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タフでなければ

昨日の午後は、小林尚礼さんのお誘いで、「地球の歩き方 ブータン」の制作に初版からずっと携わり続けている編集者、高橋洋さんのトークイベントに行ってきた。

高橋さんの長女の娘さんは二歳の時に非常に患者数の少ない遺伝系の難病を発症されて、以来ずっと自宅の一室で、身動き一つできない状態での療養を続けられている。当初、娘さんの余命は長くても七歳くらいまでと言われていたそうだが、先日、二十歳の成人式を迎えられたそうだ。これまでの間、高橋さんと奥様、そして周囲の人々が、娘さんのためにどれほどの努力を積み重ねてこられたのか、想像を絶する。

高橋さん自身も数年前に胃癌を宣告されて手術を受けた経験があるそうだが、「地震にたとえると、二歳の娘に下された難病の宣告が震度7か8だったとすれば、僕に下された胃癌の宣告は、せいぜい震度3か4くらい。全然たいしたことなかったです」と、こともなげに話されていた。

娘さんの看護や取材を通じてのブータンとの関わりは、高橋さん自身の人生観にも大きく影響したそうだ。自分には世界中を大きく変えるようなことはできないかもしれないけれど、一人ひとりがそれぞれ自分にできることを一つひとつ積み重ねていけば、世界はもっとよくなるのではないか、とも。

終了後にご挨拶させていただいた高橋さんは、話し好きで飄々としていて、穏やかな印象の人だった。トークで淡々と話されていたような苛烈な人生を送ってきた方には、とても見えなかった。タフでなければ、生きていけない。優しくなければ、生きている資格がない。マーロウのあの有名な台詞を、その時ふと思い出した。

命の軽さ

夕方、歩いて吉祥寺へ。まめ蔵でカレーを食べた後、無印良品でポリプロピレンの収納ケースと、小さめのパルプのケースを購入。部屋の中のものをいろいろ整理したかったので。

ケースを持って歩いて帰る距離を縮めたかったので、吉祥寺から三鷹までひと駅電車に乗ろうと思ったら、中央線も総武線も動いていない。すわ、また人身事故かと思ったら、強風で架線にビニールがひっかかったのを取り除くためだったらしい。ほっとした。

東京に住んでいて、きついなあと思うことの一つは、鉄道での人身事故の多さだ。そのほとんどはおそらく投身自殺なのだと思うが、もはや日常茶飯事といっていいほどの頻度で発生するので、ともすると、その瞬間に一人の人間の命が消えていったという事実に対して、自分の感覚が鈍くなってしまっているのではないか、とさえ思ってしまう。

二、三年ほど前だったと思うが、自分が乗っていた中央線の列車が、荻窪駅で人身事故を起こしたことがある。その時、電車はいつもより少しだけ唐突に駅に止まり、ドアはしばらく閉ざされたまま。やがて淡々とした調子で「この列車で人身事故が発生しました。しばらくお待ちください」というアナウンスが流れた。その瞬間、車内では何の声も上がることなく、ただただ、ぎゅうっと重い空気がたれこめた。10分ほど経って僕たちは、車内を移動して後方の車両から順次外に出て、総武線や丸ノ内線に乗り換えるように指示された。僕たちが人身事故の現場を目の当たりにする場面は一切なかった。今思うと、完全にマニュアルに沿った対応だった(それが悪いという意味ではなく)。

あの時、散った命が、どんな人のものだったのか、知るよしもない。大切な用事で急いでいた人にとっては「ふざけるな」と思える出来事だったかもしれない。でも、この東京で人身事故で電車が遅れるたび、ほぼ確実に一つの命が消えていっているという事実は、きちんと噛みしめなければ、と思う。それを思い出すたびに、暗鬱な思いに心を曇らせることになったとしても。

人の命は、いつから、こんなに軽く、あっけなくなってしまったのだろう。

歩いたことのない道

午後、目黒で打ち合わせ。これから作りたいと考えている本の企画について。新しい企画の持ち込みプレゼンは毎回緊張するけど(当たり前か)、どうにか無事に終えることができた。

打ち合わせを終えてビルの外に出ると、すぐ近くを目黒川が流れているのに気付く。このまま家に戻って、山のように届いてるはずのメールの返信に忙殺されるのが嫌だったので(苦笑)、川沿いをぶらぶらと、中目黒や代官山の方まで歩いていってみることにした。

ゆるりと吹く冷たい風の中、マフラーに顔を埋め、両手を上着のポケットに深く突っ込んで、ざくざく歩く。そういえば、目黒駅の近くから、この川沿いの道を歩いたのは、初めてだ。見たことのない店や家並、遠くのビルの影。ほんのちょっとだけ、旅に出たような気分になる。

東京で暮らしはじめて、かれこれ二十数年になるけれど、この街で僕がまだ歩いたことのない道は、それこそ無数にある。そう考えると、ちょっともったいないような気もしてくる。もっと、知らない道を歩いてみたい。知らない場所に迷い込んで、おろおろ右往左往してみたい。たぶん、性に合ってるんだな、そういうのが。

あの日から

昨日は、モンベル渋谷店での「撮り・旅!」トークイベント第2弾。会場はぎっしり満席で、毎度のことながら、自分が何をしゃべったのかろくに覚えてないほどあっぷあっぷの状態だったが、出演者のお三方にも助けられ、どうにか無事に終えることができた。終わった後、近くの居酒屋でやった打ち上げが本当に楽しくて(同業者同士だとやっぱり俄然盛り上がる)、終電間際まで、かれこれ6時間くらい飲み続けた。

去年の代官山でのトークイベントの時など、「撮り・旅!」関係で何か節目になるような出来事があるたびに、2012年の夏のあの日を思い出す。

その年の春に「ラダック ザンスカール トラベルガイド」を上梓した後、僕は次の具体的な目標を見つけられずに宙ぶらりんな気持のまま、スピティの山の中をしばらく歩いて旅してから、乗合ジープでマナリに来ていた。それまでずっと埃まみれの日々だったから、ヴァシシトでは僕にしては割といいホテルに泊まり、きれいなシーツのベッドでごろごろしながら映りの悪いテレビを眺めるだけで、他に何をするでもない、だらけた時間を過ごしていた。

そんな時だ。ふっと、旅と写真の本を作ろうかな、という考えが舞い降りてきたのは。それはもう本当に単純な思いつきで、そういう本があったら自分が読みたいな、というだけのものだった。でも、その思いつきが、帰国してしばらくしてから次第に形を成していき、出版社との一年に及ぶ交渉の後、本当にたくさんの方々から力をお借りできたことで、「撮り・旅!」という一冊の本になった。

ヴァシシトでごろごろしてたあの日のどうということのない思いつきが、これほど大きな流れになるとは、正直、予想もしていなかった。世の中、何が起こるかわからない。でも、この本を自分の力だけで作り上げたとはまったく思っていない。ただただ、周囲の人々に助けられ、背中を押してもらえたことで、どうにかここまで来られたのだと思う。

さて、次はどうするかな。実はもう、たくらみはあるのだけれど。

下りない肩の荷

午前中から都心に出る。昨年秋のタイ取材で作ったページの、最後の色校チェック。今回は特に問題なかったので、あとは編集者さんにおまかせ。これでようやく肩の荷が一つ下りた。ふう。

午後の早い時間に自宅に戻ってみると、まるでそれを待ち受けてたかのように、電話やメールが矢継ぎ早に殺到。いろんな案件についてのやりとりが同時進行で繰り広げられて、気がつけば外はもう真っ暗。なんてこった。肩の荷が一つ下りたと思ってたら、まだまだたくさん載っかってた(汗)。

明日は午後から渋谷でトークイベントなのに、こんな地に足が付いてないばたばたの状態で大丈夫なのかな‥‥。まあ、ここまで来たらもう、なるようにしかならないんだろうけど。