば、まだるっこしいやり方なのかもしれない。でも、だからこそ撮れる写真、書ける文章もあるのかもしれない。最近はそんな風に思っている。
バングラデシュの首都ダッカのレストランで、日本人を含む外国人20人が殺害されるテロ事件が起こった。バングラデシュでは去年から日本人や外国人が殺害される事件が時々起こっていたが、これほど大規模なテロは今までになかった。巻き込まれた方々のことを考えるとやりきれない思いがある。
僕がバングラデシュを訪れたのは、2年前の2月。ほんの10日ちょっとの旅で、自由時間もろくにないプレストリップだったが、それでもあの国の魅力は直に肌で感じることができた。膨大な数の人々がうごめくように暮らす巨大都市ダッカ、みずみずしい水田が広がる農村、霧に閉ざされたマングローブの密林、そして、穏やかでシャイで、人なつこい人々。彼らのはにかむような笑顔を思い出すと、なおさら胸が苦しくなる。
テロはもちろん絶対に許されない行為だし、今のような状況下でバングラデシュを旅したりするのは無謀だ。でも、「テロで日本人が殺された怖い人たちの国」という変なレッテルがバングラデシュに貼られてしまうのは、それはそれでよくないとも思う。いつかまた、いろんな物事が良い方向に動くようになるといいのだが……。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
昼、横浜へ。中華街で2週間ほどやらせてもらっていた、ラダック写真展の撤収作業。パネルを外し、テープをはがし、梱包し……という作業に、黙々と取り組む。
お店の方によると、僕が在廊していない日でも、結構いろんな人が展示を見に来てくださっていたのだそうだ。近隣の方はもとより、埼玉とか、大阪とか、はるばる遠方から来てくれたフットワークの軽い方々も。ありがたいことだなあと思う。
昨日の夜に来ていたお客さんたちで、初対面なのに、今年の夏にほぼ同じ時期にラダックに行くからと、お酒を飲みながらすっかり意気投合してしまった方々もいらっしゃったそうだ。そんな風にして、写真展をきっかけに出会いや縁がつながっていくというのも、面白い。飲食店内での展示ならではのめぐり合わせかもしれない。
伝えていくこと。つないでいくこと。僕の役割は、そういうことなのかな、と思う。